第24話 身支度の話
ヒュー曰くの物騒な奴の訪問から数時間。昇り始めた朝日に目を覚ますと、シャルはいつもの日課に勤しむことにした。
「…………よォ」
「おはよう」
寝床からのそりと体を持ち上げたコーディは寝惚けた目を擦った。
「朝強いんだな、お前」
「小さい頃から、日が昇ったら起きてたから」
そういうふうになってる。そう応えると、コーディは嫌そうな顔をした。
「俺なら絶対にゴメンだね。たまには寝床で惰眠を貪りたい」
「だみん、を、む、さぼ、る?」
「だらだら眠って怠けてたいってことだよ」
欠伸交じりに解説を入れて、コーディはがりがりとピンクベージュの髪をがしがしと掻き混ぜてからぐんと思い切り背を伸ばした。
「コーディはいつも、だみんをむさぼっているのか?」
「たまの休みの日とか、疲れてるときはな。仕事がある時は今みたいに無理やりでも起きるさ」
お仕事は大事だもんな。そう言って、コーディはもう一度大きな欠伸を溢した。
「はーーーーー、寝足りねぇな。今日は何だっけ。あの昨日の……お前らが言う所の物騒なやつ?のご主人サマとやらに会いに行くんだっけか」
「そう」
「あの人、顔は恐いし厳ついけど、そんなに物騒なわけ?」
「敵にしたくないくらいには物騒だった」
「それが理解できねぇんだよなあ」
「だってあいつ」
答え様として、しかしシャルは口を閉ざした。敵でなく味方に近しい人の手の内を晒すのは、冒険者や傭兵の間では禁忌とされるくらいのマナー違反である。
「……言わない」
「え、何だよ。気になるな」
「人様の手の内を勝手にさらすのは、悪いマナーだろう」
「あ、そう言う事……」
傭兵や冒険者のタブーと言う奴だ。こういう手の内は、察していたとしても、本人の口から言われるか緊急事態であるか、それか敵である時しか他人に行ってはいけないものだ。決してこれから仲良くしようとしている相手に対して破っていい事じゃなかった。
身支度を整えるのは、案外早い。外していた防具を身に付けて部屋を出ると、手洗い場にはハミルが既に立っていた。
「――あ、おはようございます」
「はよ」
「おはよう」
既に顔も洗って髪もしっかりと固めて一部の隙もない。初めて会った時と同じく髪はきっちりと後ろに流して固めてあり、顔にかかることもなさそうなくらいにしっかりとセットされている。ぼさぼさのざんばら頭のコーディやセットなんて考えたことも無いシャルからすれば関心物である。
「早いな、もう身支度終わったのか」
「ええ、朝はきちんと身なりを整える様に躾けられていますので」
「きちんとした家なんだな」
「……まあ、そうですね」
苦く笑うと、ハミルは洗面台に広げていたものを手早く一纏めに纏めた。
「では、僕はこれで。朝食の用意をして参りますね」
「いや、それは俺が」
「いいえ。昨日の残りを使うだけですし……手が空いていて。動かないと、どうにも落ち着かないんです」
そう浅く微笑むと、ハミルはさっと大人しい動きで洗面所を出て行ってしまった。
「…………あれ、もつのかねぇ」
「本人が大丈夫と思っているなら、大丈夫なんだろう」
随分と頑張っているが、このまま同じ調子で行ったら、きっといつか痛い目にあうだろう。でも、口を出すほどに信頼はされていないだろう。そう思って、コーディは小さく溜息を吐いた。洗面台に顔を突っ込んで水でばしゃばしゃと流すと、シャルはふうと溜息を吐いてタオルを顔に押し付けた。何ともワイルドな身支度だ。
「じゃ、俺もそろそろ行く」
「え、お前洗顔ってそれだけ?」
「口の中も漱いだぞ」
「え、正気?」
「いつも通りの身支度だが。他に何をしろっていうんだ?」
「他、って――石鹸使うとかしてもっと洗顔きちんとするとか、歯ブラシを使うとか、髪を整えるとか――」
「やったことない」
水でしっとりと顔に張り付いている髪の間から見える青の瞳はキラキラと輝いているから、多分本気の本気なのだろう。
という事はこの野性児、洗顔は冷たい水で、しかも口の中を指を突っ込んで漱いだのだ。しかしそれが事実だとするのなら一度こいつの生態を調査して、美を追求するお姉さま方にデータを進呈したいものだ。きっといい値段がつくに違いない。
肌荒れの言葉を知らないような滑らかな肌と細くて柔い金の髪が手入れ知らずだという事にコーディは改めて身震いを覚えた。こいつ、肌質と髪質もゴリラだったのか。
