第13話 謝られて許す話


「あ、あのっ、シャル、ロッテ、さん!」

「なんだ?」


最初は呼び止められていると思っていなかったが、どうやらこの蚊の飛ぶようなか弱い声は自分の事を呼んでいるらしい。


立ち止まってくるりと後ろを向くと、今にも泣きそうな顔をした女の子が仁王立ちしていた。爪先が内側に寄っている女の子らしい立ち方で、ああ、女の子だな、と納得する立ち方だ。

その手は拳を握って両方とも胸元に引き寄せられていて、何をそんなにこれから戦いますみたいに身構えているのかよくわからない程に凄んだ顔をしている。


「何?」

「へあっ」


ひょろけた声を上げた女の子は、確かルベルとか名乗っていたか。騎士だと言っていたけどイメージに似合わないか弱さだ。

でも、確かさっき、良くわからないが喧嘩を売られた気がしたが。シャルはむっと怒っていますという事を見せる為に眉を寄せた。こういうのはポーズだけでも威嚇をしないとナメられてしまうらしいので。


「あの、その、あの」

「だからなんだ?」

「ええと、そのう」


ルベルは落ち着きなく両手で頭のてっぺんから襟足までをがしがしと数回掻き下ろした。何かを伝えたいらしいがその意志をくみ取れなくて、シャルは首を傾げた。

さっさと伝えればいいのにと思ったが、なんでも言いたいことを言いたい時に言えないことがままあるらしい。先生が少し前に言っていた。

ヴィルジュ先生が言うからにはそういうこともあるのだろう。


シャルロッテは結構先生の言うことは素直に真に受ける性質である。ところでそろそろ怒った顔を維持するにも顔面が疲れてきた。


「場所を移すか」

「え?」

「話したいことがあるんだろう」

「――――それは、まあ」


両手を煩く動かしていたルベルがきょとんとして、やっと息が出来たとばかりに息を何度か大きく吸って吐いた。


「あっちに飲食店街がある。適当に何か食べよう」

「は、はい」


腹が減ると碌な事にならないことくらいは知っている。なら、何かを食べた方がきっと落ち着くに決まってる。そう思って店を勧めると、ルベルは小走りで着いてきた。

辿り着いたのは小奇麗でこじゃれたパン屋だった。こういうお店は女の人が結構好きなのよ、とエーディアが教えてくれたところである。


「何にする?」

「え?ええと……?」


何も考えていないみたいな顔をしたルベルはシャルに問われて慌ててメニューを眺めた。ちらちらと視線がメニューとシャルを行ったり来たりする。

正直、どうして自分はさっき喧嘩を打った少年と共に喫茶なんてしているのだろうかとわけが分かっていない。

が、店に入ったのだから注文しないと失礼である。もう一度メニューを眺めて、ルベルは目線を上げた。


「ええと、決まりました?」

「良くわからない」


難しい表情をしたシャルにルベルはあら、と目を瞬いた。メニューには難しい文字は使われていないが、その文字は少々修飾されており、一般的に文字に親しんだ人でなければ解読に時間がかかるだろう。コーディの言っていた『学がない』と言う事実をやっと理解して、ルベルはようやく落ち着いた微笑を浮かべられた気がした。


「前に来た時、エーディアと一緒に食べたものがなくなってる。あの時は黄色くて、とても甘いパンだった。多分焼いたものなんだと思う」

「それは多分、フレンチトーストですね。それにしますか?」

「でも、お昼、食べたばかりだから。多分入らない」

「じゃあ、飲み物にしましょうか」

「前に食べたのが食べたいのも本当だ」

「季節で変わるメニューじゃないですから、今日はやめておきましょう?」


ルベルに言いきかせられて、シャルはうんと子供の様に素直に頷いた。


「甘いのと甘くないのはどっちが良いですか?」

「甘くないのがいい」

「じゃあ、お茶でいいですか?」

「うん」


こくりと頷いたその仕草はやっぱり幼い物で、ルベルは分かりましたと同じ様に頷いた。


「――すみません、注文を」


店員を呼び止めると、シャルの目線がじいとルベルを見た。何と言うか、観察するような目つきだ。


「紅茶を二つ、お願いします」

「ミルクとレモンはいかがいたしますか?」

「ええと……シャルロッテさん、どうします?」

「いらない」

「じゃあ、ストレートとレモンを」

「かしこまりました」


店員が一礼して去っていくまでをじっと見ていたシャルは、へえと小さく嘆息した。


「凄いな、俺だったらもっと時間がかかってた」

「そうなんですか?」

「こういうお店はあんまり入らないから」


女性好みする店は縁が遠くて、シャルはこの街に来るまで利用したことが無かったくらいだ。店員を呼んで注文をするにも、こんなにゆったりしていてお洒落た店構えでは何というか、呼び止めるにも酷く緊張するのだ。

手慣れた店員が表情を見て察してオーダーを取りに来てくれないと、注文が入るのが遅いと店員が来るまでタイミングを計り続けたりしてしまう。


「あの」

「それで、どうして俺を呼び止めたんだ?」


これからどうやって話を切り出そうと迷いながら口を開くと、それより先にシャルが話を振ってきた。まどろっこしいのは苦手だ、と呟いて、シャルはサービスで出された水をちびちびと舐めた。

