第20話 貴族の買い食いの話



「これがいい」

「はいよ!」


串が貫通しているのは、健全な桃色の肉。分厚い皮が張り付いていて、脂もしっかりと乗っている。生肉だというのに見ているだけで隙間の目立つ腹が尚の事空いてくる。分厚いそれが積み重なっているのを眺めているとシルヴがコインをいくつか店主に手渡し、そのついでの様に何本か串を取った。体格のいい女主人はにこにこ笑いながらそれを受け取ると傍らの壺にそれを突っ込んで、手際よく屋台の正面の非の前に串を突き刺した。


「食べるのか?」

「お前たちの分だよ」

「ひえっ!?」

「美味しく食べておくれよ」


シャルの問いにシルヴがにこっと笑って言った。成程、シルヴが購入した肉は三つ。シャルにハミルにシルヴの分と思えば丁度だ。それに気づいてハミルが奇声を上げ、其れにシルヴがけらけらと笑い声を上げた。


「こういうのは買い食いがお作法だからな、焼き上がったのに思い切り齧り付いてみたかったんだ!」

「いいのか?」

「目の前で調理されているからね」


言外に毒見を訪ねると、シルヴは意図を察して更に笑みを深くした。


「トリスが居ると、どうしてもこういう食事は控えめになってしまうからね」

「そう、なんですか?」

「私も中々だけど、彼女は私以上に箱入りの御令嬢なんだ。だから食事でこういう……行っちゃあなんだが庶民派の物はどうしても、ね」

「そう言う事でしたか……」

「どういうことだ?」

「――――――――ええと」


解説を求められて、ハミルは言葉を選ぶように視線をくるくると泳がせた後にもう一度シャルを見た。


「貴族とか、ある程度お金を持っている方の一分は、こういう屋台や大衆食堂……安くて早くてうまい、とされる食事を嫌がる人がいるんです」

「トリスが嫌がるのか?」

「いや、彼女はそうではないけれど、彼女の立場がね」


微笑んで口を開くシルヴはそうだねえ、と唸った。


「『貴族であるならば、下々の物と同じような『下品な』食事をしてはならない』。そう言った主張をする者は、お恥ずかしながら結構いてね。彼女は親が悪く言われないように、こういう食事をしてこなかったんだ。だから慣れていないと思って進めてこなかったんだけれど」

「こういうのを食べてこなかったのなら、どういう物を食べてきたんだ?」

「…………野菜のテリーヌ、魚肉のパテ、白パン、ええと……ムニエルとか」


出てきた例えに、シャルは眉をぎゅっと寄せた。


「それは、どういう料理なんだ」

「さあねえ」

「何だそれ」


何だそれ。もう一度繰り返して、シャルはむっつりと不機嫌顔になった。


「毒を食べたら困る癖に、どういう料理か知らないなんて馬鹿じゃないか」

「シャル様、それは……!」

「あはははははは!!!」


咎めようとしたハミルを押しとどめたのは、シルヴの心底愉快そうな笑い声だった。この街に来てから……いや、出会ってから今まで良く笑う男だ。笑い上戸なのかもしれない。


「全くだね、本当に!」


けらけらと笑うシルヴは心底楽しそうにうんうんと頷いた。シャルは自身とは相いれない生物を見る目でそれを眺めて、固く閉ざしていた口を一度開いてもう一度閉じた。


「私は全く、思っていたよりよっぽどの結構なモノシラズだったらしい!」

「し、シルヴ様……宜しいので?」

「いや、本当の事だったからね!私は、もう、本当に!馬鹿だったらしい!」

「……シルヴは壊れたのか?」

「そうではないと、思いますが……」


困惑する子供二人を余所に、シルヴはようやく収まった笑いに涙で濡れた眼元を拭った。


「私の知っている料理なんて、本当にたかが知れているんだ。精々お茶の入れ方と漬物と言う一部の調理方法がどういう物か、後は食材を焼いたものをステーキと呼ぶくらいかな」

