第22話 北の人が来る話



本日は疲れを癒して、領主邸訪問は明日に。そう言われてしまえば今日の所は何もやることはなくて、ハミルが拵えたビーフシチューを平らげたらやることも無く、早々に寝床に入った。シルヴの寝床は結局ヒューと相部屋で、あまり豪奢でもなくそこまで貧層でもない平均的な部屋に決まった。逆にシャルとコーディは一番豪華な部屋を割り当てられているから、多分囮の扱いなのだろう。


「なんだかんだでこういう時は役得だよな」


とても良い物だと聞いていた大きくてふかふかなベッドに乗ると想像よりも硬くて、しかし横になるとはっとするほど心地よい。隣のベッドに腰掛けたコーディが上機嫌でベッドをぺんぺん叩いた。


「良いベッドって聞いたけど、そんなに柔らかくないんだな」

「あんまりやわこいとさ、寝返りが打ちにくくて疲れやすいんだってよ」

「へえ」


強く腰掛けてみるとぼんと体がボールの様に跳ねた。中々強いスプリングが仕込まれているらしいのに、体に当たって痛いという感じはない。体に仕込んであった防具を取り外してシーツの海に飛び込んでみると、思っていたよりも……いや、その何十倍も心地いい。


「あ、これは、ダメだ、うわ―――――」

「そんなにか……うわ、ダメだダメだ、これはダメだ」


語彙を容易く崩壊させたシャルに習って同じようにベッドに飛び込んだコーディがだらしない悲鳴を上げた。このまま意識を落としたら、きっと引くほど眠れそうだ。めいめいに呻き散らして、シャルはまだ身に付けていた剣を外して傍に落とした。


「おまえ……剣士が剣をそんなぞんざいに扱っていいのかよ……」

「いいんだよ……もうすぐ寿命だし……」

「まじで?そんなに使い込んだのかよ」

「店で買うのってあんまり良い物がないんだよ」


どうにか意識を持ち直して起き上がると、隣の寝床でコーディも同じように上体を持ち上げていた。


「そういやあ腕の立つ冒険者って良い武器防具持ってるイメージだけど、お前はそう言うのないわけ?」

「無い」

「え、そんな簡単に返事するほど?」

「うん、無い」


コーディが詳しく聞きたげにこっちを見て来るが、無いったら無いのだ。別にどんな込み入った事情があるとか都合が悪いとかそう言うのでなく、良いなと言う物に巡り合っていないだけである。


「そりゃあ又聞きした話だと、蒼い剣の勇者とか赤い盾の聖戦士とか居るらしいが、其れだってよっぽどの事がないと手に入らないだろう」

「ええ?でも前に会った黄色の法衣の格闘家は、金に色を付ければそれなりのものが手に入るとか言ってたぜ。俺はそこまでがつがつした冒険者じゃなかったからそう言うの詳しくねぇけど」

「金を詰むメリットが無い」

「それで目立って、そこから名声に繋がるんだろ」


そう指摘されて、珍しくシャルはそれは、と小さく言葉を詰まらせた。それから綺麗な青の瞳がうろうろと右に左に忙しなく動く。何と応えればいいのか考えているような顔だ。


「……目立ったらいけなかったから、目立たない様にしていた」

「うん?」

「そう、おばあさまにお言いつけされていたから」

「おばあさま、ねえ」


シャルから初めて聞く単語に、コーディはおやっと目を瞬いた。目立つなと言いつけるなんて余程酔狂なお人柄か、それともよっぽどのわけありか、そんなものだ。


「息を顰めて、目立ってはいけないと。見つかったら、殺されてしまうと言われたんだ」

「そりゃあまた随分と物騒な話だ」

「小さい時からそう言い聞かせられていた」


眉を顰め、コーディは目の前の美少年を見た。無精に伸びた髪で陰りがちだが、整えなくても分かるほどに綺麗な顔立ちをしている。きっと幼い頃の大人の手が入っていた頃はもっと輝かんばかりの美貌だったのだろうが、長い前髪越しに見える瑠璃色は酷く緊張していた。


「なんだ、お前少年趣味の大人に囲われでもしてたワケ?」

「しょうねんしゅみ?……かこ?」

「ああ、子供が変態的に好きな大人に閉じ込められてたのかって聞いてんの」

「変態……ではないな。家族だった」

「え、家族?」


家族から隠れるとはどういうことだ。突然出てきた健全な単語に、コーディは思わず目を剥いた。幼い頃に変態の稚児趣味に囲われていたところを逃げ出したかどうかしたのだと思っていたが、事は存外に複雑らしい。