随分と大事に飲むのだと言外に感心した。グラスの中の水が陽の光を反射して、お綺麗な顔に白い光の筋が幾重にも掛かった。


「謝罪を」

「しゃざ……何?」

「あ、ええと、貴方に謝りたくて」


カラカラに乾燥した口を動かしてそれだけ言うと、ルベルは水を一口飲んだ。随分と興奮しているのか緊張しているのか、水を飲んだ気がしないのに喉がすっと冷たくなった。


「あの、さっき、は。申し訳ございませんでした」

「さっきって、さっきの?」

「え、あ、はい。私、貴方に喧嘩を売ったでしょう」

「それか」


ああ、と何気なしにぼんやりと頷いて、シャルは舐めていたグラスを下に置いた。


「そうか。うん、いいよ。許す」

「えっ」

「何だ?」


コーディの言った通りさっくりと許されて、ルベルはバランスの悪い表情をした。何と言うかもうちょっと、こう、こう……何か一悶着あっても良いだろうに。


「ええと……あっさり、許すんですね」

「謝られて、俺も怒ってるわけでもないし。許していいと思ったから」

「私なら大人げなく許さないと思うので」

「お前も俺も子供なのに大人げないっていうのか」

「子供では!……ない、つもりですが」

「一人前じゃないなら子供だ」

「それは……そうですけれども」


反論しようとして、しかしルベルは勢いを殺した。ルベルは14歳だ。確か聞いたところによると、シャルもその辺り。

十代半ばなんて世間一般では多くが何かの見習いだったり学生だったり、一人前として扱われている者は多くはない。ならば少なくとも半人前だし、自分で言うのもなんだが子供に分類できるわけだ。

ルベルだって従騎士……つまりは立派な騎士の従者……見習いの部類である。


「そう考えると、私って結構恐れ多い事をしたのでは?」

「おそれおお……?」

「ちゃんと考えると恐い事、という意味です」


一人前にも満たない騎士見習いの小娘が、同じくらいの年ごろとはいえ一流の剣士に物申した上に喧嘩を破格で売りとばしたのだ。考えなくても不味い事である。

しかも、こちらから呼びつけて協力を取り付けたい相手に対しての所業。今更色々と把握し直して、ルベルは頭を押さえたくなった。

と言うか、押さえた。きりきりと頭痛を感じる。


「どうした?頭が痛いのか?そういう時は甘い物を食べると良いぞ。先生が言ってた」

「――恐れ入ります」


きちんとしよう。そう考え直して、ルベルは丁度運ばれてきた紅茶にレモンを入れ、砂糖を山盛り二杯落とした。いつもの倍である。


「本当に大丈夫なのか?」

「ええ、はい、大丈夫です。その、自分が何をやったのか考え直して……随分な馬鹿をしたなと思いまして」

「ふうん?」


理解していないながらもこちらの話を聞こうとしてくれているのか、シャルは小首を傾げながらも返事をした。


「その、きちんと謝らせてください、本当に。私は貴方に不敬……酷い事を言いました。貴方がどういった人なのか知らないで、色々な事を勝手におくそ……思い込んで。その上で酷い事を言ったので、謝りたくて来たんです」


どういえば伝わるのかを考えながらルベルが拙く言うと、シャルはうんうんと何度か頷いてそうかと小さく呟いた。


「難しい言葉ばっかりで、本当にわからなかったんだ」

「それはあの時、貴方が言ってくれたのでわかりました。でも、なんて言いますか、その、ショックで」

「ショック?」


言葉にしてみるとようやくどう感じていたのか判ってきて、ルベルは頭の中がすっきりしたような気分になった。まるで難しいナンバープレイスを解いてぐっすり眠った次の比みたいな気分だ。


「びっくりしました。私は、きっとあなたとは違うかんきょ……違う育ち方をしたんだと思うし、それが当たり前だと思っていたから。シルヴ殿下の口にされた言葉が、当たり前に通じると思ったから。だから、勝手に私たちを馬鹿にしてると思い込んだんです」

「それで怒ったのか」

「本当にごめんなさい」


しょんぼりと肩を落とす女の子にどうしていいかわからず、シャルはううんと首を傾げた。


「俺は別に気にしてない。アンタが……ルベルっていったっけ。ルベルがさっき喧嘩を売ったのは、勘違いでもシルヴを馬鹿にされたって思ったからだろう。でも、ちゃんと分かって、だから謝りに来た。でも、俺はルベルが勘違いするように話をしたから……ええと」


どういえばいいかわからなくて、シャルは反対側に首を反らした。


「ううん、ええと、こういうの、どう言えばいい?」

「ええと……私が言うのもなんですが、貴方が言ったことを纏めるなら……『どっちもどっち』、でしょうか」

「それだ」


天啓を得たとばかりにぱちんと手を叩き、シャルはお行儀悪くルベルを指差した。


「ええと、その、『ドッチモドッチ』だから、どっちも悪いってことで良いだろう?だから俺も、ゴメンナサイだ」

「ええ?でもでも、それは……」

「お互いにゴメンナサイしたら、またお友達なんだって先生が言ってた」

「先生って……ヴィルジュ様ですか?」

「そうだ」


ルベルがぱちぱちと目を瞬いた。まるで子供の……初等教育の躾の様ではないかと考えて、そういう事かとやっと納得がいった。

納得すると、途端に自分がやっていたことが馬鹿馬鹿しくなって、急にくすりと笑みがこぼれた。


「――そうですね、どっちもどっち、でいいですね」

「うん。じゃあ、後でシルヴサマによろしくって言いに行かないと」

「ええ。私も行きます。――色々と騒いでしまいましたから」

「謝ることは大切な事だからな」


得意げにシャルがひけらかすこともやっぱり子供の躾の様な話で、ついにルベルは噴出した。




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