第36話 対魔王軍戦⑫ -咬
カルカロがヴォデ湖の畔で部下を弄びながら過ごしているのをコアラとロッテは対岸から観察する。二人は鬱蒼と生い茂る草木に身を潜ませ、この状況をいかにして解決するかを必死に考える。
ロッテは首にかけていたネックレスを表に出す。宝石が飾り付けられた木の枝のようなものを握りこむと、一気に鎖から引きちぎる。
パナプは単眼鏡で把握した情報を逐一ロッテに小声で伝える。さすが幾度もの死闘を潜り抜けてきただけあり、二人は非常に冷静に対応する。
「…ヴィ…オン…始末…。アンナ…丸呑み…?」
「ヴィソンのことだろうな。おおかた脱走兵を始末しに来たんだろう。アイツが怯えてた正体はコイツか…。アンナってのも恐らくネームドのことじゃないか?」
コアラが読唇にてカルカロの発言を回収する。隣で聞いていたロッテはその内容にある仮説を立てる。
「家畜が急に消えたのもそのアンナってやつじゃないか?丸呑みってことは蛇かなんかの魔物だろう。以前図書館で資料を漁ってた時にそういう報告を目にしたことがある」
コアラはゆっくりとロッテの方を見る。
「あんた、本当にロッテ?まさか魔物と入れ替わってるんじゃないでしょうね?言動が真面目過ぎて胡散臭いわよ」
「全くもって嫌んなるぜ」
コアラはロッテの返答に軽く笑みをこぼすと、腰に巻いたポーチから小さな赤い玉のようなものを取り出すと、口に放り込む。それをしばらく口の中で舐め転がした後、地面に吐き出す。すると先ほどの丸い形から犬のような形に変化している。パナプが指を鳴らすと、その小さな赤い犬は対岸でくつろぐカルカロの方へ向かっていく。
「お前、その魔道具どうしたんだよ?えらく使い勝手の良さそうなモン仕入れてるじゃん」
「カネさんが餞別にくれたものよ。今が使い時でしょ?」
コアラは単眼鏡で小さな赤い犬とカルカロ、そしてカルカロの部下たちを交互に観察し続ける。
「そういえば、カネさんのローストビーフ食ったことあるか?」
ロッテの発言にコアラは首を振る。
「俺もないんだが、ビスケトの野郎がえらく旨いと手紙に書いてあったよ」
「それは気になるね」
「これが終わったら久々にフランとこに行こう」
「あんまり先の事を考えてると早死にするよ?」
「この気持ち悪ぃ感覚を振り払ってやってるんだよ。ありがたく思え」
コアラは「ありがとね」と一言添える。ロッテはコアラの返答に少し動揺しつつも、自分の準備に入り始める。
目も口も鼻もない飴細工のような赤い犬がカルカロの傍を横切る。石つぶて程の大きさのため気づかれることもなく容易に接近に成功する。カルカロは依然として部下を殴打するなりして弄びながら下卑た笑い声を響かせている。それと相反するような柔らかな風がコアラ達の後ろからまっすぐ抜けていく。水面が風の動きを波紋で表す。
「おい。人間の臭いじゃねぇかよ」
カルカロの顔つきが一変する。部下たちはその言葉に驚くこともなく、流れるような手つきで武器を取り出す。
「!?まずい。バレたかもしれない」
「なんで!?」
コアラは返答せず、単眼鏡だけをロッテに手渡す。その先の光景にロッテは絶句する。
「一体なんで!?」
ロッテは汗まみれの顔をコアラに向ける。コアラも息を荒くする。
「あの犬っころが見つかったのか?」
「いや、それだったらもう潰されてるかなんかされてるよ。仕方ない」
コアラは小さな笛を口にくわえ、息を流す。小さな音が漏れ出る。すると対岸の方に到達していた赤い犬が爆発する。カルカロの部下数人が腕や足を吹き飛ばされ、うめき声を上げている。
「こうなりゃヤケだな!」
「とにかくあんたはいつでもブチかませるように準備だけしといて!」
コアラとロッテは茂みから身を乗り出す。コアラはカルカロ達を観察しながら器用に片手間で作り上げた数々の罠-もちろんこれらの罠もカネロクが製作したものである―を素早く取り付けながら対岸の方へ接近する。コアラが見つめる先は、未だ爆発後の煙が漂っており状況がうまくつかめない。ロッテは先ほどの木の枝の先端を口で舐めた後、ぶつぶつと呪文を唱える。すると、木の枝が徐々に伸びていき、それは立派な槍となる。
