第3話 肉が美味いという話
傭兵の仕事と言っても内容は様々だ。畑の用心棒であれば手が空いている間は多少の手伝いをするし、要人の護衛であれば荷物持ちや多少のお使いくらいはする。そういう物である。
時たまそういった、その『付加されている多少の業務』目当てに依頼されることがあるが、まあそれの方が割が良かったりするし、大体が命がかかっていないのだから依頼される方からも苦情も出ない。
…出ない、はずなのだ。
「なんだお前、顔面いっぱいに不満ですって書いてあるぞ」
「文字知らないから書けない」
「比喩だよ」
「それくらいわかる」
ぶすくれた顔をしても綺麗な顔って綺麗なまんまなんだなあ。コーディは当たり前のことを考えながら、そのお綺麗な口元にバケットを差し出した。まるで飢えた狼が肉に噛みつく様に勢いよく指先から掻っ攫われたバケットは口の中でむしゃむしゃと潰れて行った。
「仕事の事は分かっているし、必要な仕事なのもわかってる。それにしてもちょっと平和すぎる」
「お前殺意高い系男子だものな」
「俺に狼を切り殺させろ」
「物騒だな」
ごっくんと大きく音を立ててバケットを呑みこむと、シャルは不満をありありと吐きだした。傭兵にも何種類かいるが、この美少年はその中でも殺意が高いタイプに分類される。
「学校はどうだよ?俺もたまに行くけど、お前の事あんまり見かけないけどさ」
「お前の出入りするところと教室が違うんじゃないか。俺の受ける授業、大体歩き回ってるし」
シャルが付き合って赴くのは、年少クラスだ。文字の読み書きや有名な本の読み合わせなんかの座学に、感覚的な学習なのか粘土を捏ねたりトルガストを駆け回って地図を作らされたりしている。五歳程度のちびっこに混ざるのは目立つかと思っていたが、周りは別に気にしていないのか同じように扱われた。
「この前は『おしろのちずをつくろう』って授業で、エミリとファンとカナルと一緒に商業区に入ったんだ。あそこの黒猫堂ってパン屋さんが芋のパンをくれた。美味しかったぞ」
「へえ、そんな授業するんだ。俺が故郷で受けた様な授業とはちょっと違うんだな」
「コーディの故郷はどんな授業を受けたことがあるんだ?」
「戦い方とか習ったな。年少の内はサバイバルで口にして良い物と悪い物や応急処置を勉強させられてたし」
「画期的な授業だな」
「まったくな」
コーディは餌付けが楽しかったのか、今度は野菜のスティックを差し出した。先ほどと同じようにむしゃむしゃと齧るシャルは、慣れ合っているせいか忘れがちだが表情やお作法を取っ払えば美少年である。絶世の。
「俺の居た所は基準がちょっとおかしかったんだよ。―まあ、最低限の教育を受けたうえでの教育だったけどさ」
「教育なんて受けた覚えがないからわからないけど、贅沢な話だな」
「いや、本当に特殊だったんだよ。なんかお偉いさんが頭おかしかった」
ほんの少し機嫌が悪い顔をしたから、シャルは話を引きずるのをやめた。
「この所はお使いだったり、手伝い目的だったりする仕事が多すぎる。俺は傭兵なんだから、戦う仕事が欲しいのに」
「って言ってもなあ…手が足りていないのは事実だけど、戦うための街だから、そっちの人手は多いんだぜ?」
「剣を触れない。思い切り動けない。不満だ」
「本当に奇特な奴だなあ」
「だって、金はあるし」
「嫌味か」
「事実だ」
本当である。金なんて余るほどにはある。現金として所持すると財布が重いので換金出来るものに交換しているが、それだってかなりの物だ。部屋の端の棚に飾ったり先生に用意して貰った金庫に入れていたりするが、正直一財産は築けている。
「シャル君、ああ、良かった、いてくれましたか」
「先生?」
杖をかつかつと鳴らして現れたのは、ヴィルジュだった。片眼鏡を抑え、にこにこと笑っている。
「実は、これから忙しくなりそうなのです。お手伝いをお願いしても?」
