第25話 隠し通路の話
「お待ち申し上げておりました、お客人様方」
古惚けた塔の入り口に立っていたのは、濃褐色の肌の女だった。癖の強いくるくるとしたブルネットの髪をヘッドドレスに押し込んだクラシックな女侍従の典型的な立ち姿の女は、赤褐色の瞳を薄く眇めていた。疑わし気と言うか、緊張しているというか、何とも判断に困る厳めしい表情だ。
「初めまして、ご婦人。私は」
「名乗りはこちらではお控えください」
シルヴがきちんと名乗りを挙げようと胸に手を当てて進み出たものの、女は素気無くそれを言葉で黙らせた。ピクリとルベルが肩を跳ね上げ、トリスの表情が強張る。
「誰が聞いているか、誰に見られているかわかったものじゃありません。詳しくは中でお話を伺いましょう」
「――――そうだね、失礼した。私が不用心だったようだ」
その目線をトリスとルベルに寄越して制すると、シルヴはうんうんと頷いた。
女は重苦しい鉄の扉に手を掛けると、思い切り体当たりするように扉を押し開ける。
ぎしぎしと錆が固く残る古臭い音を立てて開いた扉は、それでも放置していたわけではないのか、埃も錆も落ちてくる様子はない。
「なかなかに使い込んだ扉だね」
「手入れだけは続けておりますので」
「それにしてはパッと見て使われているようには見えないけど」
「……隠し通路でございますから」
シルヴの茶々にぶっきら棒に答えながら、女は扉を抑え込んで促す。その誘いに乗って全員が中に入ると、女は外の様子を伺いながらゆっくりと扉を閉めて行った。
「改めまして、失礼いたします」
スカートの裾を摘まみ上げてちろりと頭を下げた女は、上目づかいで伺うようにシルヴたちを見回した。
「私の事はローラとお呼び下さい。サンディ様にお仕えする教育係で、御身の周りを任されております」
「うん、成程。『おかあさん役』、という事かな」
「そのような大層な役目では……恐れ多いですわ」
ほんの少し恥ずかしそうに目を伏せたローラに、シルヴはにっこりと微笑んだ。仏頂面と言うよりは、外の環境に警戒していたのだろう。それから、王族であるシルヴや威圧感のある戦士の面々に緊張もしているかもしれない。
「ご紹介ありがとう。私はシルヴと呼んでくれ。長いから、こっちの方が便利だろう」
「……仰せのままに」
「連れに関してだが、紹介が長くなるので名前だけ。右から、ハミル、トリス、ルベル、シャル、コーディ、ヒューだ。詳しくしてほしい事は早いうちに当人に頼むよ」
「――いえ、今のところは御座いません」
頭を垂れていたローラはぼそぼそと応えて、それからああ、と小さく何かに気づいたように顔を上げた。
「皆々様方は護衛の方、と言う名目でよろしいので?」
「うん、そうだ。お話は私が直々に。秘書役とその補佐はトリスとルベルに頼んでいるが、他は護衛だ」
「そのように」
頷いて、ひっつめたブルネットを抑える様に頭を撫でつけて、ローラは壁に下げていた明かりに手を伸ばした。火の灯った蝋燭が一つだけ着いた燭台を壁から取り外すと、壁はきしきしと音を立て始めた。
「――随分と大掛かりな隠し扉だな」
コーディのシンプルな感想に、ローラはええと頷いた。
「ヴィルドー家はサザラント領が敷かれてから変わりなく、こちらのお屋敷も魔物との戦いにも強い危機意識をもってして建設されたと聞いております」
「いいね、そう言う危機感があるだなんて」
楽しげなシルヴは、うきうきとぽっかりと空いた通路の壁をこつこつ叩いた。音は奥まで響いて戻ってくるから、中は随分と広々としているらしい。
「トルガストにもこういうのがあれば、きっと便利だったりするかもしれないね!」
「今は専属の絡繰り士もおりませんので、整備も出来ずにこのままになってはおりますが――出入りだけですので、今のところは不便御座いません。我々もこの構造ばかりは理解しかねております」
「ふむ、古い設備はメンテナンスが無いと不安が残るのか」
残念だ。そう呟いてあっさりと話題を流すと、シルヴは通路を覗き込んだ。やや湿気た空気がひんやりと頬を撫でる中をじっと見ると、やや開けた個室の真ん中に大きな階段があった。
