ある剣士の話

苗場 伊澄

第1話 暇を持て余している話



初めては、多分11歳のころ。何がって、人の形をしたものから命を奪ったことだ。案外簡単だったことに驚いて、案外平気だったことにもっと驚いた。

正しい事とかやってはいけないことについては本当に僅かしか習わなかったが、それでもそれが悪い事なのは良く知っていたのに、何故かそれを自分があっさり受け入れられた事もわかった。


命を奪って生きることが罪深い事だとは祖父から習ったし、それを弔うにはすべてを無駄にしない事が重要だと祖母に習った。姉はそうでなければ人は獣よりも下等な生物なのだと言っていた。なのに、自分が罪人になった気分にならなかったのが悪い事だと家族に軽蔑される夢を時たまに見る方が辛かった。


目が覚めたのは豪華とは縁遠い部屋だった。それでもそこそこに上質な家具の並んだ、しかし華美とは言えないところ。見知った部屋なんてものは無いが、その中でも記憶にない部屋だ。


「…ああ、トルガストだっけ」


聖魔戦争前線基地なんて仰々しい肩書を持ったこの城塞都市は町まで丸々城の一部と言う名前に違わず仰々しい造りをしていて、その中でも高い所にある城主所有の区画の部屋を借りていたのだ。


少し前まではレトナークの首都に腰を落ち着けていたが、こちらの方で少々大きな戦いがあったらしい。そこでかなりの被害が出て、人員の補充としてこちらに来たのだ。

余所とは少し違って請負所が城主と密接であるからか、とりあえず城主に挨拶が必要だと言われたがこの所挨拶の相手は出ずっぱり。衣食住は今までで一番満たされているから文句はないが、流石に体が鈍るし暇だ。


日が昇り始めた空はまだ白いが、いつもこの時間に起きているから体内時計は正常だ。

今日こそは挨拶ができると良い。

なにせ、請負所には仕事が山と積まれていて職員が悲鳴を上げているのだ。

依頼は城主に挨拶しないと許可が出ないらしい。


城主の所有している部屋は居心地が大変宜しいが、自身の自己責任でどうにかするべきところも他者任せなのが落ち着かない。

早い所部屋を借りなおして住処を整えたいのだが、これも冒険者は挨拶のあとだという。

面倒な事だ。


「おはよ。今起きたのか?」

「…うん」

「俺もだ」


隣の部屋の住人がひょいと顔を出してにっと笑った。

そばかすの散った鼻先に癖のついたピンクベージュにザンバラ頭の変わった顔だ。特徴的過ぎてすぐに記憶に残る。確かコーディと名乗っていたか。赤いフレームの眼鏡越しに、どことなく不思議な瞳と目があった。


「これから水場に行くんだけど、一緒にどうだ?」

「水場?」

「あそこ、早い時間に朝市やってんだよ。とれたての果物とかファストフードとか、いろいろ売ってるぜ」


コーディを見ると軽い身支度を済ませた様な姿で、腰には小さなカバンが下がっている。

朝食に何か買ってくるのが良いだろう。そう思って、シャルは頷いた。

適当に鞄を取って築年数が長いせいかがたつく取っ手に鍵をかけると、コーディはほんの少し驚いた顔をしていた。


「身支度はもう出来てんだな」

「じゃなきゃ部屋は出ない」

「やることないのか」

「領主殿との話が出来てないから」

「あー、仕事出来ないのか」


コーディは苦く笑って、悪く思ってやるなよ、と続けた。


「ちょっと前の襲撃。アレ本当に酷かったんだよ。いっつもご病気で寝込まれてお嬢様に止む無くお仕事を任せてる領主殿がまだ出ずっぱりなくらい。俺だって、間借りしてた部屋がぶっ壊れて部屋をお借りしてるんだ」