「ステーキ?」

「まあ、高級な食事の代名詞みたいなものではありますし」

「もっと変だな」


シャルは不機嫌の上に不機嫌をトッピングしたみたいな顔をして、女店主が差し出した肉の刺さった串を受け取り噛り付いた。


「これだってステーキなのに、品がどうのと言うのか」

「あははははははははは!!!!!」


成程、確かにこれはチキン『ステーキ』だ。屋台で売られる肉の代名詞だし、噛り付く物だからお行儀は悪いが、これはこうやって食べる物だ。


「ステーキなのに食べ方が違うなんて変だ」

「全くだ!」


けらけらと再び笑いを爆裂させたシルヴは、しかし脂がぽたぽた滴る鶏肉に噛り付いた。火種に用いている炭からいい感じに香りが移って爽やかな香味がする。少し燻製に近い。


「うん、美味い。とても良い香りがするよ」

「喜んでもらえて何よりだよ。うちの料理は火種に林檎の木を使っていてね」

「林檎の木?」

「そうさ」


女主人はにこにこと笑った。


「山や農園の手入れをすると、虫食いや瘴気に汚染されて、廃棄処分になる木っていうのが結構出て来るのさ。瘴気は浄化出来るけど、一部が腐っちまうからね」

「ああ、腐った所から傷むとは聞いたことがあります。――じゃあ、この炭は、その?」

「そうさ。燃やすだけじゃあ、可哀想だろう。今まで美味しい林檎を付けてくれていたのに、あんまりだ。だから最後まで使い切るのさ。……燃え尽きたら灰になって、それを肥料に混ぜ込むんだよ」

「凄いな、無駄になる所がない」

「全くだよ!」


女主人は豪快にけらけらと笑った。


「この壺のタレだって、林檎が丸々入ってるんだ。身を擂り潰して、種も粉々に砕いて、皮も一緒にスパイスや他のものと一緒に煮込むんだ。甘くておいしいだろう?」

「…………うん、おいしい」


大人しく頷くと、シャルはもう一度肉に齧り付いた。ぷりぷりで噛むだけで脂が滲みだして来るのに、その脂が嫌味っぽくなくさらさらと流れる。きっと、とても丁寧に下拵えをしたのだろう。


「信じられないくらいに美味しい。秘密でもあるのか?」

「そりゃあね、良い肉じゃあないから、その分手を掛けてやるのさ。酒や蜂蜜、スパイス……まあ、詳しくは言えないけど、叩いたり漬け込んだり、結構頑張ってるんだよ」

「……うん、美味いな、これは。しかし、私ももうすこし社会勉強が必要な事が分かってしまったな。これを機に、もう少し学ぶべき事象のブラッシュアップを」

「そう言う難しい話を食事時にするのは良いマナーなのか?」

「…………違うな!うん、とてもおいしいよ、ご主人!」


にかっと笑ってそう言って、シルヴはもう一度勢いよく肉に噛り付いた。


「なんだお前ら。ここにきてまで肉かよ」


後ろから声をかけてきたのはヒューだった。その腕には紙袋が二つほどぱんぱんに膨らんでいて、少し後ろには同じ紙袋を一つ抱きしめたルベルが居るのが見える。


「シルヴ様、お肉以外もきちんと食べて下さいませ」

「んん、すまないね二人とも。空腹に負けてしまったよ」

「俺は良いけどよ、軒先で立ったまんまは下々でもいただけねえマナーだな」

「重ね重ね、失礼!」


もぐもぐと肉を飲み下しながら謝ると、シルヴはシャルとハミルの背中を押して軒先から横にずれる。


「ところで、もう一人が見当たらないんだけれど」

「水分がないとかぶつくさ言って人ごみに紛れてったぞ」


その言い草ならば果物か飲み物を確保しに行ってくれているのだろうか。やはりああだこうだ言ってはいても気が利く男だ。


「コーディは何と言うか、私の周りにはあまり居なかったタイプだよね」

「あれはいわゆるツンデレだな。間違いない」

「つんでれ?そういうものなのか」

「そーそー。いっつもツンケンしてるくせにたまにでれっと優しくなる奴」


にまついた顔のヒューが紙袋からパンを取り出して、コインと交換に受け取った既に焼けている肉を挟んだ。出来合いのものを炭水化物を付け足しアレンジするとは、かなりの出店上級者である。


「ああいうのはあんまりつっついてやらないのが暗黙の了解って奴だから気を付けとけよ」

「あんもくの……」

「誰も言わないけどそう言う物だと決まっている、という事です。すこし理解が難しいかもしれないけど」

「…………」


難しい顔をして黙り込み、シャルはもう一度肉に噛り付いて咀嚼する。呑みこんで、ああ、と一つ声を上げた。


「魔術師が集中しているときは声を掛けたらいけないとか、そう言うのか」

「ええ、まあ、知れ渡っているルールの事、でしょうし。そんな感じです」

「一つ賢くなった」

「何よりです」


ため息交じりに頷いで、ルベルはハミルに差し出された肉に噛り付いた。




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