第23話 北の訪問者の話




「まずは、改めて謝罪を。申し訳なかった」


コーディが奥に引っ込んでルベルとトリス、ハミルを呼びに行っている間、シャルはお茶を入れる様に仰せつかった。コンロに火を入れて薬缶に水を入れていても、対して広くない空間に男の低い声は良く透った。


「このような夜分に連絡も無しに、大変失礼な事とは存じ上げている」

「事情があったのだろう、構わないよ」

「寛容なお答えに感謝を」


丁寧は言い分だというのに、男の口調は少しだけ尊大だ。それに怒りもせず、シルヴはそれで?と話を促した。


「私に……レトナークのシルヴィス王子に御用事なのだろう」

「はい」


深く頷き、男は静かにシルヴを見た。鼈甲フレームのレンズ越し、薄い水色の瞳は随分と凶悪な目つきに嵌り込んでいる。手元の薬缶がしゅんしゅんと音を立て始めたのを拾い上げ、シャルは以前エーディアに軽く習った作法で紅茶を淹れる為にポットを開いた。


「私はダヴィ。サザラント卿サンドレィ様にお仕えする、所謂摂政に値する立場の者だ」

「…………」

「こちらは委任の印になる」


男――ダヴィが差し出したのは赤子の手のひら大の金属プレートだった。サザラント家の紋章を模ったそれには委任とサンドレィの文字が刻まれている。


「……あの」

「あ!……ああ、すまないね。突然君の様な立場の者が来て、少し驚いている」


委任の証文を見せられれば疑いようもない。目を幾度か瞬いて、それからすぐにシルヴはもう一度微笑んだ。


「……お茶と、お菓子です。どうぞ」

「ええ?シャルが淹れてくれたのかい?ありがとう!」


菓子をあまり綺麗に盛り付けられなかったのに若干気まずく感じてテーブルに並べると、シルヴがでれれと破顔した。


「あんまり綺麗に出来なかっただろう」

「そんなことないさ。君が淹れてくれたっていうのが格別なことなんだから」

「そうやって人を垂らし込むのは良くない」

「本音なのに」


にこにこと目元を脂下がらせて、シルヴは自分の前に並べられた紅茶を口元に運んだ。緩やかに足音が廊下を叩き、扉が開かれる。


「トリスの姉さんとルベル、ハミルには声をかけて来た」

「連れてこなかったのか」

「寝間着の女性や緊張で疲れてる奴に出て来いなんて言わねぇよ。今日は来なくていいって言った」

「紳士的だねえ」


くつくつと笑みを溢して、シルヴは目を細めた。


「ありがとう、コーディ。私が伝えて欲しいことそのままだよ」

「このリビングダイニングだって狭いんだ、全員出て来るよりはここで短くまとめた方が良いだろ」

「うん、今回はそんな大した話は無いと……ないよね?」

「――ふふ」


ダヴィはくすっと一息笑うと、鋭い目を緩ませた。


「ああ、今回は軽い面会をと思って。屋敷は敵ばかりだからきちんとした『入り方』でないと出入りも難しいので、それを伝えに来た」

「ってことは、オタクは」

「殿下が好人物であることは音に聞いている。出来る事ならば助力も惜しむことはないのだが――」

「お家騒動か」

「お恥ずかしい事だ」


真っ白い肌を薄く染めて、ダヴィは目を伏せた。


「既に知れ渡っていることだが、サザラント家は今、当主権限の所有者が誰であるか大いに揉めている」

「お嬢さんの物じゃないのか」

「そうなのだが、そうじゃないんだ」


困り切った様な様子で溜息を吐き、ダヴィは紅茶を啜った。


「実はまあ、当主サンドレィが邪魔だという一派と、当主サンドレィをそのままにして、後ろから実験を握ろうという一派と、いっそサザラントを乗っ取ろうという一派が屋敷の中に乱立していて」

「うん?」

「あー…………」


どうにも疲弊しているのか何なのか、酷く濁った目が視線を地面に落として這いずる。


「当主の身内と確実に言えるのが、教育係と私だけと言う何とも判断に困る状況なのだ」

「思っていたよりも状況が悪いな。他にはいないのか?」

「正直、7歳の当主の誕生日のパーティーに、用事も無いくせに最初から最後まで参加していない人間を心から信頼は出来ない」

「そりゃそうだ」


ダヴィの言葉にヒューは素直に頷いた。階級が上の人間の催したパーティで用事も無いくせにゲストが退席だなんて、要人であっても中々に喧嘩を売っている。


「流石に一日中なんて事は取り決めていなかったから、2時間程度の立食会だったんだが……開始と終了で顔ぶれが全く違っているのを見た時は流石に呆れた」

「当主のパーティーとは思えないカジュアルさだね」

「本来であればもう少ししっかりとした会食か、もう少し長時間の立食パーティを予定していたのだが……彼女の許可を貰って短時間にしたんだ。信頼できる……少なくとも彼女を祝うつもりがある人間がいるのかどうか知りたくて」

