第2話 偉い人と出会う話
「まずは、こちらの不手際であなたの予定を潰してしまったことを謝罪いたします。本当に、申し訳ございません」
「あなたが謝る必要はないと思うのだけど」
「そう言って頂けると助かります」
くるくると円を描こうと重力に抵抗する赤毛が上下するのを見届けて、シャルはどう答えたらいい物かわからずにようやっと口を開いた。綺麗な透き通った緑色の宝石みたいな目がぱちりと瞬いた瞬間、赤くて長い睫毛がはさっと上下した。吊り上った眦に赤い口元の、コーディが絶賛するのもわかるくらいには綺麗な人だ。
「おしゃべりは得意ではないから早速本題に入ってほしいです」
「そう、失礼いたしました。……ええと、トルガストで冒険者として動いていただく前に、簡易的な面接というか……面談の様な事をしたいのですが」
「それは聞いているです」
「楽にしていただいて結構よ。敬語も無くていいわ」
領主代行はにっこりと微笑んだ。どことなく姿勢が緩んで、砕けた様な空気になる。彼女の斜め後ろに机にかけて控えていた男が紙を取り出した。
「面談と言っても簡単な確認作業だから問題なくってよ。後ろの彼はヴィルジュ。トルガスト執政における相談役よ」
「ヴィルジュ・メールです。よろしくお願いしますね」
「……よろしく」
ヴィルジュと紹介された男は、やたら高価そうなペンをインク壺に突っ込んだ。手慣れているから、きっとそれなりに色々と物を書いたりして勉強した人なのだろう。艶がない癖っぽいブルネットに灰銀の瞳の知的な男だ。片方だけ眼鏡をかけていて、それも高価そうで頭がよさそうだ。
「まずはお名前をお願いします」
「シャルロッテ・ホークロワ」
「失礼だけど、年齢と、性別は?」
「14歳、男」
あまり答えたくないが仕方ない。この女じみた顔と名前で馬鹿にされることはいつもの事なのだ。しかしエーディアもヴィルジュも顔色一つ変えないまま書類を書いたり相づちを打ったりしている。
「出身は?」
「ダラム領」
「冒険者歴は?」
「4年くらい」
へえ。エーディアは何か感心するような顔をした。
「10歳で冒険者を始めて、それから4年?この成績は凄いわ、トップレベルじゃない」
「成績なんてわかるのか」
「雇用主にはわかる様になってるの。直近のお仕事がオーガの巣の根絶?随分と大仕事だったじゃない」
「巣の根絶は簡単な部類だ。護衛とか捕獲よりよっぽど」
なにせ、住んでいるものを殺せばそれで終わりなのだ、『殺してはいけない』とか『傷つけるな』なんて指示が一番面倒だ。難易度はそこそこの癖に報酬は高くないしこっちばかりが神経をすり減らして、少しでも依頼主の気に食わないことがあれば減額だってザラだ。一言で評価すれば割に合わない。
「そういうの、いいと思うわ。下手に甘っちょろいのばっかりだとどうにも塩っ辛いのが残らないのよねえ、いらないとは言わないけど」
「閣下、お口が悪うございます」
「あら失礼。…でもね、魔物が可愛そうで殺せませんなんて『お優しい』人材はお断りだもの。それくらい殺意ある方が良いと思うわ」
「それには同意ですが」
エーディアの簡潔な内容の言葉にヴィルジュは真顔で頷いた。どうやらトルガストには殺意が足りないらしい。
「――まあ、とりあえずは及第点…いえ、合格点、優秀よ。これからは今までの鬱憤を晴らしていただきます」
「体が鈍ってしまいそうで困っていたから、助かる」
「ええ、今日中に書類とか、必要な事はやっておくから、明日には請負所を利用できるようにしておくわ。部屋に証明を届ける様に手配しておきます」
「明日から…」
「お部屋に関してはどうしたい?このまま貸し出しも良いけれど」
「自分で部屋を借りる」
「適当な物件の手配をしておきますね」
打てば響くような会話は悪くない。シャルはヴィルジュの言葉にうんと頷いた。
「…そうそう、シャルロッテさん」
「シャルが良い。女みたいだって馬鹿にされる」
「教養の浅い人間にしか会ってこなかったのね」
あら、とエーディアが口元に指先を当てた。何か気になる事でもあったらしい。
「子供に異性の名前を付けるなんてどこにでも土着している風習だわ。おかしい事なんてないのだけれど」
