第31話 生ける屍と相対する話
絶叫が響いた瞬間に身構えたのは、経験の差かヒューとコーディだった。一瞬遅れてハミルが、それに習うように構えたのはシルヴとトリス、ルベルだった。
瞬きの様な時差だったがぬかるみから手が生えるのはそれよりも早く、やはりと言うかなんというか、取り囲まれていたのは立地の問題で仕方がない問題だった。なにせ、切り倒してきたスライムの死体でできたぬかるみから出てきているのだ。
「う、うわ」
ハミルが表情を凍らせた。鼻を殴るような腐敗臭と発酵臭。腐れて爛れてぐずぐずになった肉が張り付きぶら下がる体は、赤と紫と緑色がまだらに交じり合って見えた。水気を含んだ足音と腐った肉が落ちる音がびちょびちょと不愉快な音を立てている。
「――!!!」
「2人とも下がれ!!」
ヒューが警告を吠えたが、脚が動くより先に腕が動いていた。ぼんとかどんとか腕先の盾で分厚い水風船でもぶつかった様な音を立てて爛れきったまだらの腕が爆ぜたのが見えた。
色々な意味で逃げ出したくなったが、ハミルの背後には近接戦闘に向いていないルベルがいたから、引くに引けない。
それでもどうすればいいのか判断が出来ない。目が回って、考えばかりが頭を過って、決断が出来ない。完全に目を回していた。
「あ、あわ、あわわあ」
「ハミルさん!!ハミルさん、下がりましょう!ねえ!」
腐って脆い肉体の癖にぎしぎしと熊の様な重たい一撃を受け止め、ハミルの足がぬかるみを後ろに数センチ滑らせた。滑る足元には慣れてるので転倒するとか体の向きがずれるとかそう言う無様は晒さなかったが、ちょっと色々と五感をぶん殴られて発狂しそうだ。
半狂乱になっているハミルにルベルが心配の声を上げた横を、風が駆け抜けた。
「気が利かなくてごめんなさいね」
「と、トリス様」
ルベルの髪とハミルの耳元を掠めて突き抜けた槍は、正確に魔物の首を吹き飛ばしていた。そのまま空いている手でハミルの肩を引き、背後に庇う形で入れ替わる。
豊かな葡萄色の長い髪がざあと視界を覆い、大きく風にたなびいた。
「
全身に回っていた恐怖が一気に解れて、ハミルはようやく呼吸が出来た様な気がして小さく咳き込んだ。――そうだ、これは恐慌状態に陥った人間に掛けられる治癒魔術だ。
振り向くと杖を構えたルベル越しに道の先の方でヒューとシャルが前方の敵に切りかかり、その後ろでコーディが構えている。倒しながらじりじりと進むつもりらしいが、彼らとトリスの間には丁度スペースが出来ていて、そこにシルヴが警戒するような顔をして前を見つめているのが見えた。
「貴方の戦い方はここには向いていないから、下がって頂戴。私が代わります」
「ですが――」
「短剣よりも槍の方が向いています。代わりにルベルとシルヴ様を守って頂戴」
「…………はい」
トリスの槍がもう一度閃き迫ってきていたアンデッドを突き崩したのをみて己の力不足を察し、ハミルはゆっくりと後ずさった。
「すまないね、足手まといの様に扱ってしまって」
「い、いえ。パニックを起こしたのは、本当の事ですので」
申し訳なさそうな顔をして誤ったシルヴに、ハミルは事実だと返事をした。その返事が気に入らなかったのか、シルヴはむむっと眉を寄せた。
「ハミル。君はもう少し偉そうにしてくれてもいいんだ。アンデッドでなければ、君は今だってトリスと入れ替わることなく後方を護っていたはずだ」
「そ、それでも――」
「向き不向きがある。ルベルの話で君はそれを分かっていると思ったのだけど」
一瞬叱られているのかと錯覚して、ハミルは息を呑んだ。しかしシルヴはそんなつもりは毛頭ないらしく、にこにこと微笑みながら剣を片手で弄んだ。