「あー、くそ。むかつく。なんだよ。くそ。あいつらか?二人か?むかつく。あー。むかつく。殺そ。もうほんとに」
カルカロは煤を手で払いのけながらゆったりと煙の中から現れる。コアラはその影を逃さない。瞬時に剣を鞘から引き抜く。そして勢いよく振り下ろすと、剣が伸び、まるで蛇のように地面を這いずりながらカルカロに向かっていく。
コアラの手に確かな感触が伝わる。『やった…と思いたい…』なかば祈りのような気持と共に、自身の剣が一直線に伸びる硝煙の向こうを見つめ続ける。
「うっそん…」
コアラは信じられない、といった表情をする。コアラの剣先は確かにカルカロの首筋に突き刺さっている。カルカロは激しい出血により青白い体が赤く染まっている。しかし、当の本人は懐から煙草を探すことに必死になっている。
「どいてろ!!」
ロッテが叫ぶと、槍が物凄い速さでカルカロ目掛けて伸びていく。懐から目当ての煙草を見つけたカルカロは安堵の表情を取るが、瞬間、胸に槍が勢いよく突き刺さり、その衝撃で後方へ吹っ飛ぶ。
「ちくしょう。いてぇなこの野郎」
カルカロは胸に風穴を空け、口から血を吐きながらも平然と立っている。ゆっくりとふかす煙草の煙が消失した肺のあったであろう、血の滴る穴から漂ってくる。
「おいおい。化け物じゃねぇか…」
カルカロは煙草をくわえたまま一目散にロッテのほう目掛けて駆け出す。途中コアラの仕掛けた罠にかかり足に無数の傷を負うも、気にする様子無くロッテに向かってくる。
「ロッテ!!」
コアラは叫びながら次はスリンガーを放つ。毒性のものや、めくらましのものなど、動きを止めるためにありとあらゆる球を放ち続ける。しかしカルカロはいくら目を焼かれようと、いくら毒により吐血しようと、いくら罠により足が引き裂かれようと、いくらロッテの必死の抵抗による第二撃目を受けて両腕が千切られようと、構わずロッテに向かい続ける。
「ロッテ!逃げろ!!距離を取ってもう一度撃て!!」
「わ、わかってる!くそ!なんでだ!?喰らってるんじゃねぇのか!?」
ロッテは態勢を立て直し、後方へと撤退する。振り返らなくても分かる程の殺気と、足音に恐怖する。死が迫ってきているのを実感する。
「やだって。まだやだよ。ちょっと待ってくれよ。こんなん聞いてないよ」
ロッテは涙を流しながら必死に逃げる。後方からコアラの声がするが、それを聞き取る余裕すらない。ただただ一心不乱に足を前に踏み出し続ける。
「おい」
信じがたいことだが、ロッテのすぐ背後から声がする。ロッテは覚悟を決め、振り向きざまに槍を振りぬこうとする。
「返事しろよコラ」
カルカロがロッテの首に噛みつく。ロッテの悲鳴が響き渡る。槍が力なく地に落ちる。周囲の木立から小鳥が飛び散る。
「ロッテ!……てめぇっ!」
コアラは短刀をカルカロの顔面に突き刺す。しかしカルカロはロッテを食い続ける。
「!?やめろばか!なんで!?なんで止まらないんだ!死ね!死ねよ!!」
コアラは短刀を無我夢中でカルカロの顔面に突き刺し続ける。先ほどまでの耳を掻き毟るかのようなロッテの悲鳴はもう聞こえない。カルカロがロッテの顔を半分程食べ終えたころ、急に動きが止まる。コアラの短刀は刃は削れ、柄は壊れ、握っていた手からは血が滴る。
コアラは肉塊と成り果てた魔物の顔面を、泣くも笑うも情緒など失くした表情で見つめる。
「なんだよコイツら。意味わかんない。怖いよ。チェルゥ。団長ォ…。あたしもう無理だよぉ!こんなの…。こんなの…」
コアラはその場で項垂れ、泣きわめく。何も知らない柔らかな風がまた抜けていく。水面の波紋が美しく広がっていく。
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