第41話 シメオンの失言の話
「えっ、そんなことってある?」
「ご!……ゴメンナサイ」
「殿下……」
「えっ?あっ、ごめん……」
その報告に思わず驚きの声を上げたシルヴに罪はなかったが、しかし少々家族の事を思い出してしまったせいで傷つきやすくなってしまっていたシャルには少しばかり痛い言葉だったらしい。目に見えてきゅっと眉を寄せたシャルをジャネットがぎっと無言でにらみを利かせ、シメオンとカジミイルが大人げない物を見る目をした。為政者としてはちょっと悪い行動だった。
「あの……」
「いや、ごめんね。本当に今のは私の失言だった。シャルは出来ないことをちゃんと言いに来てくれたのに、私が勝手に残念がったんだ」
申し訳なさそうにしょんぼりとするシャルの頭を撫で、さてとシルヴは気持ちを切り替えた。課題が出来てしまったのだ、ずっと凹み続けるのも良くない。
「ううん、でも少し困ったのは本音だよ。私がトリスとルベルを置いて外出できているのは、護衛を固められているからだし……」
「でも、俺はタングラスケルドには入れない」
「そうだねえ、どうしようか……」
ううんと唸ったシルヴの後ろで、ヴィルジュがそうですねえとのんびり相槌を打った。
「シャル君、タングラスケルドに入らなければ、問題はありませんか?」
「……おばあさまは、帰ってきちゃダメだって言ったから、でも、入ってなければ帰ってきたことには、ならない、と、思う」
「では、入口までの護衛をお願いしても?」
「!」
ぱちんぱちんと瑠璃色の瞳が何度か瞬いてまるまると見開かれた。皿の様とはこの通り。表情はあまり変わらないくせに、やたらと目で語る生徒だ。
「でも、そうするとタングラスケルドの中の警護が困ると思うのだけど」
「ええ、そうですね。――ですのでカジミイル殿、一人ほど御手を借りたいのですが」
「む、構わんぞ。今の所込み入ったこともないし、余程の事でなければ何事かあっても俺一人で十分だ」
流石の頼もしい言い回しだ。――お父様は昔、名の通った冒険者だったのよ。ジャネットが自慢げにハミルに耳打ちした。その表情は屈託のない笑みで、ハミルもつられて微笑んでしまうほどに無垢な物だ。凄いですね、素直に返すと無邪気にうふふと笑い声を漏らした。
「シメオン、頼めるか」
「わ、私ですか?」
「大事な王子殿下の護衛だ。しかも、この御方が自ら選ばれた護衛の代わりだぞ?生半なのは寄越せんだろう」
「それは、そうでございましょうが――」
書類を整えていたシメオンがぎょっとした顔を上げ、困ったような顔をした。仕事の心配をしているのか、酷く狼狽えているというか、何と言うか動揺したような様子だ。
「なんだ、嫌か?俺なら心配はいらん事は知ってるだろうに」
「……マリオン卿の事に手がかかり過ぎて、業務が滞っております。早急に他の職務に手を付けていただきたいのですが」
「それに関しては俺がどうにかできる」
カジミイルがにやりと笑ったが、シメオンの表情はどうにも不信感が強い。視線をシルヴたちに寄越して、それから不審そうな顔を更に顰めた。
「正直、閣下がお仕事を怠けられないかが一番心配なのですが」
「なっ」
どうやら元冒険者の領主殿はサボり癖でもあるらしい。ヒューはついにけたけたと笑い出し、コーディとシルヴは噴出し、ハミルも口元を引き結んでぷるぷると震えた。
しかし反論もしないところを見ると、そんな余地も無い位に図星らしい。決まりが悪そうにふんふんと鼻を鳴らして頭を掻きなぜるその表情は随分と情けない。
「大丈夫よ、シメオン。私がアンタの代わりに父さんのお尻を叩いといてあげるから、安心して頂戴!」
「なにっ?」
ジャネットがきゃらきゃら笑いながら間に入っていくと、カジミイルはぎょっと仰け反った。
「だって父さんたら、ちょっと時間の隙間が出来るとすぐに外に遊びに行っちゃうんだもの。お昼からお酒はダメって言ってるのにちっとも聞いてくれないし」
「マジかよおっさん」
生活習慣をあけすけに告白され、ヒューが更にぶっと笑いを漏らした。これもまた冒険者によくある習慣だが、どうやら若かりし頃のそれが抜けきっていないらしい。
「この前、提出間際の書類が完成間近なのの上にシードルぶちまけたのは、どこのどなただったかしら?」
「う、それはだなあ、えー、ええと」
「――心配なのですが」
大事な事なので二回言いましたと呟き、シメオンは困った顔をそのままにシルヴたちを見た。
