第43話 かつての暴悪の話



「俺はここで待ってる」


タングラスケルドの街門を見上げて何かを確信した顔をしたシャルは、更に中を覗き込んで一つ頷いてから宣言した。予想通りだったらしい。


「何も無いけど、いいのかい?」

「開門待ちの為の宿があるから、べつにいい」


街門が閉まっている間に待機する為だけの物だが、外付けの宿屋はある。シャルはそう言って、さっさとその宿に逃げ込んで行ってしまった。仕方なくヴィルジュが後を追う。


「おや、いらっしゃい?」


宿屋を営んでいる老夫婦が驚いた顔をして出迎えた。仕方ない。今の時間は大っぴらに門が開いているのだから、用事がある客なんてそうそう居ないだろう。苦笑して、ヴィルジュはシャルの肩を後見人らしい顔をして抱いた。


「申し訳ない、実はお願いがあるのですが」

「暫く泊めて欲しい」


ヴィルジュの言葉を遮る様に言ったシャルに、おやあ、と老婦人が不思議そうな顔をした。ご尤もだ。


「うちは門が閉まってる間の為のお宿ですが――どうせ泊まるなら、きちんとした街のお宿の方がよろしいのではありませんかね?」

「事情がある。街には、入りたくない」

「――それは……?」

「申し訳ございません、出来るだけ説明いたしますね」


にこにこ微笑んで疑問をうやむやにさせ、ヴィルジュはシャルの背中を押してカウンターに座らせた。困惑の顔をした老婦人が更に木の実を盛ったのと水を一杯出してくれた。


「や、これはどうも御親切に。――実は彼、幼い頃にこの街に住んでいたそうなのですが、少々恐ろしい目に合ってしまったそうでして。あまり良い思い出が無く、入りたくないそうなのです」

「そ、そうなんだ」

「あらあ」

「今は冒険者をしていまして、今回は街の異動の最中の護衛の仕事の最中だったのです。雇い主が街に用事があってのことなのですが、用事の間だけ、この子を泊めて頂いても?」

「まあまあ」


老婦人は心底心配げにシャルをみて、それからほんわかと微笑んだ。


「そう言う事でしたら、構いませんよ。連泊なんて初めてですので、お値段は張ってしまいますが――」

「それは構いません、無理を言っているのはこちらですので」


婦人の言葉にしっかりと頷いて、ヴィルジュは懐から財布を取り出した。しかしそれを押し止めてシャルが自身の財布を取り出す。


「俺のわがままなんだから、ちゃんと俺が支払う」

「この通り、素直でいい子で聞き分けが良いので、お手間はかけないと思います。――我々は長くとも三日で変える予定では御座いますので」

「それでしたら、わかりました。じゃあ、すこしお部屋を整えないといけませんねえ」

「お、俺がやる!」


重たそうな腰を持ち上げようとした老婦人にそう言うと、シャルはぱっと慌てて立ち上がった。ステッキの様にぐんにゃりと押し曲げたみたいな腰の老旦那が杖を突いてよたよたと歩き出す。


「部屋はこっちだよ」

「わ、わかった」


慌てて老旦那を追いかけて行く生徒を見送り、ヴィルジュはさてと水を一口流し込んだ。


「少々、これから入って行く街の事に着いてお話を伺いたいのですが……マリオン卿の事とか」

「マリオン様のことですか?」


好人物の事を聞かれたように老婦人の顔が喜びに華やいだ。


「素敵な御方ですよ。此処何代かのタングラスケルドの領主さまの中でも、一番住民を大事にして下さっているんです」

「おや、そうなんですか。先代や先々代は、其れほどに……問題が?」

「あんまり大きな声で言って良い事じゃあないんですけどねえ」


老婦人は困ったような顔をして、誰もいない店の中を見回した。まるで誰かに聞かれると困ると態度で言っているような素振だ。


「先々代のモーリック様の頃が特にそうだったんですけどね、この街では『娘が生まれたら余所にやれ』と言われていたんですよ」

「そんな言葉が横行するほどに、女癖が悪かったんですか?」

「…………あんまり、面白いことではないんですけどね」

「教えていただきたい」


いつの間にか店に入ってきていたシルヴが、ヴィルジュの隣に立っていた。そうだ、彼はそれを詳しく知るために来たのだ。


「ご婦人、私はそれらを正しく知るために来たのです」

「そう……そういうお仕事ですのね」


それならもったいぶってはいけませんね。老婦人は少しだけ諦めたみたいな顔をした。


「先々代モーリック様は大変に好色な方で、街の年頃の娘は勿論、見目の麗しい女には所構わず、手段を問わずに手を出していたそうですよ」

「と、所構わず?」

「御妾のエリッサ様は近くの……今はもうなくなってしまった集落の娘だったんですけれどね、とても名うての冒険者だったんですよ」


冒険者が妾に?流石にシルヴも面食らい、目を白黒させた。冒険者とは権力を嫌うものが多く、あちこちを飛び回りたがるものだ。事情があるとか目的があるとかそう言うのもあるが、まあ大体は好き好んであちこちに行ってみたいというものが多い、そう言う気質なのだ。


