第40話 令嬢ジャネットの証言の話


「言っとくけどね、タングラスケルドはね、悪いとこじゃないのよ」


シャル達よりいくらか年ごろだろう少女は、畑の端で焚いていた焚火に放り込んでいた芋を両手で軽く投げるのに夢中になりながら、心なしぼんやりと言った。

綺麗な緑がかった金髪に茶色の瞳の綺麗な身なりの少女はジャネットと名乗り、更にここダラムの領主の娘だというが、その面影は瞳の色が揃っていることしかわからないくらいに似ていない。


「ダラムの中心から、イングヒルに片足突っ込んだみたいなとこにあるの。そのせいか気候が不安定でね、特に一年の四分の一は雪が降ったりするの」

「雪が……?」

「だから観光地としては中々有名でね、昔は王都の辺りが夏になると、避暑地として賑わったそうよ」

「ああ、なるほど。湿地帯なら良い風通しだろうしなあ」


ジャネットは熱々の芋を半分に割り、片方を食い入るように見ていたシャルに、もう片方をその隣のハミルに手渡した。

もう一つあった芋を引っ張り出し、再び熱いそれをポンポンと投げ始める。


「私、小さい時から何度も行ってるのよ、最近は行かないけど。観光の名所なんて何にもないけど、凄く広くて――旅行の最高の贅沢って知ってる?」

「テンプレートな話なら聞いたことはあります。遠くに出かけて、景色を楽しんで、何もしないのが贅沢だって」

「そうなの、それ。まさにその為にあるって感じの所。風が気持ち良くて、爽やかな所よ。寒い時期は雪が降るから水も綺麗でおいしくて、作物もとても良い物が出来るの。食品を加工したのが名産で」


綺麗な茶色の瞳をくりくりと輝かせて、ジャネットは楽しそうに笑った。その勢いで折れた芋の形は不恰好で、大きい方をコーディに差し出した。


「行ったことあるのか。じゃ、マリオンて人の事も知ってるのか?」

「知らないわけじゃないけど……少なくとも父さんやシメオンよりはよっぽど知ってるわ」


コーディは差し出された大きい方の芋ではなくジャネットの手に握りこまれている方を抜き取り、さっさと噛り付く。ほくほくと火の通った芋はじっとりと蜜で濡れていて中々に美味だ。


「私もよくわかんない人だなあ。悪い人じゃないのは保証するけどね」

「そんなに?」

「ディクターサン、良い人じゃなかったから」


嫌そうに眉を顰めて、ジャネットは頬を膨らませた。


「小さいとき、ディクターサン、私にイジワルばっかりしてきたの。で、私が父さんの娘だってわかった途端にあっからさまに胡麻擦りなんてしちゃってさ。カンジ悪いの」

「あー、そういうタイプだったわけな。俺も嫌いだわ」

「そう言う人を好きな人っているんですか……?」

「いないと思うわ」


わいわいと楽しげに話をする少年少女の中で、シャルが随分と難しい顔をして芋に視線を落としていた。


「……どうした?」

「あの、その、ごめん、えと、どうしよう」

「どうしたの、シャル?」


一番に気づいたのは流石なのかコーディで、その表情に気づいてジャネットもハミルもシャルの顔を覗きこんだ。

それにおろおろと視線を泳がせて、シャルは途方に暮れた顔をした。


「ダラムでは、雪が降るのは珍しい事なのか?」

「ええ。私は領主の娘だからダラムの全部の地理を勉強したけど、雪が降るなんてタングラスケルドくらい」

「じゃあ、俺はタングラスケルドに入れない」


シャルの唐突な宣言にえっとハミルが驚きの声を上げた。


「お前、タングラスケルドになんかあるのか?」

「うん、なんかある」

「…………そういやお前、身内から隠れてるんだったっけか」

「そう。俺は見つかっちゃいけないから、タングラスケルドには入れない」


なるほど。その発言でコーディは確信を持った。


「お前の故郷、タングラスケルドか」

「たぶん、そう。俺の故郷の山はこことそっくりの赤と緑と黄色だけど、雪が降ったから」

「それで、故郷には帰れないんだな?」

「うん。帰ったらいけないって、おばあさまが言ってたから」


酷く盲目的な信頼だというのに、シャルはそれが間違っているとは思ったことが無いみたいな綺麗な目をして言った。


「帰ったらいけないって……お前、ばあちゃんに嫌われてたのか?」

「そんなことない。おばあさまはいつも俺を抱っこしてくれた。大好きよ、いい子ね、って言ってくれたんだ」

「うーん?」


シャルは嘘を吐けない。いや、嘘をついても下手糞すぎて、嘘をついてる間にいつの間にか自白するなんて器用な真似をかますほどには頭が悪くて正直者だ。だから、本心から祖母を慕っているのだろうし、実際にやってもらったことを言っているのだろう。

