第46話 ディナーの始まりの話
ディナーに指定された時間に食堂に赴くと、上品ながらに豪華な内装が出迎えた。赤いふわふわの絨毯に、やはり他の部屋と同じく細やかな細工の施された大きなテーブルが置かれたそこには、数名のメイドが控えていた。
ブルーのエプロンドレスを身に付けているその淑女たちは、多分給仕を任されているパーラーメイドでだろう。
「お待ち申し上げておりました、お客人様方」
深々と頭を垂れたのはそれらのパーラーメイドを控えさせていた老婦人だった。服装はシンプルなメイド服であるから、多分家政婦長と言う奴だろうか。グレーヘアーの見事な頭にキャップを乗せ、背筋をしゃんと伸ばしている立ち姿は堂に入っている。
「私はマリオン様よりこの家の女侍従の一切を任されております、家政婦長のミラベティと申します」
「これはどうも、ご丁寧にありがとう」
「では、こちらの席までどうぞ」
パーラーメイドに案内されて広々としたテーブルに着くと、まずは最初に出されたのはダンプリングだった。大判のコイン大のそれはゆで上がってすぐに出てきたのだろう、暖かい湯気をふわふわと纏っている。
「――おいしい!」
「それはようございました。こちらはタングラスケルドでも良く食べられている物で、中身も当方で用意させていただきました」
ミラベティは威厳のありそうな顔立ちに穏やかで人のよさそうな笑みを浮かべた。コーディとヒューが中々手を付けられないのを見て、更にニッコリと微笑む。
「お作法などはあまりお考えなさらずに、どうぞお召し上がりくださいませ。当主は気安くお食事をされますので」
「い、いいんスか?」
「あー……じゃあ悪ぃけどそうさせてもらう。なるべく勉強しとくから、勘弁してくれ」
にこにこと笑いながら頷いたミラベティに、ならばとコーディとヒューは遅れて匙を取った。つるんとした厚い皮の中には引いた肉と細切れの野菜が入っている。少しばかり口当たりがぴりりと痺れるような刺激があるが、これはジンジャーでも入っているのか。
「これは……集国の文献で見た、『ダンゴ』かと思いましたが……ううん、ヴァレニキに似ていますねえ。継ぎ目ありませんが、良く似ている」
「ええ、原型はヴァレニキだと聞いております。中身を変えるとおやつにもなりますし、汁物に入れて食べることもあります」
「甘い物にもなるのですか?」
「ええ、果物を潰して練乳と一緒に練ったものを中に詰めたり、生地にドライフルーツを練り込んでなにも入れなかったり」
「研究の余地がありそうですねえ」
ヴィルジュが目を輝かせて夢中で前菜を頬張っているのにシメオンが解説するといっそうに輝きが増した。どうやらこのダンプリングが相当気に入ったらしい。
「タングラスケルドでは昔食品の入手が不安定でしたので、団子の形にして冷暗所で保管したのです。この辺りでは、『小麦団子を上手く作れないと嫁にはいけない』とまで言われておりました」
「という事は、この街の家庭の味なのですね」
「その通りでございます」
最初に供された家庭の味に満足をしていると、次に運び込まれたのはポタージュである。薄い皿にのびのびと敷かれたグリーンのそれは、爽やかな香りがする。
「わ、良い匂いがする」
「花粉豆のポタージュでございます」
「花粉豆?」
「赤子の爪ほどの大きさの豆で御座います。花の香りが仄かにするため、古くから持て成しに用いられております」
シルヴは未知の食材と味に感激して指を組んだ。スープを口に含むと確かに柔らかい百合に似た香りが薄く香り、とろみがあるのに爽やかな味が喉を伝って行った。これは食材が良いのもあるが、調理人が素晴らしいのもありそうだ。今までの持て成しを卑下するつもりはないが、しかしこんなに美味い物は久々に食べた気がする。
「ご歓談中に失礼いたします、当主マリオン様の身支度が整いました」
やや緊張した顔つきの年若いハウスメイドが挨拶をして横にはけた。ゆったりとした足取りが暗闇から出てきて、最初にえっと驚きの声を上げたのはハミルだった。
