第45話 タングラスケルドを楽しむ話



「何を見ても、どこをとっても勿体無い場所だね」


用意された立派な客室前のラウンジの大きな窓から外を見ると、壮大な緑色が広がっていた。水場なのか沼なのかそれとも草なのかも判断がつかないほどに入り乱れた青と緑と黄緑に、思わず感嘆のため息が零れた。


「湿地帯ではある物の、緩い地盤を固定するために特殊な魔術で処理をした果樹を育ててその根で地盤を安定させている。湿地のあちこちから湧く温泉の薬効を十分に吸い込んだ果物を加工して、販売する……合理的だねえ」


机の上に積まれた瓶や袋には菓子やジャムが詰め込まれている。一つ焼き菓子を頂いたが、使われている乾しブドウは滅多に口にできないくらいに瑞々しい甘さだった。


「温泉からとれる結晶は調薬や錬金術にも用いられるようです。少量ではありますが王都にも卸されているそうで、いい値段がつくそうですよ」


ラウンジの椅子に腰かけていたヴィルジュは、手の中の半透明の黄色い結晶をしげしげと眺めた。


「グラス温泉結晶ですか」

「ええ、王都やトルガストでは中々見かけない品の上、とても大きなものでしたので購入しました」

「ああ……ダラムでは需要が無い物ですが、あちらでは欲しがる方が多いと聞いています」


満足げに結晶を見つめるヴィルジュを珍しそうに眺め、ヒューは不思議そうに首を傾げた。


「グラス温泉結晶、ねえ……?そんなに貴重な物なのか?」

「それはもう、その通りとしか言いようは無いですねえ」


結晶を手の中で転がしてヴィルジュは満足げに鼻を鳴らした。


「これ1グラムで、下手をすると金よりも価値が上がることがあるんです。それが……これでしょう?いい買い物をしました」

「金より高いだ!?」

「ウッソだろオイ!」


会話をしていたヒューと流れ弾を喰らったコーディは、思わず叩かれた様に後ろに跳び下がった。ヴィルジュの手の中の結晶は中々に美しいひし形の立方体で、其れが大きい物に小さいのがいくつもくっついているような形をしている。大きさは赤ん坊の拳ほどであるが、これをヴィルジュは薬局の出店の様なところで購入していなかっただろうか。


「ちなみに、此処ではそれ、おいくらだったんですか……?」

「600Bだね」

「ウッワ」


まさかの値段にハミルとシメオンもゆっくり後ろに下がった。価値の違いがえげつなすぎる。


「此処については調べたことがありますが、昔はここと王都を往復して温泉結晶で一財産築いた商人も居たそうですよ」

「今はいねぇの?」

「まあ、重たい上に往復が手間ですから。昔は難病だったドーウィン症候群の特効薬に必要な物でしたから取引も盛んでしたが……今は別の物で代用が出来る様になりましたし、当時と比べて価値は変わっているでしょうね」

「この石を薬に使ったんですか?」

「錬金術によってこの結晶の薬効を抽出するんです。毒になるものは分離した後に無毒化して堆肥にしたとか」


薄い黄色に似た黄土色のその結晶はつるんとした表面をしていて、人の体に良い物が入っているようにはとても思えない。


「こう見えて、もっと小さい物は入浴剤にも用いられているんですよ。お湯に入れると簡単に溶けてしまうので扱いには注意が必要なんです」


そういって、ヴィルジュは懐から瓶を取り出してその中に結晶を入れ込んだ。蓋には封印と保存の魔法の紋章が刻まれているから、瓶が割れない限りこの結晶が劣化するようなことはあるまい。細かい結晶も一緒に入れられているから、何かの研究材料にでもするつもりなのだろう。


「しかし、本当に穴場と言っても良い位に良い所だねえ」

「ああ。食い物は美味いし涼しいし、人が少ないから広々していてストレスにならねぇ」

「はい、カジミイル様も残念がっておられました。アクセスさえ良ければ、もっとダラムの観光業の中心になるのに、と」


シルヴとヒューも満足げに頷き合い、其れにシメオンが頷き返した。本当に勿体無いの一言なのだ、この地は。


「それでもこの良さは喧伝すれば多少でも名は上がっていたはずだけど……それが無かったのは、原因は今までの当主かな」

「――でしょうね。人が入ってくれば醜聞が広がるのは想像に難くありませんから、態々この領地を囲ったのでしょう」


全く持って胸糞が悪くなる話である。正直タングラスケルドの醜聞が耳に入ってくるのが遅れたのは、無理やり整えられた情報規制も要因であった。それがどうにかなったのは、マリオン卿が無理やりその歪な情報規制を整え直したからである。


「この情報統制を改善したことと街の住民の評判から、マリオン卿の人格には問題なしと判断しましたが――多分、問題点は夜、ディナーで出て来るでしょうね」

「さっきから見ればわかるとか言葉にしがたいとか、中々煽ってくるなあ」

「とても複雑な事情でね……我々も勿体をつけて悪いとは思っているんだ。でも、こればかりは書面や他人の口から説明するのが難しいんだ。……すまないね」


コーディの不機嫌な言葉に、シメオンは申し訳なさそうに謝った。


「本当に繊細な問題で……正直、私もどう説明すればいい物やら本当に判断がつかないんだ」

「だからカジミイル殿よりも最終権限に近しい私が、本人から事情を察知してほしかったんだろう?」

「その通りです。説明は、出来ないわけではありませんから」


随分と慎重な決定だ。ハミルは理解し難くて眉を顰めたが、もしかしたら自分の考えの及ばないこともあるのだろうと思って不服な考えを腹に収めた。


「そう言えば先生、転移の魔方陣なんだけど」

「はい?」

「ダラムには描いてきたんだよね?」

「ええ、勿論。エデルヴィス城の大広間に描かせていただきましたよ。勿論カジミイル様に許可は頂いています」


確かな情報だ。シメオンはカジミイルが豪快に笑って許可を出したのも見ていたし、扉を開けてすぐの大広間に大きな紋章を描いていたのも見届けたし、どういった魔方陣なのかも説明を受けていた。


「あれって先生、負担かかるのかな?」

「描くこと自体は誰でも出来ますよ。時間がかかったのは、紋章の開発ですから」

「それって、そこらへんにも敷けるのかな」

「それは……そうですねえ」


そう言って、ヴィルジュはううんと考える体勢に入った。


「劣化しない魔術も組み込んではいますが、出来るなら劣化しにくい環境に敷いておいてほしいというのはあります」

「――まあ、確かに土台が壊れたら使えないね」

「後は……ううん、ある程度の条件付けはしていますが、その条件を達成してしまうと誰でも使えてしまうので……信頼できる人の監視下に会ってほしいのも本音です」

「ははあ、成程ね」


ヴィルジュに言われて、シルヴはどうしようかな、と頭を捻った。正直、想像以上に保養所としてとても魅力的な場所なのだ。気疲れした部下たちを療養に出してやればこの街も潤うだろうし、お互いに良い関係が築けそうなのだが。


「できれば本気でこの街のどこかに陣を強いて欲しいなとは思ってるんだけれど」

「一番いいのは、まあここですね。マリオン卿が信頼できる御人であることは分かりましたが、まだ評価が正式ではありませんし」

「ううん、マリオン卿の為人を確認して、評価を正しく下して、もしも彼がタングラスケルドの領主となった後にお願いしてみればいいかな」


これまた長い手順だ。先の事を考えるのは嫌いではないが、これからの手間を考えて、シルヴは深く深く溜息を吐き出した。




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