でもだとすると、故郷から追い出す理由がわからなかった。

と言うか、こいつはそんなねじ曲がった教育で出来上がる人格はしてない。それなら確かに少なくとも祖母からは正常な愛情と躾を受けてきたのだろう。


「……お、おばあさまは良い人なんだ。おじいさまだって、おねえさまだって、俺の事を叱る時は、叱らないといけない時しか、叱らなくて、だから、大好きで、悪くないんだ」

「それは、シャルさんを見ていればわかりますが――でも、それならどうして故郷を追い出したんでしょう」

「わ、わかんない」


しどろもどろに応えるシャルに、ハミルとコーディはあんまりその様子が珍しくて顔を見合わせた。御喋りが苦手だからこそ返事がいつも簡潔なのに、随分ともやもやとした返事だ。


「あの、お姉様と祖父母の方々に関しては良い方だと判ったんですけど……という事は、隠れているのはご父母でしょうか?」

「ごふ……?」

「両親だよ。お前風に言うなら『おとうさま』と『おかあさま』、かな」

「ああ、おかあさまとおとうさま。…………其れも違うと思う。よくわからない、けど」


むむむむむ、と珍しく――戦場でも滅多に見ないくらいに――ぎゅぎゅっと形のいい眉が寄せられ、眉間に小じわが出来る。


「おかあさま、は、ぜったいに違う。だって俺が三つの時に亡くなられてる、から」

「そうなのか」

「す、すみません」

「別に、覚えていない人の事だから、気にしてない」


気に病んだ顔をしたハミルに比べ、コーディには予想がついていた。以前に『おねえさまと二人で暮らしてた』と言っていたのを覚えていたのだ。


「おとうさま、は、おとうさまは……本当に良くわからないんだ。お目にかかったことが、あんまりなくて」

「会ったことが無いのか?」

「あ、あるぞ。でも、あんまり会わなかった。大体いつも、俺がいない時にうちに来てて――おねえさまとお話はしていたみたいだけど」

「ふうん、事情でもあったのかねえ」


わざわざ避けられていたのか、姉が2人を会わせたくなくて誘導していたのか、それとも本当に何かの事情があるのか。実の親子でも顔を会わせると病気を発症してしまうなんて厄介な呪いだってあるのだ、予想もつかない。


「少なくとも普通の親子関係ではねぇな」

「そ、そうなのか?」

「普通の親子なら、多少難しくても、お互いに会おうとする物だと思いますけど……まあ僕はそう思うだけ、ですが」

「まあ、そうだよなあ」

「そう…………そう」


ハミルとコーディに指摘されて、シャルは何度も頷き、噛み締める様に俯いた。悲しいのか悔しいのか、それとも怒っているのかは読み取れなかったが、あまり楽しい気持ではないことはその場の誰もが分かった。

ずんと重くなった空気を裂く様に軽快な音が一つ響く。ジャネットが手を、大仰に一つ叩いたのだ。


「もういいかしら?」


つんと棘のある言い方でコーディとハミルの前に立ち、シャルに背を向ける。まるで苛められっこを庇うような立ち位置に、コーディとハミルは少々責め過ぎたことに気づく。


「御喋りが得意じゃない子を、寄ってたかっていじめないの。……つまり、シャルはタングラスケルドに入れないかもって事でいいのね?」

「う、うん」

「なら、伝えに行かないと。十分時間もかけたし、あっちの大人たちのお話もいい加減終わってるでしょ。早く行かないと、あっちの予定も狂っちゃうわ」


ジャネットはそう言って急かすと、焚火を起こしていた簡易釜戸に遠慮なくじゃかじゃかと砂をかけた。焚火を起こす前に住みと砂を掻き出して燃え残った薪に新しいのを継ぎ足していたから、こういうルーティーンでも決めているのだろう。


「さ、少し急いで下りましょ。ほうれんそうは速やかにする物よ」

「ほうれんそう?」

「少なくともお前の想像してるものとは違うからな」


いつもなら捨て置いた後で勉強会を開くのだが敢えて指摘を入れて、コーディはほら、とシャルの背中を叩いた。



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