「大体、あんなの相手に近接戦闘する気持ちが知れないよ。正直私は剣でもゴメンだね。つまりヒューたちは頭がおかしいってことに」
「聞っこえてんだよクソ王子ィいい!!!」
「怒られてしまったよ」
前線でアンデッド相手に大剣と肉体戦で大暴れしているヒューに怒鳴り付けられて、シルヴはけらけらと笑い声を上げた。修羅場の筈なのに気が抜けてしまうのは良い事なのか判断に迷ってしまう。
「そ、それでも、僕がこの戦い方を選んだんです。なら、この戦い方で、何とでも戦えるようにしないといけないのは、本当の事です」
「真面目だねぇ」
「本当なら弓だって剣だって槍だって選べたんです。それでもこの戦い方を選んだ。だから、其れなりに自分に責任がある、はず、で、その、すみません」
偉い人を相手に自分は何を言っているんだ。口を開いて止まらなかったのがウソみたいに言葉が亡くなって行って、ハミルは利き手に握った短剣を握り直した。
「でも、君は目を回しながらも立ち回った」
「でも、目を回してしまいました」
「それでも君の体は戦えた。誇っていいんだよ。体が頭を離れても戦えるほどに鍛錬を、訓練をした成果がここで出たんだ」
ハミルが気落ちしているのを察したのか、シルヴは随分と優しい声で慰めてきた。慰めなんていらないのだが。
「すまないルベル、支援をもう少し頼むよ」
「やっております!――
ごうっと火のように熱い風が足元を吹き、ぬかるみが渇いていく。濡れたものを一気に乾かす生活魔術の一つでもある熱風の魔法だったが、込められた魔力でこうも変わるものかとヒューは内心で感心する。
中々に器用な発想と技術だ。こんな魔法、水浴びをした後に風邪をひかないための物としか考えていなかったが、もう少し改めて見る必要がありそうだ。
「支援をするルベルの護衛。それが君の今回の仕事だ」
「え、殿下は――」
「ヒロインのピンチに、ヒーローが出張らない理由があるかな?」
えっ?驚きの声を上げたのはハミルとルベルのどちらだったか。その声に押し出されるように、シルヴはトリスが迎撃する後方に踏み出した。
腰に固定したさやから抜かれたのは、中々綺麗な銀の剣だった。軽さと切れ味に特化したシャルの物よりも厚く、重さと大きさに特化したヒューの物よりも長いそれは、一般的にロングソードと呼ばれる部類の物だ。
「ルベルとハミルはこのままこの場で援護をしてくれ。できれば魔術支援に入っているコーディとも合流を!」
「は、はい!」
「――仰せのままに」
反射で返事を返してきたのは分かっているだろうに、シルヴは楽しげに笑いながらトリスが戦う所まで駆けて行った。器用にもその足取りは飛んで来るスライムだのを軽やかに避けているから、危なげも無いのだが。
寄ってくるシルヴの姿にトリスは少しばかり疲れが見えている目を見開き、それからそのシルヴの顔に浮かぶ壮絶な笑顔に思い切り引き攣った。こんな楽しげな様子を見せた時、彼は止めることも出来ない癖にとんでもなく暴れ散らかすのだ。
「え、えええ!?僕、反射で返事しちゃったけど――いいんですか?いいんですか!」
「こうもなってしまっては仕方ない、ですかね……」
半目で呟き、ルベルは足元に寄ってきていたスライムの核を杖で突き潰した。
「殿下も王室の人間として最低限の教養はお持ちです。心苦しいですが、この場はお任せしましょう。私とハミルさんでは、この場で立ち回るにはあまりにも向いていない」
「…………ですね」
頷き合って、2人は己の役割を果たすために深く深呼吸し、足を進めた。
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