「遅参のとこを失礼いたします。夕食のお味は如何でしょうか」
その人は、確かにマリオンだった。だから、当主が到着したというのは確かな事なのだろう。しかし、それはマリオンなのに、マリオンではなかった。
「――――女性?」
「どういう……」
シルヴの呟きに深く微笑んだその『マリオン』は、どこからどう見ても女だった。
身長はあまり変わっていなかったが、その肩幅は狭く、腕は細く。ぎゅっとコルセットでととのえられているだろう腰元は先ほどあった時と比べて一回り以上締まっている。
胸元には男にはあり得ない柔らかでふくよかなふくらみが鎮座しているし、身に付けているドレスの端からちらりと覗く足首は男ではありえないほどに細く、その高く上がった踵すらもか細い。
「きちんと、ご説明をさせていただきますわ」
濃色と淡色のパープル、差し色に白の立派なドレスを身に付けた女……『マリオン』は、得体のしれない笑みを浮かべて優雅に当主の席に着いた。そしてすぐに運び込まれてきたダンプリングが湯気を纏っていることに満足げに、子供の様に目を輝かせた。
「私も温かいのを口にできるように用意しておいてくれたのかい?ありがとう、ミラベティ!」
「いいえ、御当主様のお口には、最前の状態の者をお運び申し上げたいので」
「ふふ、それでも感謝は口にしたいんだ」
微笑んで、マリオンは用意されていたフォークで一思いにダンプリングを突き刺した。成程、ヒューやコーディに気を使うなとミラベティが言っただけの事はある。
「まずは口調を崩させていただきます。昼に仰っていただけましたよね?猫は取っ払ってよい、と」
「うん。先ほどの今の口調が君の本当の姿かな?」
「その通り!私はあまり、令嬢らしい口調や作法とは縁が無かったもので」
困った顔をすると、マリオンはフォークに刺していたダンプリングを口に運んだ。上品も何もあったものじゃないのは、此処が自宅だからだろう。
「ん、今日のダンプリングは食べたことが無いな。もしかしてシマーの作品かな?」
「えっ?」
「だって練習をしていただろう。やっと食事に出すことが認められたのかい?」
「は、はい!」
後ろで給仕にと茶を入れていた若いキッチンメイドが勢いよく顔を上げ、かっと赤面した。まだ厨房に入って日の浅い見習いなのだろう。マリオンの言う事から察すると、先ほどのダンプリングは彼女の作で、しかもデビュー作らしい。
「これは奴に自慢してやらないといけないな。なにせ私がシマーの『はじめて』を先に頂いてしまったのだから!」
「マリオン様、お言葉使いが目に余ります」
「――おっと、失礼。でも、やっとシマーのダンプリングを食べられたんだ、許しておくれ。本当にうれしいんだ」
さくさくと口にダンプリングを運びながらも嬉しさを端から滲ませ、マリオンはふんわりと笑った。まるで昼にあった時とは別人だ。
「……双子では」
「違うよ」
ハミルの推測を切って捨てて、マリオンはさっさと運び込まれたポタージュに手をすり合わせて舌なめずりした。食事のテンポを合わせたいのか、その食事の手は味わいながらもさっさと動いている。
「今日のスープは花粉豆のポタージュ?うわあ、私、これが好きなんだ」
「存じております」
楽しそうなマリオンは、置かれていたスープ用のスプーンを手に取って一掬いした。
「さて、疑問もあるだろうけど、まずは私と言う人間についてご説明しよう」
「そうしてくれると助かるよ。君は昼にお会いしたマリオンとは――」
「同一人物と言うと少し違うし、双子と言ってもまあ違う。合ってはいるのだけど、とても複雑なんだけれども……」
一瞬言葉を探して、マリオンは一掬いしたスープを口に運んだ。美味な味にくふふと可愛らしい笑い声を漏らして呑みこむ。
「あえていうならば、肉体を共有した別人、かな」
そう言うと、マリオンは再びスープを一掬いした。
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