「エリッサ様はとてもお強く、お優しく、そしてお美しかったんです。それは今でも損なわれていらっしゃらないのですが……少女だったころは尚の事、美しいお嬢さんでした」

「今もなお、ですか」

「マリオン様のお母御ですから」

「ああ、そういう――」

「お優しいお嬢さんでしたから、ご両親が御病気に倒れられて、なりふりを構えなかったんでしょうねえ……今でも可哀想に思います」


病気。その言葉におや、とヴィルジュは眉を片方上げた。


「病気にかかられたご両親を養うために、エリッサ様はモーリック様の下に通っていらっしゃいました。金の融通をお願いしての事かと思われていたのですが……」


鉛でも吐き出すかのように苦しそうに、老婦人は口を開く。


「その頃は奥方がいらっしゃいました。ですが、そちらが流行病で亡くなられて直ぐに嫁がれたのです……その頃にはエリッサ様はご懐妊されていらっしゃいましたが」

「どう見ても婦女暴行の犯罪ですねえ」

「誰もがそう思いました。そこで大人たちが調べてみると、見目の良い娘たちが悉く食い物にされていて……あのころは大騒ぎでした」


なにせ、評判の娘たち全員が純潔を奪われていたことが分かったのだ。親たちは憤慨したし、少年たちは動揺した。


「節操の無い、猿の様な男です。老いも若きも問わず、麗しい物は片っ端から貪っていたんですよ。……この街は人の出入りが殆どなく、あるのは貴族や金持ちの出入りのみ。誰もそんな方々に助けは求められなかったのです」


老婦人は諦めたように目を伏せた。


「勿論反抗を考えた者も居ました。ですが見つかる度に晒し者にされては、誰もそんな気を起こせなくなり……目を瞑るしかなかったのですよ。ですから、ウォルークが暴れた時は皆喝采を上げていましたねぇ」

「ウォルークとは……」

「セラフェン家お抱えの木こりです。ディクター様の当主就任と共に、祝いの席の余興に死刑を執行されましたが――とても人格者でした」


私たち夫婦はね、彼とは同級生だったんですよ。老婦人はそっと内緒話でもするように囁いた。


「ディクター様は、見た目こそ母君に生き写しで麗しくはありましたが――中身は父親によく似ていました。しかもまだ若く――家臣を御するなんて考えたことも無いような人でしたからねえ。ですから、部下たちまで好き勝手するようになって」

「……考えたくも無いな」

「ええ、ええ。地獄と言う言葉が甘く感じるほどに酷かったですよ。ですからあの男がヴァッレシアに送られて、住民は皆手を叩いて祝杯をあげたもんですよ」


だろうな。シルヴは穏やかに頷いた。

犯罪の中でも重犯罪とされる物は、国家元首によって直々に捌きが下ることがある。ヴァッレシアは女性を尊重する文化が強く性犯罪についてはより一層厳しいから、きっと玉座の間でのお裁きが下るだろう。


「ヴァッレシアの今の王は女王陛下であり、随分な人格者だと聞いているから、きっと悪い事にはならないだろうね」

「ええ、存じております。マリオン様からそのように、直々にお話を伺いましたからねえ」

「……随分と、足の軽い御仁なんだね?」

「被害者全員を調べ上げて、謝って廻ってくださったんです。それからは住民は平和に過ごせていますから」


そう言うと、老婦人はコップに水を継ぎ足した。


「マリオン様の謝罪で、深く傷ついた住民たちは前の輩と同じく見ることはやめようと踏ん切りがついたのですよ。今までの偉い人は、私たちを数でしか見てくれなかったから、ただただ嬉しかったんですもの」

「ご婦人も、ですか」

「勿論ですわ。私も夫も、だからこの街に留まろうと思ったのですから」


老婦人はにっこりと微笑んだ。まるで今までのしこりが全て解けた様な、痒かった背中が治ったみたいな晴れ晴れとした笑みで、しわがれた皮膚に埋まった瞳は水色と緑色を混ぜた様なとても美しい物に見えた。




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