第44話 領主候補『マリオン』の話



一直線に伸びる横幅の広い道の先に聳え立っていたのは、一見するとシンプルな作りの古城だった。左右は非対称で、正門の真ん前に大きな彫像が鎮座している。

余談ではあるが、とある世界線において建築に多少でも造詣や拘りがある人間が見れば、繊細で優美なその女性的な城を見事なロココ様式と呼んで愛でただろう。


「美しい建物だね」

「なんでも、この辺りを整備して静養地にまで整えた貴族の物をそのまま流用しているそうです。確か、城の名前が――リトル・エデルヴェス城」

「リトル?とても大きく見えますが」


シメオンの解説にハミルが目を瞬いた。中央都のバルザミンヌ城程とは言わないが、広い敷地を存分に使い込んだ贅沢な庭造りと言い、傍目から見たその大きさと言い、中々の規模である。


「元々この城を使っていた貴族が、これよりも大きな城をダラムの中央都に建てて移ったたんだよ。豪壮華麗な建物だっただろう、あれがエデルヴェス城だよ」

「でも、どう見てもこっちの方が大きいような」

「それはまあ――大人の意地と言うか、矜持と言うか」

「それはですねえ」


答えに窮したシメオンにくすりと笑い、ヴィルジュが指を一本立てた。


「今でもそうなのですが、貴族階級は古い方に小、とか、古、とか、そう言う言葉を付けたがるのです。『あっちの方が小さいもの、古い物だったから、もっと立派な良い物の方に変えてやった』と見栄を張っているんですね。ま、ぶっちゃけそう言う風習です」

「ああ、そういう……」

「リトル・エデルヴェス城はタングラスケルドの立地上あまりにも周辺のアクセスが悪いので、アクセスが良いダラム中央都になった所に当時では最先端の建築様式でお城を立てて、有望な民衆を連れて引っ越したのでしょう」


元々のリトル・エデルヴェス城にはリトルの言葉がついて居なかったのだろう。そう推測を加えると、シメオンはほっとした顔をして頷いた。


「エデルヴェスと言うと……何でしたっけ」

「高山に咲く珍しい花の名前だな。岩場の、崖なんかに細々と咲いているのを何度か見たことがあるが――武骨な場所に咲くにしては華麗な花だよ」


白く美しいこの可憐な花は、薬草としても優秀なこの花を求めて命を落とすものも多かったと聞く。成程、この城も良く似た雰囲気である。


「お待ち申しておりました」


家令だろう老執事が中から出てきて、恭しく礼をした。中々に躾が行き届いている。


「当主が首を長くしてお待ちでいらっしゃいます。どうぞこちらへ」

「ありがとうございます」


入口に鎮座する美しい天使の彫像の見事な噴水を回り込んで入口に入ると、中は豪壮華麗な装飾が施されていた。細やかな小さな彫刻は丹念に作られており、床には上質な柔く薔薇色の絨毯が敷かれていた。壁の装飾は見るからに古いものだというのに手入れは行き届いており、中に飾られている骨董品も煌びやかさはない物の随分な上物ばかりである。


「ようこそ、タングラスケルドへ。歓迎いたします」


豪奢な絨毯の先、両端の壁際から放物線を描きながら延びる緩やかなサーキュラー階段の頂点、バルコニーの様に突き出した手すりに気軽に手をかけて、その人はこちらを見下ろしていた。


「こんにちは、マリオン卿」

「シメオン卿、こんにちは」


優雅な立ち姿の人は微笑み、手摺伝いに階段の低いステップを踏み締めながら下りてきた。

その立ち姿を裏切らないほどに優雅で非の打ち所の無い身形と所作である。


「私はマリオン。マリオン・セラフェン・タングラスケルドと申します」


ことんことんと立つ足音すらも優雅に感じられて、ハミルがひええと小さく戦慄いた。コーディだって同じような反応をしたい。正直、ここにいないシャルが憎らしくて仕方が無かった。何と言うか、綺麗すぎて、美し過ぎて化け物に相対したみたいな気分なのだ。