邪魔くさそうに無精に伸びた髪を適当に紐で括っただけの髪形なのに、見れた顔をしている辺りでかなり殺意の的になり得るだろう。
「身支度に関してはお前にどうこう言われるもんじゃないと思うが」
「そりゃあまあ、そう、だな」
コーディは言葉を詰まらせた。ぼさぼさ頭のざんばら髪は同じなのだ。むしろ酷さならコーディの方が何段階も上。中途半端に長い髪は細く編んではいるが、其れだって中途半端に整っていないのを誤魔化す為だけで格好つけと言うわけでもない。
――まあ、邪魔に感じている所は千切るみたいに切り落としているのだが、それが尚の事ざんばらにする要因ではあるのだが。適当に己の髪をズバズバ切り落としているだろうシャルよりも髪形に関しては奇抜な自覚はあった。
「……こうやって見てみると、俺たちってどうして王子様の護衛なんて言う名誉職預かれてんだろうな?」
「強いからだろう」
「またお前はそういう頭の悪い事を……」
「見た目が良い奴が良いなら、声なんてかからないだろう。強さを重視して、これでいいと思ったから俺に、コーディに声をかけた。それで身なりが気に入らないなら口出しだってしてくるだろうし、何も言われていないんだからそれだけだと思うが」
しれっと言い残すと、シャルは水気の残る手で髪をかしかしと掻き混ぜながらさっさと出て行ってしまった。確かにその通りだ。その通りなんだが。
「なんか違うんだよなあ……」
偉い人から声が掛かった奴っていうのは、自発的に身形を整えようとか服をきちんとしようとかする物である。そういうものなのである。
だけど、コーディもシャルもそれをせず、しかしそれに文句は一言も無かった。随分と奇特な王子様だ。どうせ傍に置くのなら、もっときちんとしたのを置きたいだろうに。
そう思いながら、コーディはタオルを洗面台の傍の棚に置いた。寝惚けた頭では碌な考えが浮かばないことは知っていた。
「…………深く考えるのはやめておくか」
未だぼんやりとする寝惚け頭でそう完結させると、コーディは緩やかに蛇口を捻った。中々立てつけの古臭いコテージだが、水回りは一度改築しているらしい。昨日使った風呂も結構な真新しい設備だったし、この洗面台も他の部屋や備品に比べて新しく磨かれている。
「あら、おはよう」
「んん?」
水を顔に掛けていると背後から声を掛けられて、水を手で拭って鏡を見るとトリスが微笑んでいるのが見えた。
「……おはよう、トリスさん。早いんだな」
「そうかしら?同行者は皆起きてるみたいだし……。そう、朝食。朝食は昨日のシチューとブレッドがあるから用意する必要はありませんよ。今はルベルが温めて、準備してくれています」
「ハミルから聞いた。何か作った方がいいのかと思って気になってたから助かる」
「これくらいは、ね」
にっこりと穏やかに微笑んで、トリスは手元にあったタオルを差し出した。使えという事だろう、有難く頂戴する。
「トリスさんは朝の身支度……ってわけじゃないよな、きちんとしてる」
「部屋を出る前に身支度は全て室内で整えているの。……シチューを温めていたら、顔に少し飛んでしまって」
「とんだ?」
「温めていたら沸騰させてしまって……とろみのあるルゥだったものだから、いい感じに跳ねてしまったの」
苦笑して、トリスはざっと流水を顔に掛けた。成程、油の強いシチューは、跳ねたら確かに顔を洗いたくなる代物だ。
「きちんと拭いたつもりではあるのだけれど、どうにも気になってしまうのよね。潔癖症の様な物かしら」
「ああ、まあ……油はほら、べたべたするし。いいんじゃないか?汚れたまんまよりはよっぽど」
「なら、いいのかしら」
困った様な顔をして頬を拭き、トリスは小さく溜め息をついた。
「殿下に着いて王都を出てから、自分が箱入り娘だったって良くわかったわ。ルベルの方が、よっぽどお役にたてていて。私と言えば、何の足しにもならない」
「随分と急に卑屈になるんだな」
「……そうね。ごめんなさい、困ったでしょう」
「そりゃ、まあ。でも、たまにはいいだろ、きっと疲れてんだよ」
そう言ってやると、トリスはほんの少し弱く微笑んだのが見えた。
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