第18話 勧善懲悪の話
「サザラントはお家騒動真っただ中と言っただろう」
山道の石がごろごろ転がる道をざくざくと歩きながら、シルヴは独り言の様に口を開いた。
「家の中で一番偉いのは誰か喧嘩をしているんだろう」
「そう。家で一番偉い人は決まっているわけで、大体はその子供が後を継ぐ。わかるかい?」
「それは知っている」
シルヴの視線がちらりとシャルを見た。きちんと理解できているのか確認しているのか、それともただ単に返事をしたのをなんとなく確認したのか。
「勿論跡継ぎはきちんといたんだ」
「じゃあ、どうして喧嘩になってるんだ?」
「跡継ぎがね、問題があった」
「問題ってぇと、人格か?生まれか?育ちか?」
ヒューがのしりと身を乗り出した。
「性格は至って穏やか。先代殿によく似ていて、正妻で有らせられる奥方の胎から確かに生まれた子だ。過分に甘やかすことも無く、先代殿が手ずから勉学を、奥方殿が家庭教師を雇って厳しく躾けられたと聞く」
「じゃあ何がダメなんだよ」
「年齢と性別さ」
「女性か」
コーディが不愉快そうに眉を寄せた。
「いくつだ?」
「約七、八年程昔だよ、サザラントに世継ぎが生れたと祝いの品と手紙を送ったのは」
「大体七歳の女の子、って事か。そりゃあ貴族の醜聞だな」
腹の底から低い声を出して、ヒューが幼い少女に思いを馳せた。大人の、貴族の醜い争いの真っただ中に一人幼い子供がいる。そんな状況、聞いただけで腹の底が重たくなる。
「サンドレィ・マデリン・ヴィルドー・サザラント卿のことですね」
未だ緊張気味で目つきがきろきろと妖しいハミルが正気に戻ったかのように真面目な顔をして、シルヴと同じく独り言の様に口を挟んだ。
「仕事に関して厳しい先代殿が才覚を手放しで褒め称えたと聞きます。なんでも異国から上流貴族の生まれを、態々家庭教師として登用し、より深く行政の才能を伸ばそうとしているとも」
「お前詳しいな」
「じょ、じょじょじょう、ほうは、集めておくに越したことは御座いませんから」
さっと挟まれたヒューの言葉にびょびょっと一〇センチほど飛び上がると、ハミルは再び口を引き結んだ。狩るつもりも無いのに、茂みの中に隠れて寛いでいた兎をうっかり正面から見つけてしまったような気になって、関係ないのにシャルは申し訳ない気分になった。
「しかし、その情報が全て本当ならとんでもねぇ話だな。幼い子供を放置して権力争いだなんて、まるで二昔位前の古臭ぇ勧善懲悪物の絵本の世界じゃねぇか」
「うわ、俺も思った。昔あったなあ、『勧善懲悪物語』。何故か微妙なタイトルだったんだよな」
「あ……其れ僕も読んだことがあります。原典の方ですけど」
「原典というと……」
「『偉大なるバトライラが言う所における各地の放蕩記』……ですよね」
「誰?何の話だ?」
知らない話と人名に眉を寄せたシャルに、ああ、とヒューが苦笑した。
「バトライラっていうすげえ魔導技術者がいたんだよ。で、そいつは色んな魔法や魔導技術を生み出したすげえ奴だったから」
「まどうぎじゅつしゃ……」
「魔法や機械や道具を組み立てて便利な物を生み出すお仕事です。魔術師よりも凄い人、みたいな感じですね」
物言いたげなシャルにルベルが更に補足を被せた。
「いだいなる、って、とってもすごい、って意味だったか」
「そうだよ。つまりその呼び方で『とっても凄いバトライラ様』って意味になってるわけだね」
「なんかそれ恥ずかしそうだな」
「その感想は初めて聞いたけど……そうね、私もそう思う」
トリスが楽しそうにころころと笑い出した。何かが引っかかって楽しくなったらしい。
「じゃあ、その『偉大なるバト』、ばとぅえ……?」
「『偉大なるバトライラ』な、バトライラ」
「ああ、うん。その、バトラ、イラとか言う偉い人……魔法の凄い人が書いたのが、そのほうとうき?とやらなのか」
「そうだよ」
頷いて、コーディは珍しく眉を顰めた。
「この『偉大なるバトライラ』はな、そりゃあもう偉い魔術師なんだ。で、偉い人とか凄い事をした人間ってのは、色々とそれを成し遂げるのに相応しい問題にぶつかるんだ」
「そう言う物なのか」
「そう言う物なの。で、このバトライラも勿論苦難にぶつかる。優秀過ぎて頭がよすぎて、周りの魔術師が理解できなくてな、異端視されて故郷を追放されたんだ」
「いたんし?ついほう?」
「悪い意味であいつは違う、と思われて、故郷を追い出されたの」
「ああ、そういう」
解説を貰えば良くわかる。人間は結構、自分や身内以外は蔑ろにするものだから。随分とこだわりがあるのか、コーディは何やら色々と考えながらも口を重苦しく開いた。
「で、そうなると一人であちこちを歩き回ることになる。これが放蕩だ。自分を受け入れてくれる場所を探しての長い放蕩の果て、バトライラは終の棲家に辿り着き、そこで妻を、家族を迎えるのさ」
「ついのすみか」
「自分が最後を……死を迎える、もしくは迎えたいと決めた場所の事です」
ルベルがさっと補足を入れた。
「この終の棲家を見つけるまでの放蕩に置いて起こった、心惹かれることを文章にまとめたのが、『偉大なるバトライラが言う所における各地の放蕩記』だよ。これは彼が子供らに語ったことを子孫が纏めたものなんだ」