「最初からあの部屋じゃなかったのか」

「あんな上等な部屋、お客人とかワケアリじゃないと使えないさ。前は城壁近くの部屋を貰ってたんだけど、こう…盛大に吹っ飛びやがってさあ」

「吹っ飛んだ」

「うん、吹っ飛んだ!」


本当に盛大だった。もう一度繰り返して、コーディは派手に噴出した。


「おっもしろかったぜ!石畳はぶっ飛ぶし、兵士も吹っ飛ぶし、俺の寝床がおじゃんだし!で、俺も吹っ飛んだけどどうにか無事だったから、他の無事な奴と一緒に戦ったんだけどさ、皆寝間着なの」

「ねまき?皆?」

「そう、みーんな!厳ついおっさんがピンクのネグリジェなんて来ててさ、いや、寝る時は楽な服装が一番なんだけど!で、剥げた頭のおっさんがナイトキャップなんてしてて」


ナイトキャップ。確か、寝癖を防ぐのに頭に巻く布だ。想像して、シャルはふすっと笑いを溢した。


「寝る時は裸族の兄さんが下着代わりに下半身鎧だけつけてたんだけど、完璧に変態丸出しでさ、余所から応援に来た女兵士のお姉さんがきゃー!って変質者にあった時みたいな悲鳴あげてんの」

「どう見ても変な人だ」


違うんだ!違うんだ!咄嗟に事情が口から飛び出ずに繰り返していたお兄さんは、その後針の筵の様な視線の中で剣を振り回していた。哀れ過ぎて逆に笑った。

コーディはこれを見た時、寝る時に服を着ないでおくのはやめておこうとモラルを胸に決めた。良い反面教師であった。


「魔物を撃退した後は大変だったよ。備えも出来て無い無防備な就寝時だったもんだから、怪我人も死人も多かったし、街も滅茶苦茶。そんで少なくとも人手がいるってことであちこちに声をかけてたらしくてさ」

「それであの募集があちこちに出てたのか」


名目上とはいえ、魔の民との戦争の前線基地。そこの人員が著しく削れたために人材を大規模に募集している。そう言われて頷いたのは、人手が足りないという事に仕事の匂いを感じたからだ。


「お前、よくもまああんなキナ臭そうな誘い文句で来る気になったよなあ」

「別に、傭兵業は危険が付きまとうだろう」

「いや、それでも命の危険には過敏なもんだろう?あんな、さ。危険そうなばっかりの」

「家族もなければ家も無い。金はあるけど使えばなくなる。すみかの用意をして貰えて仕事があるなら断る理由は無い。命の危険も、こういう仕事は慣れてる」

「慣れるほどやってんの?」

「まあ、それほどには」


シャルの言葉にコーディはへええと唸った。


「そういう事情とかお生まれとかあるってのは聞いてたけど、お前生来の旅の民って奴?」

「せーらいの…?」

「生まれた時から旅してた、とか、そういう?」

「そういうのじゃないけど、似た様なもんだ」

「へえ、故郷は捨てたって奴?」

「そんな感じ」


随分と口が軽くなる。シャルはすぐ隣で飄々とする同年代の少年をちらりと見て、それから前を見直した。こういうのを相性がいいというのだろう。


「まあ、故郷を捨てる奴は少なくないからなあ。俺も似た様なもんだし」

「お前もか」

「頭のおかしいトコだったからさ」


コーディは吐き捨てる様に言って、おっと小さく歓声を上げた。水場に広がる朝市は、朝の街の賑わいと言うには成程頷けるような爽やかな賑わいだ。


「うんまそーな匂いがするじゃん!」

「あの汁、野菜と肉の匂いがする」

「お前もうちょっとうまそうな言い方ない?」


香草の入った屑肉と屑野菜のスープだな。そう言いかえると、コーディは鞄から貨幣を出した。


「おーい、おじさん!ふたり分くれよ!」

「いいともよ!一杯50Bだ!」

「相変わらずやっすいな!」

「賄いだからなあ」


べら。B。金の単位だ。最近は良く計算に出て来る単位だが、やはりあまり金勘定は得意ではない。ぽろっと厳つい働く男の手に硬貨を一つ落とすと、コーディはスープを二杯受け取って片方をシャルに差し出した。


