第30話 相手をしたくない話
「……いや、まあ、ロッテッドコープスが相手なのが大変な事なのはわかったけれども。逆にその首を持ち返れば、まあ注目は集まるだろうし、実力だって見ればわかるだろう?」
ロッテッドコープス。俗っぽく、解りやすく言うと、リビングデッド。腐った死体である。その一言で彼らの『戦いたくない』『本当に持ち帰るの?』と言う言葉の重要性が分かってくれるだろう。
正直、今回の『魔物の首を持ち帰る』という仕事には一番適していないのは言うまでもない。
「正直、持ち帰りたくない」
「むしろ正気を疑う」
「本気でやるのか?」
経験者共の士気駄々下がりである。
いや、シルヴだって『腐った死体』の面倒具合や厄介具合は知っている――紙面だが――し、相手取るのは大変だというのも――体験したことはないが――知っている。
名前を聞いただけで――どういった具合なのかは知らないが――死体を持ちかえる気は失せるし、臭いや大変な度合いだって――人づてだが――中々に大変なのは知っている。
だが、それでも。
「…………そんなに?」
「何が」
「そんなに………ええと、その……ヤバい、のかな」
「ヤバいな」
端的な質問に端的な返事が返ってきて、シルヴの頬に冷汗が流れた。
「王子様とお貴族様、其れにそこそこ裕福な家庭の出身ならそういう経験がないのは分かるけどよ、正直あれを……倒した後とはいえ、街に持ち込むのは……」
「正気を疑うよ」
言葉を何とか濁そうとしたヒューの言葉尻を奪い取って半目になったコーディは、駄々下がった士気をどうにか持ち上げられないかと眉間を揉んだ。
「あー、いや、そのぉ」
「まあ、どれを持っていくか、状態が良いのを探すくらいは出来るんじゃないか?」
「…………うん、まあ、そうだな」
探す言葉も無く頷いたコーディは、深い溜息を吐いた。
「知識はあるんだろ?なら、それを想定して――ううん……その十倍くらいを覚悟しとけば、まあ、そこそこいけるんじゃねぇの?」
「十倍でそこそこなのかい?」
「そこそこでイケると良いんだけどな……」
遠い目をしたヒューに、トリスの脳裏に警鐘が奔る。これはいけない。これはヤバい。と言うか、近付いてはいけない類だ。
「……『問題なのは、強さじゃない』」
捻り出された声は、ハミルの物だった。彼も紙面の知識ながら、多少危機意識はシルヴ達よりも強く感じているらしく表情は優れない。
「『まず最初に危険を覚えたのは、鼻を破壊するほどの異臭。戦闘の後に発酵食を拒絶してしまうほどに強烈なそれを至近距離で受けた彼は怯み、一気に昏倒してしまった。彼の末路は明らかで、あっさりとその胸に腕を突き立てられて事切れた』」
「怯むほどの異臭……ですか」
「『ぬかるんだ地面に倒れた彼の体を泥が掴む。そして一気にその遺体が発酵して行き、息絶えたはずのその瞼が大きく瞬いたのを私は確かに見た。私はこの時、生ける屍はこうやって増えて行くことを初めて察した』」
「……『偉大なるバトライラが言う所における放蕩記』、『腐乱死体に遭遇した時の思い出話』、ですか」
ルベルが険しい顔をして足元を見下ろした。ぬかるんだ地面。成程、スライムでぐしょぐしょの足元は確かにその通りだ。
「『水気の多い場所に生ける屍が多いのは、泥と魔力によって死体を発酵させるのに適した環境だからであると考察する。それを考えると、比較的温暖な、常温のバターが丁度柔らかい固形の形を保てる程度の気温が良いのではないだろうか』」
う゛ぇっ。コーディが奇声を上げてぬかるんだ足元から飛びのいた。こんな話を聞いていて尚ぬかるみの中に立っている気概は流石になかった。逆に不思議そうな顔をしたシャルの方が頭の造りがおかしいのではないだろうか。
「……い、以上が、『放蕩記』の『災難の後の旅路で多くの冒険を繰り返した章』で語られている部分なのですが」
「へえ、そんなことも書いてあるんだな」
「シャルさんは、ご存じで?」
「ごぞん……」
「……知ってたんですか?」
「ええと、そんな詳しくはなかったけど」
ぬかるみを剣でぐちゃぐちゃと掻き混ぜて、シャルは頷いた。
「あったかくて、水がないのにスライムが多い所。そう言う所で人がいなくなるのは、『歩く死体』が仲間を増やしてるからっていうのが多い。俺も見たことがある」
「経験は本より語るものだね……ダヴィは分かってたのかな、リビングデッドの事」