「地下通路」
「ありきたりだな」
事実を呟いたハミルに、コーディがいらない感想を漏らした。
「こことお屋敷が繋がっているという事は、いざと言う時の避難通路ですか?」
「はい。後は、表立って行動できない時に用いられるとされております」
古びた石床を数歩進んで、ローラはゆるりと振り返った。
「元々はこのような隠し構造は無かったそうですが、何でも五千年前の戦乱の折にあのような絡繰りを用いたと聞いております」
「へえ、五千年前……」
「当時の当主様が、あれば利用に困らないだろうと建造されたそうです」
聖魔戦争が激化していた当時、四つの大きな領土を治める領主の屋敷はそれぞれ要塞として、そして軍本部の一部として機能していたと聞く。ならば、要人だって集まることはあるだろうし、敵に占領されることだって考える必要があっただろう。
「もしかしたら、トルガストにもこういった機能があるかもしれないねえ」
「帰ったら地図を改めて確認してみましょうか。もしもこういったものがあれば、把握しておくに越したことはありません」
歩き出したローラのブルネットを追いかけながらシルヴとトリスが静かに話をしているのを聞きながら、シャルは薄暗い道を眺めた。
「……せいびって、整えるってことだよな」
「そうですが、どうしましたか?」
「ええと……それにしては、その――なんか、なんていうか……」
「はい」
ルベルが頬を寄せ、ハミルが不思議そうに首を傾げた。
「そうじとか……床の石が剥がれてたりするし、なんか、ちゃんと出来てないなって」
「……ああ、成程」
合点が言った様子でヒューが頷いた。聞いていたらしい。
「確かにな。石畳が剥がれているのは、戦場になり得る場所では致命的だ。僅かな溝に足を取られて敵に負けたなんて話は良く聞くからな」
足元を見下ろすと、張り付けられて整えられていたらしい石畳は彼方此方が割れて砕けて剥がれ落ちていた。
長い年月をかけて傷んで、そうして緩やかに壊れて行っているのだろう。ヴィルジュが教えてくれた言葉で言うなら、これが風化と言う奴か。
「此処の当主殿に余裕が出来たらでいい。出来るなら此処の床板だけは手を入れ直すのを提案するぜ。足場がボコついてるよりは平らな方が移動の効率も良い」
「そんなに違うのかい?」
「街道の舗装の効率を知らねぇのか?土で出来た所を踏み固めて平らにするだけで、下手すると移動時間は飛ぶように変わる。段違いにな」
不思議そうな顔だったシルヴは納得の顔をした。本来はこの道を当主が通るのは緊急事態なわけだ。もしも敵に追われていたらを考えると、確かに移動のしやすさは重要だ。
「壁もやすりをかけ直した方が良い。劣化しすぎてざらついている。怪我人が移動するときに壁を支えにすることを考えると、怪我を減らすためには重要なことだ」
「嫌に詳しいですね」
「体験談だ」
「ええ……」
ハミルが嫌な顔をしたが、事実である。随分前に洞窟にあったゴブリンの巣を掃討するのに一人で入って、うっかり片足に麻痺の魔法を受けてしまった時――まあ、片足が動かずとも掃討は出来たのだが、一番大変だったのが帰還だった。
天然窟の壁はざらついていて、縋って歩いていると手だの頬だの肩だの腕だの、上半身が大きく擦れて痛かった。その擦過傷が一番手痛い怪我だったのだ。
「こういう所は少し手をかけてやるだけでもそこそこ効率が変わるからな。トルガストだってそうだろ、少しでも傷んだところが見つかると大わらわで改装が入る」
「ああ、あそこも石で出来た城塞だものな」
トルガストの要塞が一番親しみのある石造りの建物だ。それを思い起こし、あー、とシャルが頷いた。確かにあれはある意味理想形の石造りだった。
「あそこはいいな。怪我しないで立ち回れそうだ」
「おま……そんなこと考えてあそこに住んでんの?」
「みんなは考えないのか?」
「普通は、考えないと思います」
コーディとハミルに言われて、シャルはそう言う物なのかと首を傾げた。
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