第37話 ダラムに向かうことになる話
「……ダラムで騒動?」
「正しくはダラムの一部領地で、でですが」
「それでもダラムだろう」
「それは――そうでございますが」
ダラムという領地は、レトナークでも指折りの安定した領地だと記憶していたはずだが。
シルヴがひときわ珍しく厳しい顔をすると、ため息交じりにエーディアが訂正を入れた。
「それで?ダラムのどのあたりなのかな?」
「タングラスケルドです」
「ええと、タン、グラス、ケルド……?あまり聞かない地名だなぁ」
「僻地の小領地だそうです」
立ち上がって地図を覗き込んだシルヴに倣い、同じく地図を覗き込んだエーディアがここ、と指を差したのは、成程確かに随分と僻地だ。まるで練った小麦から人欠け千切り取る直前の様に山々にぐるりと囲まれているそこは、湿地帯を表す色気の優れない黄緑色で斑になっている。
「随分と運営に困りそうな立地だな」
「ずいぶん昔に王家の分家の避暑地として使われていた所を、当時の下級貴族の従者が拝領したそうです。なんでもその分家の御令嬢との婚姻を結ぶための建前だとか」
「へえ、其れならば私はここの領主殿とは、遠い遠い、気が遠くなるほどに遠い親戚と言う事になるのかな」
「それが、そうとも言い切れないのです」
エーディアがまるで汚物を話題に出したような顔をして地図を見下ろした。
「数代前より、随分と、その…………下半身と子孫と言う物の価値観が緩くなっていたようで。その為に騒動が起きたと」
「ああ、それでこちらまで手紙が来ていたのか」
「足が一番軽い王族が、殿下だと判断したそうです」
タングラスケルドと言うダラムの一領地での騒動は、随分と複雑な物らしい。手紙の中にはどうか相談に乗ってくれと言う痛切な訴えが乗っていた。尊大だと思われるだろうが王子の力を借り受けたいとも。エーディアも父エトヴァーも領主代行として友好を結んでいるダラム領主の訴えだから流石に無碍にも出来ないし、個人的にも力になりたい。
「申し訳ございません、殆ど個人の事情ではあるのですが――ダラム領主殿には大変に世話になっているのです。私が未熟な頃に、仕事を肩代わりしていただいたことも多く――あの、厚かましい事ではございますが、お力をお貸しいただけないでしょうか」
「ううん、まあ、そうだねえ」
シルヴはふむと口元に指を置いた。
ダラムは天災に多く見舞われる災難の多い地ではあるものの、その統治は盤石である。
先代領主のいい加減で脳筋な政治から一転して、現在の領主の丁寧で丹念な統治によってここまで持ち直したことは評価に値する。その領主が相談を持ちかけるには、其れほどの何かがあるのだろう。
「カジミイル殿は何に悩まれてそのような手紙をこちらに回したのかな」
優秀な副官と利口な娘に支えられていると快活に笑っていた彼の領主殿は話の分かる人で、シルヴの聖魔戦争における姿勢も批判せず、それどころか称賛して下さった好人物だった。優秀な人材は障害を取り払ってでも登用するほどに人を見る目と人望に溢れていており、その統治能力や問題への処理能力は優れていたと思うのだが。
「正直、私の出る幕が無いと思うのだけれど……そのタングラスケルドとやらの後継問題かな?」
「そう、なりますね」
溜息を吐き、エーディアは手紙にもう一度目を走らせた。
「タングラスケルドは元々僻地で、年に一度の年末年始の挨拶程度しか出来ていなかったためにその統治に問題はないと思われていたそうです。実際は結構な圧政と階級主義で民を圧迫していたそうですが」
「良くある話だね、カジミイル殿は多忙だったし、政治も先代のせいで荒れていたから、中々統一は難しいだろう」
手紙の内容は中々に面倒で、しかも調査結果も織り込んで報告が必要なのでエーディアは背筋を正した。
「ケチがついた事の始まりは、領主モーリックの死亡から始まります。彼は従者として抱えている木こりに殺されています。5、6年前ですね」
「え?はあ?木こり?え、どう見ても何かあるね」
「そうなんですよね。ですが、何の調査も無くこの木こりは死罪にされています」
報告書類を開いて、エーディアは奇妙な顔をして見せた。彼女も理解が及ばないらしい。
「領主モーリックの死亡後は、直ちにその長子ディクターが後を継ぐ形で領主に就任していますが……あまりお行儀のよい御仁ではなかったようですね」
「お行儀が悪い、とは?」
「葬式があまりにも簡易的で、更に喪に服す期間もそう無かったようです」
「ああ、それは確かにお行儀が悪い」
こういったものは慣例を重要視するのが通例で、だからこそ後に領主になる者はこういったときは先代の葬式を丁重に行い、十二分に喪に服し、その間に領地を整えて、その後にようやく就任となるものなのだが。
跡取りであるディクターとやらは、父の死後すぐに欲望のままに領主の立場に立ったらしい。エーディアの『行儀のよくない人』という評価がその通りであるならその緊急性も無かっただろう。
「それで?今問題になっているからには、何かあったのかな?」
「ディクターの捕縛です」
「へえ、悪い奴は捕まるって奴か。それで?」
「その兄弟に当たる『マリオン』と言う人物が暫定的に当主の立場になられたそうで」
兄弟。弟か、妹か。どちらかなのはわからないのか。シルヴが小首を傾げたが、エーディアも同じように首を傾げた。
「……マリオン卿の当主就任の評価をしたいそうなのですが……ええと、それに関してカジミイル殿が困惑されていらっしゃって」
評価。四つの大領地を治める領主は、それぞれ管轄になっている小領地の領主の認定や着任をレトナーク国王の代理として任命する立場にある。その良し悪しや可否を決めることを評価と呼ぶのだが、それが何だというのだ。
「性格は、悪ではなく。しかし、あまりにも謎が多すぎて評価基準に至らない、と」
「謎が多い?」
「色々と頭の痛い案件が、タングラスケルドに積み上がっているそうで」
「ははあ?」
「書面での報告には色々と足りないものがあるとのことで……直に報告したいとのことなのですが」
酷く困った様子のエーディアに、ふむとシルヴは頷いた。
書面では色々と憚られるという事は、本当に色々な醜聞が――しかも、出来れば形に残したくないほどの嫌な――何かがあるのだろう。そう考えると、シルヴはいいよと微笑んだ。
「この件に関しては私が動くよ。どうせダラムには聖魔戦争への協力を改めて取り付けに行く必要があるのだから、用事が無いわけではない」
「その様に仰っていただけると幸いですわ」
流石に厚かましいと思っていたのだろう、エーディアは浅いながらもほっと溜息を吐いた。美人の顔色が悪いのは、やはり見ていられない。
「しかしそうなると護衛が必要になるね。話の内容にもよるけれど、少々下品な内容に触れることもあるから――できれば男性で固めた方がいいかな」
「そう……ですね。できれば成人以上の男性に限定したいものですが……実力のある冒険者が、その」
「分かってる。人材が少ないんだよね、本当に」
ううんと腕を組み、シルヴはそれじゃあ、と考えを巡らせた。
「ヴィルジュ先生を借りてもいいかな。トリスとルベルは置いて行こうと思うのだけど」
「構いません。教師の業務は他の教師に割り振ることが出来ますし、長期間でないのであれば問題も御座いません。彼女らにはデスクワークを頼むことになってしまいますが……」
「構わないよ、私も彼女たちもデスクワークは慣れっこだ」
そう微笑むと、シルヴは地図をもう一度見下ろした。
タングラスケルド。あまり楽しい話にはなりそうもない予感ばかりがした。
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