「多分、知らないと思います」
シルヴの問いに答えたのはトリスだった。
「彼はサンディさんを大事にしていました。サンディさんが街を大事に思っているのも、ご存じのはずです。なら、そんなものの首が街に持ち込まれたらパニックになることだってわかったでしょうし、きっとサンディさんが気に病むのも分かるでしょう」
従者としての側面も持つトリスは、その辺りの心情を良く分かって弁護していた。
「従者と言う立場から言わせてもらいます。サンディさんが悲しむ様な事を、ダヴィさんがそんなにあからさまに行うわけがありません」
「――まあ、今の今まで正体不明だったわけだしな。多分あいつも、話題は知っててもここには来れてないだろ。お家騒動で忙しかったわけだし」
トリスの言葉ににヒューも大きく頷いた。ヘルムニッツの生まれらしくわかりにくいが、子供が気に病みそうなことをするような人物ではなさそうだというのがヒューの私見だ。
「あの、と言いますか……宜しいでしょうか」
「うん、なんだいハミル?」
「その……僕の生まれはイングヒルでして」
シルヴがおや、と目を瞬いた。ハミルが自分の事を語るのはあまり多くなかったので、よくよく聞いてみたいのだ。
「その、イングヒルは常冬の都でして、人が死んだときに『死体が腐る』『死体が傷む』なんて考えが無く……。勉強をしていなければ、リビングデッドに関しての知識なんて身につかないんです」
「そうだね、イングヒルは気温がとても低いと聞いているよ。平均気温が……0℃だっけ?」
「はい。高い時でも5℃で暖かい位……ですので、同じようなヘルムニッツの生まれのダヴィ様が思い当らなかったのも、致し方ないのかな、と」
思うのですが。消え入りそうな声で溢された情報に、はああ、とシルヴが関心の声を漏らした。
「……うん、そうだ。低温下では死体は腐らない。だからリビングデッド族は気温の低い場所では台頭しない。つまり、その分知識がいらないわけだ。逆に氷の魔物の知識がいるわけだけれどね」
「じゃあ、ダヴィさんの陰謀論は」
「疑惑は完全に立ち消えだ。そうだったら面白かったんだけれども」
シルヴは楽しそうに忍び笑うと、しゃがみこんで剣で泥をかき混ぜるシャルを後ろから覗き込んだ。
「シャル、これはもしかして、泥の中にリビングデッドがいないかの確認をしているのかな?」
「そう」
こっくりと頷き、シャルはぐしゃぐしゃなぬかるみを数回踏みつけた。いかにも身軽な装備が泥を浴びて、半分ほど白くなっている。
「生きた屍が潜んでいるかもしれないときは、こうやるのが一番いい。隠れてるのは飛び出してくるし、上手く行ったら頭に当たる。脳天は生きた屍の一つだけの弱点だから」
リビングデッドは魔物と言えど、その基本の形に添った生態をしている。人間の形で、その上で元になるものが同じそれであれば脳味噌が弱点の場合が多いのでシャルのいう事は正しいのだが、それにしてもちょっと想像したくない生々しい話だ。
「居るなら居るで、強いのが良い。持ちかえる負担と精神衛生と、その他諸々で」
「ああ、高レベルの奴か」
「まあ、強い魔物は下級を使役して、親玉みたいになるからな。希望はあるだろ」
生きた屍にもいくつか種類がある。一つが死にたてほやほやのそのまんま、『生まれたばかりの』生きた屍。今紛糾しているロッテッド・コープスである。
動き出してそこそこ動きにこなれてきたのが、中々に手練れの『腐った死体』。ロッテッド・コープスだのリビングデッドだの、まあ一番五感に訴えてくる奴である。
「……危険も跳ね上がりますが……」
「まあ、今回は危険な事になるのを承知で危険な所に来てるわけだからね、仕方ない」
そして、この辺りから強さが更に増してくるのだが、魔力が大いに貯蔵され、体にこびりついていた肉が腐りきって剥がれ落ちた、『スケルトン』。只でさえ手ごわいくせに、数と不死性で圧倒してくる面倒な相手である。
更に格上、スケルトンに魔力がついてきて、別の形をとる物。実体のないガストや吸血鬼、死神だの悪魔だのと個性豊かに細分化されるのだ。
ぼやいたトリスに、シルヴはいつも通りに微笑んだ。
「いた」
ぬかるみをかき混ぜていた剣を一瞬止めて、シャルがすっと背筋を伸ばして剣を深々と突き立てた。
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