「こいつ結構食いであるぜ。しかもうまい」

「んん…本当だ」


大きなお玉で一掬い。具材がこんもり盛られたそれは、いい具合に野菜の味が出ている。


「屑野菜で良い味になるんだよなあ、こういうの。で、その日に出た野菜使うから味も毎度変わるし」

「そういうもんなのか」

「お前、あんまり料理しない?」

「切って焼くくらいしかしたことない。後は水でふやかすのとか」

「冒険者料理だなあ。俺も旅の途中はそんな感じだったけどさ。旅の間は栄養とかどうしてたわけ?」


肉じゃあ腹しか持たないだろう。汁を啜るコーディにシャルはちらりと目線をやる。


「野菜クッキー」

「え、マジで?あの糞不味いあれ? 俺、アレ食うなら粘土くった方がマシなんだけど」

「別に、結構どうでもいいし」


野菜クッキー。いくつもある協商連合のどこもかしこも出している栄養補助食品。

日持ちして、栄養分が高く、旅をサポートする乾燥食品だ。

野菜と小麦と割材を捏ね回して高熱でしっかり焼いて固くしたそれは、大変に腹持ちが良いカロリーの塊だ。

日持ち腹持ちと栄養にすべてを割り振っているせいで味は度外視されているのが大体で、一口でも味わおうものならその日の一番嫌な思い出になるというしろものだ。


「山の中なら植物も生えてるから、それを食べてた」

「え、お前見分けつくの?」

「山で育ったからな」

「山育ちすげえな」


ずるずると音を立ててあまり褒められたマナーでないが一気に飲み干すと、コーディは温まった腹を摩った。


「朝にこういう熱い物を口にすると目が覚めるよ。内臓が動き出すって感じ?」

「わからないでもない」

「肉も良いけど、朝なら炭水化物が欲しいよな」

「たんすいかぶつ?」

「体を動かす基本になるもんだよ。穀物とかの腹に溜まるやつ。ほら、周りで色々打ってるだろ」

「俺はこれで十分だけど」

「嘘だろ!」

「本当だ」


味がしっかりした汁は随分と野菜が多くて、シャルには十分な量だ。もし口が寂しくなったら乾した肉でも齧るかもしれないが、食事量はいつもこんなものだ。コーディは信じられないというような顔をして薄っぺらい木の器を回収用の机に置いた。


「普通はこういうのは食事と一緒に口にするもんだぞ。何、お前食うのに困ってた?」

「食べ物に困ってたからこういう仕事をしてる」

「ごめん」


一瞬決まりの悪い顔をして潔く謝って、しかしコーディはじゃあ、と周りの出店を見た。


「こういう所の食事とかもあんまりないか?」

「食べるのに手間と時間がかかるし、栄養はちゃんと摂れてる」

「……お前、ちゃんと部屋宛がわれたらちゃんと自炊しろよ?」

「それは平気だが」


本当に?疑わしい顔をされるが、それこそ心外だ。シャルはそういうのには慣れているのだから、心配される筋合いはなかった。何せ、一人は慣れっこなので。


「……いつか抜き打ちチェックしてやるからな」

「うん。いいよ」

「まあ、今日あたりには領主代行様に御目通りも出来ると思うけど」

「本当に?」

「今日かどうかは知らねえけど、結構信頼してくれていいぜ。吹っ飛んだ城の外側の修復とかが大体終わったそうだから、そろそろエーディア様も手が空くはず」


エーディア様。領主代行の名前だ。エーディア・ルル・エリク・トルガスト。病弱な父君であるエトヴァーの代行として辣腕を振るう執政者だと評判の美人だ。


「エーディア様はこう、気の強そうな美人なんだよ。なんとなく恐そうだけどさ、いい人だよ。見惚れたり怖気づいたりする必要はないぜ」

「人間相手に見惚れたことも怖気づいたことも無い」

「……一日一回は鏡って見るもんな……。まあ、気の良い御方だよ。腕を示せば特別取り立てて下さったりもするし、見る目もある」


上手く取り入ればいい。そう付け足して、コーディはコインを一つ握って屋台にのそのそと吸い込まれていった。




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