「住んでいたのは山で……年の離れたおねえさまと一緒だった」

「へ、へぇ。お姉さんと一緒か。親は居なくて、お婆ちゃんが居たのか?」

「おばあさまとおじいさまは一か月に一回、うちに来たんだ」


昔を思い出しているのか、シャルはぼんやりと窓から空を見上げた。今更だが、コーディは丁寧な物言いで身内を呼ぶのだとぼんやりと考えた。きっちりと躾けられたのか、それともその呼称しか知らないのかは判別がつかなかった。


「山の暮らしは悪くはなかった。食べる物にはいつも――」


そこで言葉を切って、シャルはベッドから勢いよく立ち上がった。無言で床に転がる剣を掬い上げ、音も無いのに恐ろしい早さで大窓を開け放った。


「…………どうした?」

「なんか……変な感じだ」

「は、変な感じ?」


大窓を思い切り開いているくせに不思議そうにひたすらに首を捻って、シャルはもぐもぐと口を必死に動かした。


「変、だ。なんか、なんだろ、嫌な感じじゃないのに、落ち着かないっていうか、本当にわからない」

「いや、わからないのはこっちの台詞なんだが」

「だって、護衛の仕事の時はもっとわかりやすかったのに」


そう呟き、それからシャルは釈然としない顔をして窓の傍に枝を伸ばす気に飛び移った。音がしない。お前は暗殺者か何かなのかと呟きながらコーディもそれに続いた。


「護衛の時って……お前、護衛の仕事もやってたわけ?」

「うん。嫌な感じがするときに対象の所に行くと、絶対に暗殺者とか刺客がいるんだが」


やっぱり変だ。そう呟いて、シャルはするりと飛び降りて駆けだした。やっぱり音がしない。

刺客。その単語を聞いて、コーディは武装を解除してしまったことを後悔していた。武器はまだ身に付けていたが、防具は殆ど外している。もしも暗殺者であれば武器に毒の一つや二つ仕込んでいるのは基本である。馬鹿みたいに身体能力が秀でているシャルならともかく、常人にしてはそこそこ動けるだけのコーディには少し命の危険を感じる。


「刺客とか暗殺者とか、そういうのではない…………と思うんだが」

「なんだよ煮え切らないな!」

「静かに。気づかれるより先に攻撃する」

「発想が物騒」


テンポのいい突っ込みを溢すコーディを無視してそっと物陰に隠れると、確かにそこには誰かがいた。このまま飛び掛かりそうだった顔をしていたシャルは、そこで一度足を止めてもう一度首を捻った。


「……違う」

「何が違うんだよ、わかりにくいな」

「だって、違うものは違うんだ」


入り込んできてるくせに、戦うつもりはないみたいな。もぐもぐと呟いてから大人しくなったシャルは、そのままゆっくりと足を前へ踏み出した。


「!」

「シャル?」


よく見ると大きな窓が空いている。中から顔を出しているのはもう寝る準備を終えただろうシルヴとほんの少しぴりついた顔をしたヒューで、外にいたのは長身の男だった。パッと見ただけだと判らないが、シルヴと相対しているのを見ると目を瞠るくらいに体格が良いのが分かる。


「ち、違うんだ!彼は、その」

「知り合いか?それとも、誰かの使いのものか?」

「うん?」


シャルの問いかけにヒューがおっと目線を寄越した。


「なんだ、お前分かってたのか」

「入り込んできたのは分かった。でも、悪い奴の気がしなくて、とても変な感じだった」

「へえ」

「だから、様子を見に来た」

「そりゃあお疲れさんだな」


面白い物を観察するような楽しそうな顔をして、ヒューは腕を組んで静観でもするような態度を取った。


「夜分に紛らわしい訪問、誠に失礼。このような時間で無ければ我々も動けないので――」

「アンタが敵じゃないのは分かってる。なら、客だろう」


そう言うと、シャルは男の腕を掴んで歩き出した。


「え、ええと、君は」

「シャルだ。護衛で同行している。客ならきちんと玄関から入ってこい」


そういうと、引きずる様に連れられていた男は大人しく歩き出した。


「君は凄いな、何も語っていない私を、宿に連れ込むのか?」

「敵じゃないなら訪問者は持成すものだと教えられている」

「……そうかい」


何とも言えない顔をして、男は案内されるままに宿のリビングに通された。奥の方から駆け込んできたシルヴは寝間着に適当な上着を羽織っただけの服装で、いつもは複雑に編み込んであるオレンジの髪は適当なリボンでざっくりと括られていた。慌てて身づくろいしてきたのだろう、前髪の端が少しだけ跳ねていた。後には防具を外してはいたものの剣を引っ掴んだヒューが続いているのが見えた。





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