「私としても応じ殿下の護衛の任は大変に名誉なこと。喜んでお任せいただきたいのは本心で御座います。が、それでもやっぱり、心配なのですが」
「三回も言ってやがる」
「この人もしかしなくても実はあんまり上司の事信頼してないな?」
ヒューが本性を滲ませ始めたシメオンに頬を引くつかせ、コーディが今まさに閃いた顔をして思ったままを口にしたが、この色男は聞こえているはずのそれに反応も見せずに困った顔そのままである。図太い神経をしていやがる。ヒューは更に続けて呟いた。
「なら、シメオンの代わりに私が行くのはどうかしら?」
「お、お嬢様!?」
「これでも弓の扱いにはちょっとばかり自身があるのだけど!」
「え、それは流石に」
「何を仰っている!」
急に売り込み始めた御令嬢にシメオンが慌てて声を荒げた。流石に領主御令嬢を、王子のとはいえ護衛に出すのは外聞が悪すぎる。シルヴがお断りをするより先にシメオンが、まるで厳しい行儀作法の家庭教師の様に鋭く声を上げた。
「それは絶対に、絶対にいけません!」
「なあに、ダメなの?」
「お立場をお考えください。お嬢様はディオール家令嬢なのですよ?もしも貴い方のものとはいえ護衛などと言う荒事に関わったと知られれば、後々に大きく響きます」
「響くってなあに?」
機嫌の悪い声を上げ、ジャネットは忌々しげにシメオンを睨んだ。先ほどから愛嬌のある顔立ちの癖に中々に眼力のある睨みだが、もしや父親譲りなのだろうか。ハミルは遠い目をしてそれを眺めた。意外と結構恐い。
「何、響くって。どういうこと?」
「どういうことも何も、お嬢様も十分にお分かりの筈ですよ。もしも外聞悪く伝われば、お嬢様の嫁の貰い手に困りましょう!」
「デリカシーって言葉を辞書でひいてきなさい、このポンコツ下世話男!!」
がおっと吠える様に叫ぶと、とうとう拗ねきったお嬢様はパッと背中を向けてしまった。重たい扉に体当たりをする様に押し開けて、勢いよく走り去って行ってしまう。
駆けて行くお嬢様を見たシャルはあれっと不思議そうな顔をして、とことこと後を追うように扉にとりついた。
「……お嬢様、泣いてたぞ」
「えっ」
「は、はい。あの、涙目でした、ね……?」
其処まで観察していなかったコーディが驚きの声を上げ、ヒューも思わず扉の方を見た。ジャネットは走り去って行ってしまったので、扉があるだけなのだが。
「…………ええと?」
「……おいおいシメオン、今のはないだろうに」
「私は何も間違ったことは申しておりません」
困惑したシルヴたちによりも先にシメオンに苦言を溢すと、カジミイルは訳知り顔のうんざりとした風情で今までで一番深々とした溜息を落とした。
「お前さんだって分かってんだろうよ」
「それはまあ存じておりますが。正直で素直な御方ですから」
「それがわかっててよくまああんなこと言えるなぁ」
「――年頃の麻疹でしょう。もう少しすればもっと気になる殿方が出てきますよ」
「そういうこと言うからお前ややこしい事になんだよ」
カジミイルは憔悴した声を漏らし、娘が去って行った扉をしょんぼりと眺めた。父親としては色々と複雑なのだろう。
「ふむ。我々はもしかしなくとも、痴情の縺れからくる痴話喧嘩を目撃したようだね」
興味深いね、実に実に、興味深いよ。こっそりと、しかしうきうきと独り言を楽しげにヴィルジュが繰り返す横でヒューが思わず頭を下げた。こっちのデリカシー皆無ポンコツ下世話男が申し訳ない。
そんな空気も読めないシャルがほんの少し剣呑な顔をした。
「ジャネットの事、苛めたのか?」
「え?いや、そう言うわけじゃ」
「でも泣いてたぞ」
「ないん、だ、けど、なー……?」
「…………それはまあ、そう」
驚くシメオンをジャネットの代わりだと言わんばかりに睨む紳士シャルの隣で、コーディが粛々と頷いた。今の空気で察した。どこからどう見ても惚れた腫れたが拗れてる。流石に自覚もあったのか、シメオンの勢いもあまりない。
「年頃の麻疹かもしれないけど、本気の物だってあるかもしれねぇだろ。ちゃんと向き直ってやれよ、アンタ大人だろ」
「とりあえずお前、ちょっと距離置いてお互いに頭冷やして来い。ついででいいから護衛もして来いや」
「…………ご随意に」
呆れたヒューとカジミイルがそう言うと、シメオンが困ったように項垂れ、小さく頷いた。
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