「わかりました。ではシャル君、勉強に興味はございますか?」
ヴィルジュはにっこりとわかりやすい笑みを深めた。先ほどまでの薄ら笑顔と言うか頭の良さそうな笑顔とは違って、何というか子持ちの大人が時たま浮かべてるみたいな深いのだ。
「実は私、相談役とか知恵袋扱いされていますが、本業は学者をしておりまして、そのついでで教師をやっておりまして。トルガストの一角を預かって、学び舎のような空間を管理させていただいているのです」
「まなびや?お勉強をするところか?」
「はい。幼い子供から勉強を怠ったことを後悔した老年まで、自由に出入りを許されたところです」
興味がないわけではない。シャルはへえ、と唸ってヴィルジュを見た。
「家族を失った子供たちや、そういった子供たちの面倒を見るのが好きなものが集まっている棟がありますから、うちの学び舎が気に入ればそちらに住んでも構いません」
「冒険者なんて物騒なことやってる人間をそういう所に誘うのか?」
「ええ。経歴を見るに貴方、学校に通っていないでしょう?」
このインテリにはお見通しらしい。
「学問は全てが自由です。勿論興味が無ければそれはそれでもいいのですが」
「勉強を始めるのに遅いということはないわ、やって見てはどうかしら?」
ヴィルジュとエーディアの言葉に、シャルはそっと頷いた。
「学がないのはわかってる。学んだことがない」
「それは馬鹿にされる原因になるものではないはずのものです」
「なら、少しだけ」
その言葉に、ヴィルジュはにっこりと優しい教師の顔で微笑んだ。
「では、暫くは今のお部屋に滞在しておきましょう。どうするかはうちで勉強をしてみて、それから決めましょうね。…ああ、でもシャル君はお兄さんなので、年少の面倒を見てもらうこともあると思いますが」
「人に接するのは苦手だ」
「それもお勉強の一つですよ」
「勉強になるのか?」
「ええ、なりますとも。何せ、君はこれからだ」
随分と難しい事を言う。シャルはむっつりと眉を寄せた。
「剣を振れば腕前が上がる。なら、口を開けばその分饒舌になる。人間なんてそんなものなんですから、大丈夫。無理なら逃げればいいんです」
「逃げていいのか」
「義務ではないので」
しれっと応えて、ヴィルジュは楽しそうに両手を開いた。
「君は今まで、お喋りとは無縁で生きてきたらしい。なら、その分お喋りに来ればいいんです。私も学び舎の者たちも、話を聞くのは慣れているのですから」
「……毎日は顔を出せないと思う。夜間討伐だってある」
「好きな時に出てくればいいんです。そう言う人は君以外にもいる」
何でも無い事のようだ。きっと本当に、何でも無い事なのだろう。シャルはヴィルジュのしれっとした言い方にうんと頷いた。
「なら、お試しで。文字を習いに行きたい」
「わかりました。では、教材を用意しておきましょう。この後お時間はありますか?」
「無い。仕事は明日からだ」
「では、お散歩ついでに学び舎の方に行きますか?案内しますよ」
願っても無い申し出だ。ついさっきまではお客様扱いだったせいで、実はあまりうろつけていないのだ、学び舎と言われてもわからない。うんと頷くと、ヴィルジュは書類をぱたんと畳んだ。
「お話は決まったみたいね」
エーディアが書き込んでいた書類を下に置いて、それからすっくと立ち上がった。女にしてはそこそこに身長が高い。成長期真っただ中のシャルと同じくらいだろうか、ぴんと上から下げられた糸繰り人形のような真っ直ぐな背筋は、随分と立派で格好いい大人のように見えた。
「では、改めまして、シャル。私エーディアは貴方の来訪を歓迎し、その素晴らしい活躍に期待させていただきます」
「期待してくれて構わない。貰った分はきちんと返すのが礼儀だと思っている」
「よろしくね」
にっこりと背伸びした少女の様に微笑んだ女は、さっと手を伸ばした。握手を求められるのは久しぶりだ。一瞬反応に遅れて、しかしシャルはそれに応じた。
「よろしく頼む」
其れこそが、シャルの世界の大きな変化だった。
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