「ああ、なるほど」


訳知り顔で、シルヴがうんうんと幾度も頷いた。


「カジュアルな誕生パーティに不平を漏らす者は、少なくとも当主になにかしらの心を寄せていると判るね。そして、外の者はカジュアルだからこそ寄り添おうと考える。しかし、サンドレィ氏は納得いただけたのかい?」

「彼女はそう言う……華やかな場があまり得意ではなくてね、本当はパーティも嫌がっていたから、取りやめさせないために説得した」

「なら、彼女の不遇に不平を漏らす家の者と言うのはいないのでは?」

「いや、まず侍従として雇い主を意識しない方が悪いだろう。少しは表に出すポーズくらいは見せて貰わないといけないはずなのだが」


何とも言えない顔をして、ダヴィは紅茶を啜った。


「パーティを行うことに不平を表にされるのは、流石に計算外だった」

「そんなに酷い環境だったか……」

「屋敷の中の一掃は、彼女の家族だけでなく侍従の大半にも及びそうです」


しれっと物騒な話を漏らし、ダヴィは茶菓子を口に入れた。


「……そう言えば、君は?サンドレィ氏に忠誠を誓っているのは良くわかったが、なにか理由があるのかな?」

「幼い子供が孤立無援であることに手を差し伸べない理由があるか?」


シルヴの質問に気分を害したように眉を顰めて、ダヴィはぽろりと文句を口にした。しかしその不機嫌は一瞬の物で、大男ははっとしてから居住まいを正し直した。


「……失礼した。元々私は異国の民なので、サザラントどころかレトナーク自体に愛着がないのです」


そう言って、ダヴィはもう一度紅茶を啜った。気に入ったらしい。


「もしかして、先代殿が子女の為に異国から雇い入れたという家庭教師かな?」

「そのような噂になっていると聞いたことがあります。言語は履修していましたが少々不慣れで、丁寧な言葉遣いになっていないことも多いのだが」

「いや、納得したよ。使者にしては言葉が成っていないと思っていたが……むしろよくぞここまで滑らかに会話が出来るものだ」


急に褒められて、ダヴィは照れればいいのか恥じればいいのか判らないような、食べたミカンが意外に酸っぱかったみたいな顔をした。


「――本当は別の者を使者に出すのが良いとは思ったのです。ですが殿下は護衛を連れており、接触も人に見られてはならないとなると……」

「この時間になるな」

「使者に出せるのが、自衛しか出来ないメイドだけだったので」

「成程」


言い訳になってしまうが、ダヴィはむっつりと口を引き結んだ。


「……当主の周りを固められるのが非力な人間だけだったので、唯一戦える私がここに来た。……まあ、誠意を見せるのにも丁度良いとも思ったが」

「うん、私も思ったよ。シャルが来てくれて助かった」


正直、シャルが来なければヒューはダヴィを侵入者と見て全力で警戒していたのだ。シルヴはなんとなく察してくれていたし本当に敵とは思っていなかったが、護衛とはそういうものである。シャルが来て、人数に余裕が出たからこそ態度を緩めたのだ。


「戦いなんて自衛にナイフを懐に仕込んでいるだけの侍女を、夜道を通って要人に会いに行くなんて博打はさせられないと思ったのです。不審者だって獣だっているし、殿下だって護衛が居るのだから」

「流石に紳士的だな」


ヒューが小さく称賛した。


「少なくとも、きちんと躾されて育ったのでな」

「あんた、もしかしてヘルムニッツの生まれか?」


徐に口を開いたシャルにおやと眉をはね上げ、ダヴィはそちらを見た。


「凄いな、良くわかるな」

「前にあっちの生まれの奴と組んだことがある。白くて、でっかくて、怖いお顔をしていて……そんでもって家族と、それからか弱いのに優しかった」


白くてでっかくて。その単語にコーディが噴出した。成程、ダヴィは確かに身長が高くて体格が良いうえ、髪の色も肌色も瞳の色もあまり濃く見えない。


「あっちの生まれの奴は、見た目は恐いのが多い。あんまり顔が変わらないけど、ちゃんとした態度をとる」

「まあ、その通りだな。発育が良くて、表情があまり動かないのはお国柄なので」


ダヴィもくすっと笑い声をあげ、紅茶を下に置いた。


「明日の事だが」

「人目を避けて、だったね」

「まずは屋敷の離れの、蔦の絡んだ古い塔に来てほしい。そこに案内役を待たせる」

「わかった」


シルヴが頷いたのを見届けて、ダヴィは緩やかに立ち上がった。


「では、私はこれでお暇をさせていただこう」

「当主殿によろしくお伝え願いたい」

「了承した」


そっと頷くと、ダヴィは緩やかな足運びで歩きだした。静かな所作である。


「ヒュー、随分と気を張っていたようだけど」

「まあ、そりゃあな」


珍しく深く溜息を吐いたヒューは疲れた様子でちらりと扉の向こうを見た。とうに扉は閉められていて、ダヴィもとっくに帰っている。


「俺だってこんな狭い所であんな物騒な奴の相手はしたくねぇよ」


その言葉に頷いたのは、シャルだけだった。





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