第6話 絡新婦討伐の話
勢いよく飛び出したシャルは、しかし懸念していた魔法の直撃なんていうお粗末な事にはならなかった。止まることなく飛び回り駆けまわるその動きは戦いながら眼で追うには早い。
「――まずはこの」
雨が降る前兆の燕の様に鋭く絡新婦の足元に飛び込むと、シャルはキラキラと綺麗な瞳を一所に向けた。何でもないような関節の、少し上の方だ。
「ごっつい脚!」
剣の柄がぱきゃっと卵の殻を破るような間抜けた音を立てて皮膚の様なところを叩き潰し、それと同時に絡新婦の奇声が上がった。絶叫か。
そのまますれ違うように逆の方に飛び出すと、正面の机を蹴りつけて壁を登り、逆方向にいたヒューたちの傍に着地した。勢いで後ろに滑るシャルは、ふうっと一息つく。
「女の足を狙うのは変態みたいだけど、こういう足が多いのは足を潰してからの方が良い。みっつ……いや、四つ、適当に潰せば勝手にこけて動けなくなる」
「いい攻略法です、習いましょう――
「
「やっぱり蜘蛛だな、甲殻が硬い。裏から間接に当てる方が良いか……?」
「関節の方が硬い。それよりもその少し上の方が、脆いから……そこなら、こう……柄で殴っただけで崩れる。えいって」
「えいってお前」
「上の方?」
弾かれた魔法に苦い顔をしていたコーディは、絡新婦の足を見た。机を柔めのブラシで擦っているみたいな音を立てて蠢く妖艶でも色っぽくも無い甲殻の足は、シャルが先ほどぶん殴ったのだけが動きにくそうにリズムを乱している。
「……あー……確かに動きにくそうだな。え、膝裏の?ちょっと上の方?ええー?魔法で狙いにくすぎねえ?っていうかあんな微妙な所の弱点に気づくとかどういう勘してんの?」
「ここ叩いたら足潰れるかなって思って……で、叩いてみたらいっぱい悲鳴が出たから……当たりかなって……」
「お前どんな直感してんだよ変態じゃねえか。俺はでかくて潜れないから正面切ってたたっ斬ってくな」
「なら、私はいい具合にヘイトを稼ぎましょうか。サポートは任せてくださいね」
ガタイが大きいヒューは潜り込むなんて小器用な真似は早々に諦め、ヴィルジュも早々に諦めた。
「かえりたい……」
「おや、コーディ。サボりたいだなんて滅多な事をいう物じゃないですよ」
「そう言う意味じゃないんだよなあーーー!」
「そろそろ来るぞ!」
コーディがぼさぼさ頭をかき混ぜて叫ぶような暇も無く、絡新婦は痛みにぐだぐだと悶えていた顔をこちらに向けてきた。随分と痛かったらしい、恨みつらみは億千万と言う奴だろう。
「雷撃きます、備えて!」
魔力の高ぶりに気づいたヴィルジュが警告を叫び、ヒューが剣を構えて最前に飛び出し、その背中に張り付く形でシャルが同じく飛び出した。
流石に此処で働かなくては報酬を貰う役立たずだろうしそれは避けたかったので、コーディはヴィルジュの数歩前でナイフを構えた。
「
「――俺が出来るのは、本当にサポートだけなんだからな!」
「
ペンの尻でノートを叩くような音を立ててナイフが絡新婦の死角に潜り込んでいった。
手ごたえを感じて横に転がると、練り上げたヴィルジュの魔術が突き刺さって行った。流石の魔術師だ、あっさりと魔術を強化して見せた。
先ほどまで見せていた魔術よりも勢いと威力が強い光線の後を追ってシャルが再び駆け出した。
「上手いじゃねぇか」
強い威力のすぐ後ろに居れば攻撃は正面から引っ被ることはない事を嗅ぎ分けたのだろう。
シャルは絡新婦に突き刺さった魔術の後ろから再び腹の下に滑り込むと、足裏で滑りながら適当な足を再び叩き崩した。その勢いのまま部屋を駆けずり回ると、一歩後ろを電撃が何度も殴る様に叩いて行く。
これは当たれば死ぬやつだと察して死んだつもりで走ると、その間に距離を詰めたヒューの咆哮が部屋中に響いた。
「女の足を集める趣味は無いんだがなあ!」
見事なフルスイングが渾身の力で以て振り抜かれ、脚が一本。ぽーんと放物線を描いて吹っ飛んで行った。
緑色の血液が後を追って部屋に飛び散る。
うへぇ。コーディは鼻についた卵の腐った匂いに吐き気と嫌悪感を前面に出した。
「やだな、これ。せんせぇ、ここってこの後大掃除するんだよな?」
「まあ、この匂いがこびりついた学び舎は嫌ですからねえ」
ヴィルジュはのんびりと答えた。これはかなりイケそうだと確信したのだろう、随分と暢気な笑顔だ。
「あと一本」
シャルが雷撃に追いかけ回されながらもすたたたたと軽快に駆けながら声高らかに宣言した。絡新婦は確かに動きが鈍っているが未だ死に物狂いで動いているから、どうにも相手をしにくいのだ。