多分シャルが真面目に身形を整えれば近しいかもしれないが、普段の態度を考えるとノーカンである。それくらいに見たことのない美形なのだ。


「此度、タングラスケルド領主セラフェン家の次期当主として名を挙げております。どうぞ、よしなにお願い申し上げる」


吊り上った眼元と桃色に近い薄い紫色の瞳は得体がしれず、だというのに目線を外しがたい。

やや長い髪は結って肩に乗せられているが、整った濃い色の髪は黒かと思って見ていると光を透かして紫色に透けて見えるので多分葡萄色なのだろう。

男とか女とか、そういう垣根とはまた違う境界の容姿であるその人は、見目を区切るならば『美形』とか、『美しい人』の括りだろうか。


「――シルヴィスです。宜しくお願いしますね」

「どうぞ気軽にお接し下さい。私は臣民ですから」

「そうかい?じゃあ、よろしくね、マリオン」


にっこりと微笑んだシルヴも気圧されているのか、少しばかり緊張が見えるような気がする。差し出された手と握手するシルヴの表情が優れないことに気づいたのか、その麗人は目を瞬いた。


「このような辺鄙なところまで、本当にお手数をおかけした次第で申し訳ございません」

「いや、こちらとしてもちょっとした休養気分だから気にしなくていいさ」

「ところで殿下」


マリオン卿はほんの少し声を潜め、まるで内緒話するかのように手を口元にやった。


「私、少々猫を被っているのですが――」

「ねこ?」

「そろそろ取っ払ってもよろしいでしょうか」


え?シメオンが突如ひざ裏を蹴り飛ばされて転倒した直後のような顔をしてマリオンを見た。シルヴは先ほどの気圧される美貌とは違う表情を急に見せられて、興味深そうな顔をしてマリオンを見た。どうにも楽しそうで、まるでいたずらで掘った落とし穴に誰がかかるか待ち望んでいる子供のような顔である。


「……いいね、ネコ。そう言う正直なの好きだし、取っ払っちゃっていいよ」

「本当に?」


まじまじとマリオンの秀麗な顔がシルヴを覗き込み、シルヴも無言でこっくりと頷くと、ぱあっと美形の顔が華やいだ。


「ヤダー!寛大じゃないのォ、で・ん・か♡」

「はぇっ!?」


がらりと変わった美形の態度に抜けた声を上げたのは、多分コーディである。多分。ハミルかもしれないが。

改めて二度三度マリオンを見る。身長は高くも無く低くも無く、男であれば低く、女であれば高い程度。しかし身に付ける衣服は上品で美しくはある物の紳士物。その体躯も、そこまで鍛えているわけではなさそうだが胸板も肩幅も整っており、どこからどう見ても青年である。


「アタシ、普段はこういう喋り方なのよーぅ。でもでもォ、カワイイでしょ?」

「…………ぅん、かわいいね」


流石に不意打ちが過ぎて、シルヴは呆けたままに頷いた。黙っていれば端麗な美形だというのに、女性的な立ち姿や口調は流石にショッキングだった。


「今はちょっとテンションあがっちゃってるんだけど、いつもはもうちょっと大人しいのよ?でもでも、殿下が来るっていうから、ちょっと緊張してるっていうかァ、アガってるっていうかァ……!」

「ま、マリオン卿、え?」

「アラやだ。シメオン卿驚いちゃってるゥ?ごめんなさァい、アタシの本性ってこんななのよォ」


心底不可解な物を目にしたシメオンの心象は流石に推し量れなかったが、多分全員同じような気分であろう。


「……話に割り込ませていただきますが、マリオン卿は、その、今までその性格を隠していらっしゃったんですか?」

「そりゃそうよ。だって、こんなのが領主とかちょっと印象悪いでしょ?だから外の人相手にするときはネコ被ってたのよ」

「では、カジミイル卿の報告にあった『得体がしれない』と言うのは」

「これもまあ、あるかもしれないケド……もうちょっと事情があるのよねェ」


頬に手をやり、マリオンは困ったような顔をした。


「アタシが本性を隠していたのもあるんだけど……こればっかりはちょっと、言葉で説明がつかないのよね。もいっこ本性があるっていうか……」

「説明がつかない?」

「まずは見ればわかる……のだけれど。それには時間が必要だわ。ディナーの時間まで待っていて頂戴」


マリオンは先ほどの神々しいまでの登場の仕方と違って人のよさそうな顔でにこにこと笑ってうふふ、と乙女の様に笑って見せた。これが本来の彼だというが、確かに良く似合っている。


「今日は長らくの度でお疲れでしょう。部屋の準備は整えておりますし、暫くはうちでお休みくださいませ」

「いいのかい?」

「ええ。うちには自慢の浴場も御座いますし、街も観光には向いていますから――いい休養になると思うわ。とっておきのディナーも準備しているのよ!」


心底の笑顔でそう言ったマリオンの表情に嘘はなく、シルヴは同じく笑顔で頷いた。




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