「…………お使いか?」
「似たようなものですが、君好みかと」
「何をするんだ」
「実は、トルガストには封鎖された区域がありまして」
テーブルをさっさと片付けて地図を広げると、ヴィルジュは一点を指差した。この前の授業で絶対に立ち入ってはいけない、立ちいったら命の保証は出来ないと一時間ほどかけて脅しかけていた場所だ。
「入ったらいけないところ」
「ええ、立ち入り禁止の封印が施された場所です」
「へえ、屋敷が一つ入る程度には広いんだ」
「此処が使えると、学校区域の大移動が出来て、その上これから有意義な使い方が出来るんですよね」
愁いを帯びた声で言うと、ヴィルジュは書類を出す。魔物の調査報告書だ。
「なんでも魔物との戦いが激しかった120年ほど昔に敵の術式が放り込まれたせいで、強力な魔物が複数巣食ってしまったそうで。当時は出入りが出来ない様に固く封印を施すのが精いっぱいだったそうです」
「倒せなかった魔物が沢山いるって事か」
「当時は1000人近くの死傷者が出たそうです」
「そりゃまた大変だったんだなあ」
「ええ、強いメンバーが揃えば制圧が出来たのですが、その時に戦力が衰退してそのまま手つかずだったんです」
此処を使えれば、トルガストの城塞の中で利用できる空間は跳ね上がる。
「この広さは、兵舎の一部を借り受けて使っている学舎と図書室を移動させて十分な大きさ以上に拡張しても余りあります。…これなら、大丈夫でしょうし」
シャルとコーディはうん?と首を傾げた。まるでその他に良い事があるような言い方だ。
「兵舎を借りなくて済むのは良い事だと思う。でも、他に何かあるのか?」
「ええ。シルヴィス王子をご存知ですか?」
「しる…?」
「知ってるよ。レトナーク王家の奇特な王子様だろ?」
「おうじさま」
「ええ、その御方です」
コーディの個人の感想のような言葉に、ヴィルジュは微笑んで頷いた。
「シルヴィス・オーマ・トアイトン・レトナーク王子殿下。レトナーク王家当主ガストニーの末の息子。…王家直系の末の王子様だよ」
「偉い人か」
「まあ、そうだな」
「偉い人なのにキトクなのか?」
「そりゃあもう、奇特も奇特。王侯貴族が腐ってるっていうのはお前もなんとなく分かってるだろうけど、その中じゃあ奇特さ。何せ、一般市民を目に入れた政治を主張されているからね」
重ね重ね主張させていただくが、難しい事は良くわからない。解らないなりに言葉を頭の中で幾度か繰り返して、シャルはつまり、と苦い顔をしてかみ砕いた。
「いい人か」
「一般市民にはね」
「悪い人なのか?」
「王侯貴族には邪魔な人ですねえ」
「……どっちだ?」
「どちらとも。……まあ、悪い事はしてませんよ」
困った顔をしたシャルには少し難しかった。しかしヴィルジュはそれでいいらしいのか、笑みをそのままに話を続ける。
「実はシルヴィス王子殿下がついにお城から放り出されることになったそうでして」
「あー……ついにか」
話しを察したらしいコーディは、隙間だらけの地図を見下ろした。
「これだけスペースがあれば、王子様のスペースくらいは用意できそうだよな」
「放り出される?のか?王子様なのに?」
「福祉…一般市民の為にお金を使うと、その分王侯貴族に使うお金が減りますからね」
「うん?いっぱいあるなら使った方が良いんじゃないか?」
「君は本当にいい子ですねえ」
ヴィルジュはしみじみと呟いた。疲れた様な様子だが、シャルが面倒と言ったようには見えなかった。
「お金と言うものは、持っていればいるだけいいと考える方が多かったりするんです。お金があればあるだけ、その分贅沢が出来ますから」
「金があればいい肉が手に入る。良い肉が手に入れば良い飯が食える。そう言うことだよ」
「肉なんて全部同じじゃないのか?」
「違う違う、全然違う!」