いつの間にか耳を傾けていたのか、シルヴが薄笑いを浮かべながら締めくくった。随分と詳しいのか、意外に話題に食いついてくれる。
「子孫がいるのか」
「奥さんが居るからねえ」
「わけわからん宗教みたいな感じになってるみたいだけどな」
何とも言えない顔で補足をすると、コーディは何か苦い物でも噛み締めさせられたみたいな顔をした。
「今じゃあよくわからん狂信者の集まりだよ。『偉大なるバトライラ』の血脈だって事が無けりゃあ多分狂人集団として摘発でも何でもされて終ってるさ」
「否定はしないかな」
「……まあ、『偉大なるバトライラ』についてはこれでいいだろ、これだけ知ってれば変には思われねぇ」
「そうですね、ええ。ええと……そう、『勧善懲悪物語』の話でしたね」
ルベルが慌てて話の舵を切った。流石に話の方向がずれすぎていることに気づいたのだ。
「今さっき話していた『勧善懲悪物語』は、この『偉大なるバトライラが言う所における各地の放蕩記』の中でも面白い物や大事だとされる物を子供向けにしたものです」
「子供向けに……?」
「内容を省いて削って書き直して、マイルドに子供が楽しめる様にしたものさ。絵本の形をした短い物から、分厚く児童書に編集したものまである」
「色んなのがあるんだな」
「まあ、原点が『放蕩記』なら全部一纏めに同じ『勧善懲悪物語』って事になるからな、一番読みやすいのを読むのが良いさ」
数ある出版社でも、一番最初に出版されるのが勧善懲悪物語やその亜種、考察、その他諸々なのだから、『偉大なるバトライラ』は本当に偉大な人なのはすぐにわかる。シルヴは苦笑して、荷物から小冊子を取り出した。艶のある薄皮の表紙の豆本には、上品な金色の字体で何か書かれている。文字にこなれていないシャルには『バトライラ』の文字だけは辛うじて読み取れた。
「私みたいに、こうやって荷物に忍ばせていないと落ち着かないなんて信望者だっている」
「しんぼうしゃ」
「とても好きな人の事です。この場合、殿下は『偉大なるバトライラ』の信望者だと主張しているんです」
「そうなのか、シルヴはしんぼうしゃなのか」
ぱちぱちと目を瞬くと、本を覗き込む。お値段が張りそうな装丁のその豆本は、さっとポケットに忍ばせ易そうなものだ。
「うん、はは、そういうこと。これは本当に難しい書体だし難しい言い回しだからシャルにはまだ早いね。帰ったらヴィルジュ先生に相談してみると良い」
「先生に?」
突然出てきたここにいない名前に首を捻ると、シルヴはうふふと笑みを溢した。
「彼は教師だからね、子供に相談された時にどんな図書をお勧めするべきかくらいは分かっていると思うよ。私はこういう小難しいのが読みやすいし、ルベルも学術書の方が読みやすいだろう?」
「否定しません」
「どちらかというと……トリスの方がこういうのは感性が近いかもしれないね」
「呼びましたか?」
先を歩いていたトリスが振り返り小首を傾げた。長い髪が頭の動きを追って綺麗に波打ち、光をきらっと反射する。
「勧善懲悪物語の話さ」
「はあ……あれですか」
「私は小難しいのが、ルベルは学術書のが好きだろう」
成程と頷いて、トリスが歩く速さを抑えて近くに来た。
「確かに殿下は治世の参考に、ルベルは魔術の参考に用いていますね」
「そう。で、シャルは文字を読むのに慣れていないから、多分トリスが読むのが一番読み易いんじゃないかなって」
「まあ、私はあれを文学や物語として楽しんでいますからね。……いいわ、先の事ではありますが、サザラントでの御用事が終わったら図書館で探してみましょう」
「いいのか」
「読んだことがないのでしょう?図書館なら読むのはタダなんだから」
「それなら、今度良い物を教えてくれ」
「ええ、おすすめを探しておくわ」
にっこりと笑って、トリスはシャルの頭を撫でつけた。
「コーディはどう?童心に帰って、読む?『勧善懲悪物語』」
「あー……ガキん時それ関係浴びるほど読んでたからいいわ。ノイローゼになったんだよ」
つまらなさそうな顔をして、コーディは視線を逸らした。あまり良い思い出はないらしく、それでも話には付き合ってくれる辺り、やはりコーディは良い奴だった。
山を踏み分け踏み分け進んだ先、奇妙な感覚が背筋を撫でる。常夏の地から常春の地に気候が明らかに変わったのが匂いでわかった。サザラントは常春の地と聞いたが、春に咲く花の香りと香り立つ湿気を孕んだ土の香り、それから草の渋い香りが混じって花を突き抜けた。
「サザラントだ」
シルヴが満足げに呟いて、岩と岩の隙間から下を見下ろす。トルガストでは考えられないくらいに広い平原は青々とした芝生が敷き詰められているのが見えた。
「草の匂いがする。土と花の匂いも」
素直にそう言ったシャルの言葉に、シルヴがうんと頷いた。
「シャルの感覚は流石に鋭いな。常春のサザラントでは山の幸が豊かだから、土や草とは離れられない文化なんだ」
「中央はあまり遠くはないから、このまま一気に下山して向かいましょう」
「少なくとも街には到着しておきたいな」
風に髪を煽られながらトリスが言うと、ヒューもこくりと頷いた。
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