第35話 サザラントで演説をする話



がしゃんとありきたりな音を立ててぶちまけられた壊れた人形は、いかにも吸血鬼の姿をしていた。胸の辺りを大きく切り裂かれて力なく五体を投げ出すそれは、間違えることも無く魔族軍の何者かの強い力によって動力を得ていたことが分かるほどに濃い負の魔力と瘴気を湛えていた。

核であろう薄紫色の宝珠が真っ二つに割れているのがあからさまに露出していなければ、きっとこれを見た人々がパニックを起こして逃げ惑ってしまうほどのむっとした腐臭も鼻を突く。後ろの方で、麗しい顔立ちの少年が嫌そうな顔をしてぎゅっと鼻先を握る様に摘まんだ。


「聞け、サザラントの民よ!」


其れを放り出した大男の後ろから進み出たその人は、明らかに民間の人間ではなかった。少なくとも高位の貴族。正しく見積もったとしても、王家の血脈を汲んだ生まれだろう。それくらいに高貴で神聖な魔力が宿っているのが目視できた。

琥珀の様な目を奪うような輝かしいブロンドに、透き通った青の瞳は、どこにでも良そうなくせに特別に見えるほどに綺麗だった。


「我が名はシルヴィス・オーマ・トアイトン・レトナーク。父親にレトナーク国王、『麗しの碧眼』、オーマ一族の長子フィオレットを母親に持つ、始まりの王の流れに生まれた正しき王子である」


やれ長ったらしい名のりだが、誰もが平伏しそうな単語ばかりで短縮も出来そうにない中身だ。近くを歩いていた人々も思わず足を止め、視線がシルヴィス達に集まったのが見える。

オーマ一族と言うと、この国でも一流の貴族の流れだ。王家の分家で、古くは権力の対立によって国を二分しかけるほどの権力を握った一族。そこの長女が、互いの友好の証にと王家に嫁いでからはそう言った恐ろしい話は無かったが、男児を一人産み落としてすぐに儚くなったというニュースを聞き届けた民衆は、国からの指示で一週間喪に服した記憶がある。


「長閑な昼下がりに、このような物騒な物を持ち込んで申し訳なく思う。まずは謝罪させていただきたい。――すまなかった!」


きっちりと下された謝罪と深く下げられた尊顔に、民衆が動揺で落ち着かなく顔を動かした。目を合わせるもの、何事かと問いかけているもの、独り言でシルヴ王子の存在に何やら捲し立てている者。何も思わないなんて誰にもできなかった。

――何せ、レトナークの王家の人間なのだ。王子様が態々頭を下げてまでの謝罪だなんて、本当にありえない。それくらいにはレトナークでは王家とは天上の人なのだ。


「――しかし、このような暴挙に至った事にも事情があると思って頂きたい。私は多くのこの街の、このサザラントの民に、話を聞いていただく必要があったのだ」


上げられた頭に、誰もがはっと息を呑む様に声を潜めた。貴人の言葉を遮るのはあってはならないことなのだ。こういったことにも不敬罪は適用されることがあったから、大人たちも手近な子供たちを慌てて黙らせる。


「私がこの街に来た理由。察している物も居るとは思うが、この街の頂点であるヴィルドー家のお家騒動に関連してのことだ」


ああやっぱり。誰も口にしなかったが、大人も子供も誰もが諦めの顔をした。先代当主が鬼籍に入って暫く、次期当主が幼いことを理由に代替わりしてやろうと傍系の一族がやたらと街中で好き勝手しているのだ。

皆当主が幼い事に不満は無く、むしろ先代の教育が良く行き届いていることは知っていた。しかし幼い当主の実権はあまりにも弱く、騒ぐ者があまりにも多く、民は新当主を擁護することが出来なかったのだ。


「まず最初に受け取った手紙には、『当主があまりにも幼くて、為政が成り立たない』と書かれていた。ヴィルドー家の分家の者からだった」


醜い話だったが派閥争いは細かく、大人だけではなく子供の間にも影を落としている。親同士がいがみ合っているために友人と会えないなんて話は何所でも起こっていた。そんなことになっていたから、子供たちだって大人の事情位察せるのだ。


「次に受け取った手紙には、『当主が有能にも拘らず、その権威を脅かすものがいる』と認められていた。先ほどの手紙が数件だったが、こちらの手紙は机に山を作った」


真意を問うように王子は民衆を見回した。何人かがさっと視線を逸らしたのが見えたが、それに王子は微笑を溢した。


「私は真実を調べる為、この街にやってきた。最初の手紙が真実であるなら、ヴィルドー家の主権を認めた王家の者として正してやる義務があったし、なんなら新しい領主を任命し直すように父に陳情する義務があったからだ」


新しい領主を任命。その言葉に実情を知る大人たちはぎくりと肩を跳ね上げた。もしも、もしも好き勝手やっている者たちがサザラントの頂点が任されてしまえば、きっと今以上に好き勝手されてしまうだろう。

顔色を蒼くした民衆に気づかないような様子で、王子は大きくその手を広げた。


「この目で見た。空腹に倒れる人はおらず。大きな不平不満に武器を持ち出す者はおらず。働き者の妻が怠け者の夫を尻を叩いて仕事に出し、夫は酒の席で妻子の惚気を溢す。私が見たのは、そんな満ち足りた街だった。そう言う為政を、幼いと謗られた少女は布いていた!」


多くの人が注目する中で王子は静かに語りかけた。誰も口を開かなかったから、広場の中は人の数に反して静寂が満ちていた。


「新しい当主と話をして、私は改めて確信した。彼女こそがこの地の、サザラントの主に相応しい、と。正しく為政を行う者だと。だからこそ、改めて宣言する!」


ぱっと美しい銀色が天高く突き上げられた。王家の儀礼で、大事な約束事は剣を抜いて誓う物だとされていることは多くの人が知っていることだ。


「サザラントの領主は今までと変わらず、ヴィルドー当主サンドレィに一任する!これは現在の王命の元に改めて課されたものであり、何人たりとてこれを犯す事能わず!彼女の身に何事かあれば、私を、王家を敵に回す事と知れ!」


王子の宣言に誰ともなしに歓声が上がる。正直、あちらのお家騒動には辟易していたのだ。正しく継承された権威を好き勝手にいじくりまわそうとする権力者だけは、皆好きになれないのが共通の思想であった。


「当主を横に押しやっての権力争いを平定するため、私は既に手を打っている」


さっと引いた喧噪のなか、王子は権力者の微笑を絶やさずに続けた。


「後一月ほど――時間はかかってしまうが、必ずヴィルドー家の喧噪を抑え込むことをお約束しよう!それまでの忍耐を強いてしまう事は申し訳なく思うが、どうか耐えて貰いたい!」


仰々しくもはっきりとした宣言に、民衆はもう一度歓声をもって答えた。正直言ってあの疫病神達がいなくなるのであれば、いくらだって耐えることが出来た。



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