「コーディは食べたことがあるのか?」
「あるともさ、おうおう、あるとも!」
思わずコーディは城内図諸共机を叩いた。こればかりは見過ごせない言葉である。
「知らねえのかお前!肉の良いのを!食べたことがないとか言うつもりか!?」
「肉は、本当に良し悪しが分からない」
「いいか、いいか!良い肉ってのは、まず、脂が旨いんだ」
ああ、面倒な所を引き出してしまったかな、厄介だ。ヴィルジュは微笑みながら椅子を引いて数歩離れて腰かけた。
「山に居る様な野良も良いにはいいが、あれは身がしまり過ぎて悪い。言っちまえばしまり過ぎているのが多い」
「歯ごたえが良いのは筋肉なのか」
「一般市民に流通しているのもそれだ。―いいか?本当にいい食材ってのは、調整されてんだ。肉だってそうだ」
「ちょうせい?どうやって?」
コーディはまるで海賊が宝の地図の話をするように首を低く構えた。
「何かをずっと食べ続けて体が変わったことはないか?」
「…おねえさまが木の実を食べて体を良くしようとしていたのを見たことはある」
「そう、それ。食ったもので体を作るっつってな、生物の体は食ったもので左右される。変わるんだよ」
「そんなに?」
そんなにだ。頷き、コーディは生徒の反応の良さに気分を良くしたのかにんまりと笑った。
「食肉ってのは奥が深くてな、食べる肉を作るために食い物で調整するんだよ」
「そんなことがあるのか」
「調整した肉は美味いぞ。柔らかくて、噛み応えがあって、その上脂が甘い」
「肉が甘い?」
「おうとも、甘いんだ」
シャルは自身で認めた想像力の限界に難しい顔をした。甘い物なんて果物や砂糖の甘さしかわからない。無理を言わないでほしい。
「食ってみるとすぐわかるよ。食肉生産所がないのが悔やまれるが…良い肉ってのは食い物で調整して丁度良い位に整えて、その後熟成させるんだ」
「じゅくせいってなんだ」
「時間をかけて馴染ませるようなもんだな。肉は冷暗所に一週間置くとかなんとか」
「そんなに時間が経ったら腐るだろう、腐った肉は悪い物だ」
「腐る直前の肉が一番いいんだよ。熟成ってのは、言っちまえば腐らせるのに似てるんだ。熟成し過ぎたのを腐るっていうんだ」
「腐ったものの方が美味いのか?」
「果物も熟した方が良いだろ」
「熟すってその『じゅくせい』のことか!」
子供が一歩賢くなった瞬間を見届けると、ヴィルジュは話の舵をもとに戻すために両手をぱちんと叩いた。
「――まあ、そういうのもあって、お金を集めるのに執着しているお馬鹿さんによってお城を放り出された王子様は、この城…いえ、トルガスト領主エトヴァー様預かりとなることになりまして」
「ああ、それで」
「それで、です。…まあ、王家の一族は国で一番偉いわけなので、その為には相応の……『わざわざ用意した』スペースを用意しないといけません」
「どうしてだ?」
「エトヴァー様の面目もありますし、変に難癖を付けられても面倒なので。ですので、兵舎の最上階に部屋を用意する必要があるのです。どうしても、学び舎を移動する必要があるのですよ」
コーディが心底面倒そうな顔をした。権力者は面倒な物とは思っていたが、まさか其処までとは。
「それで、シャル。君がトルガストに加入してくれたので、この機会に封印されていたスペースの解放を進めるのが良いのではないかとのことになりまして」
「魔物との戦いに出てくれって事か」
「はい。お願いできますか?」
「いいよ」
こっくりと頷くと、シャルは地図を見た。
「どんな魔物が出るかとか、少しくらいは分かってるのか?」
「文献がありますので、多少は」
「あと」
シャルはほんの少し気恥ずかしげに目を伏せ、それから師を仰いだ。
「……キトクってなんだ?」
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