「どこを切ればいい!?」
「どこって、わかるだろ」
雷撃が場暫しと足元すれすれを殴ってきているのを軽やかに避けて避けて避けながら、シャルは当然のことを問われた幼子のような顔をした。
「大抵の生き物は脳味噌のあるところを胴体から切り離せば死ぬ」
「お前顔に似合わず大雑把だな!?」
「本性だ」
「知ってたよ!」
ぶうぶうとヒューがヤジを飛ばしながらもう一度剣を構えたが、絡新婦はきいきいとヒステリーを起こした女の様な金切り声をあげながら動く足をがちゃがちゃと地面に突き刺さんばかりに暴れさせた。
「困ったな、これ以上スカートの中には入れてくれないらしい」
「言い方が変態臭いんだよ!」
文句を垂れて、コーディは絡新婦の下肢の裏に意識を集中させた。
先ほど投げたナイフは目論見通り急所近くに突き刺さっている。それをしっかりと確認すると、魔力の糸で自身と繋げた。
「
合図の呪文と共に突き立ったナイフが1mほどの周囲を巻き込んで爆散した。急所も当然吹き飛び、砕けかけの脚が足元に飛んできた。
えげつない様子に、自分でやったことながらにほんの少し後悔した。
「これで四本。動きは封じたな」
「お……おう……」
重たい体は半分の足では支えきれなかったのか、体がどすんと床に落ちた。身動きも難しいのか、鋭い爪ががしがしと床を引っ掻く音が耳に突き刺さって不愉快だ。
「後は急所を潰せば終わりだ」
シャルは絡新婦を見上げ、ゆっくりと歩み寄った。
「……本気で首切るのか?」
「くび?……ああ、あれは偽物だと思う」
「フェイクだあ?」
ヒューが訝しげに絡新婦の頭の様なところを見上げた。こういう小ズルいのを相手取ったことは、実はあまりなかったりする。
しかし、蜘蛛の下半身に女の上半身をした魔物の脳味噌はどう見ても女の上半身にあると思っていたのだが。
「ああいうのは攻撃したらこっちが死ぬ奴だ。毒のガスの袋になってたり、爆発したり。死んだ後に解析でもかけてみればいい」
「なんでそんなことわかるんだ?」
「魔法を使える生物は、脳味噌がでかい。自然とそうなるんだ。なのに、あの女の形は小さい。ああいうのは大体、胴体っぽい所に脳味噌があるんだ」
「なるほど、人間を騙す罠という事ですか」
「そう」
頷いて、シャルは絡新婦の周りをがしゃがしゃ動く足の届かない位置でぐるぐると歩いて見て回った。魔力のチャージに使われる器官は倒れた時に塞がったのか、魔術の抵抗もなさそうだ。
「ほら、ここだ。脳味噌か、心臓か、肺に当たる所だ」
シャルが見つけたその胴体の一部分は、バスケットボール大に薄くふっくらと膨らんでいた。観察してみると定期的に上下しているのが分かる。
「肺だったら引きずり出してそこから心臓か能味噌に行きつけるし、その前に窒息もする。此処だな」
シャルが見つけた急所のすぐ横に足を掛けると、絡新婦の声が悲鳴の様に高くなった。
「雌ならここに孕んでいる可能性もある。そうしたら子供が飛び出してくるから厄介なんだけど……先生、そういうのわかるか?」
「ええ。……ふむ、
ヴィルジュは慣れているのだろう、さっさと魔法をかけてほうと小さく唸った。
「どうやらここは心臓のようですねえ。孕んでもいないようだ。安全です」
「なら問題ないな」
「うっへ」
すとんと細い剣がふっくら膨らんだ部分に突き刺さると、耳を差す悲鳴が上がって魔物は沈黙した。甲高い悲鳴は良く耳をそばだててみると、胴体の中央、脚の集まっているだろう死角から響いていた。
剣を抜くとびゅっと緑色の血液が噴出し、それがシャルの頬にひっかき傷の様に掛かった。
腐った卵のような硫黄に鉄分を合わせたみたいな匂いを醸すその体液は粘ついていて、糸を引いて零れて行った。
剣を引き抜くとホースから噴出したかのように弧を描いて緑色の血だまりが出来る。
「これは後で解体した方が良いか?」
「そうですねえ……これは……分析をきっちりした方が良いかもしれません。素材にもなるでしょうし、毒素を持っているのであれば兵器の素材にもなる」
「なら、これはどうする?」
「ああ、こちらで預かりますよ。こういった素材を入手した時のスペースがありますから」
にこにこと微笑むと、ヴィルジュは魔物を見下ろした。
「
じゅっと氷が熱に当てられたみたいな音を立てて消えると、部屋の魔物の気配はなくなってしんとした。魔物を呼び続けていた宝珠は音も無く真っ二つに割れていた。
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