第31話 対魔王軍戦⑦ -後悔-
「ムーチョの旦那ァ!」
ビスケトが血相を変えてムーチョの自宅を訪れる。鍵のかかっていない不用心な扉を勢いよく開くと、居間で観葉植物に水やりしていたムーチョが驚いた様子で玄関に現れる。
「どうしたんだよ?エーテルが切れたのか?言っとくけどもう金はねぇ–」
「こ、これ!これってどういうことだよ!?」
「あ?」
ムーチョはビスケトから皺くちゃになった封筒を受け取る。差出人はイーツ王からだ。ムーチョはそれだけで血の気が引き、顔を青白くさせる。手に持っていたジョウロを力なく手放す。ジョウロは二、三度跳ねながら水を散らす。
ギルドで飲んでいたビスケトの下に郵便屋が訪れ、これを渡してほしいと頼まれたそうだ。どうにも荷が重かったのだろう。ビスケトは酔っていたため初めはあまり気にしていなかったが、ふと差出人を見やり、まさかと思ったようだ。
「な、なにが書いてあんだよ?」
「…」
息も絶え絶えになったビスケトが、酩酊からの疾走により盛大に嘔吐し、また這いずるようにムーチョを睨む。ムーチョは便箋を見つめたまま返事をしない。
「…!な、なにが!なにが書いてあるんだよ!オイ!!」
「ビ、ビスケト…。し、しばらく、その、ひ、一人に、してくれないか?」
「旦那?」
目の前で慟哭を堪え、血が滲みそうな程に下唇を噛み締める男にビスケトは圧倒される。いつも何があっても動じることなく、淡々と対応する、頼りになる男の姿は鳴りを潜め、憤怒、悔恨、悲哀、絶望などのあらゆる感情を全身でなんとか制止しようとする。ビスケトはたまらず尻もちをつくと同時に、受け止めたくなかった真実を突きつけられ「嘘だろ?」と小さく呟く。
そして渾身の力を込めてムーチョに掴みかかる。どうにかして混沌のような感情の渦を散らしたかった。
「カラが…まさか…おい…嘘だろ…?え?なんだよ?旦那ぁ…。なんだよその顔。笑ってくれよ。いつもみたいになんとかなるって、大丈夫だって言ってくれよ…。なぁ?旦那ぁ!!」
「うるせぇんだよエテ中がぁ!黙ってろ!死ね!俺を!俺を一人にしろ!いいか!?俺を!今は一人にしてくれ!頼むよ!なぁ!?いいだろう?分かってくれよ?な?いいか?いいな?いいだろう!?早く!出ていけ!出ていけって言ってんだよこのクソったれがよぉぉ!!」
ビスケトを突き飛ばし、豪快に扉が閉められる。ビスケトは土埃と吐瀉物に塗れた状態で宙を仰ぐ。言葉が出ず、ただそうしていた。動けないでいた。
「やめろよ。やめろやめろ。夢であってくれ!頼むよ。なぁ。この世には神や女神がいるんだよな?そら、俺だって歳食った老いぼれ手前のハゲちゃびんだよ。今更そんなもんに縋りたかないけどさ。頼むよ。やめてくれよぉ…。もう嫌だぁ!なんでさ!なんでカラが死ぬことがあるんだよぉ!止めたらよかったのかよ!?えぇ!?俺があの時、カラを、止めていたら良かったな!?そうだよ!何で!何で俺は止めなかったんだ!ウワァァァ!!死ぬなよぉ!俺を一人にしないでくれ…。愛していたんだ…。ほんとさ。本当に。やめてくれよ…。俺が、俺がアイツに魔法を教えたからか?俺が悪いんだ。くそぅ。クソォぉ!!嫌だよぉ。嫌だよぉ!!カラァァ!!俺はこの先…どうすれば…なんで…お前が…。ウウウゥ…」
ムーチョは体液塗れになった顔をふと上げ、近くにあった短刀を見つける。彼は恐れるような、しかしどこか着地点を見つけて安堵したかのような表情でそれに近付く。
「お、お、俺も、お前の元へ行く。ウウウゥ、怖いよぉ…。死にたくないよぉ…。ウウウゥ」
ムーチョは短刀の鞘を抜き、投げ捨てる。刃紋の美しい刀身に自分の間抜けな顔が嫌味かの様に映る。それを見て彼は一つ笑みをこぼすと、切先を喉に向ける。
「へへへ。もうダメだぁ。もうワケがわかんないヨォ…。俺は、何も出来ないクズ野郎なんだよな?そうなんだよ。だから俺の元からどんどんみんないなくなるんだよな?ウウウゥ。死にたくないよぉ…カラァ。死んじゃ嫌だよぉ…。カラァァァ!!」
ムーチョが切先を喉へ突きつけようとした瞬間、居間のガラスをぶち破って雪崩れ込んできたビスケトに殴打される。
「テメェ。何してんだコラ」
「ウウウゥ。もうやめてよぉ…。放っておいてくれよぉ…」
「死んでどうする気だ!?カラの仇、討たなくて何が男だ!あぁ!?この腑抜けが!死ぬんじゃねぇよ!お前が死んだらまた悲しむ奴が増えるだけだろうがよぉ!お前はカラの死を無駄にしてぇのか!?」
「カラの死を無駄にしようとしまいと、カラが死んだことは事実じゃないか!!それに対して堪えきれないと叫んで何が悪い!?命を落としたい程に受け止められない事があるんだよ!!綺麗事だけじゃ、俺はもう!おかしくなりそうなんだよ!!」
ムーチョの悪魔の様な形相にビスケトは絶句する。声を枯らし、両手で強く短刀を握りしめ、崩れ落ちる様に泣き伏す彼に、ビスケトにはかける言葉がなかった。
「ムーチョさん、大丈夫?」
フランがカウンターに座るベッコウに尋ねる。ベッコウはしばらく何も返さず、グラスを見つめる。ハッと、自分に声かけられたことに気付き、笑みを見せる。
「今は落ち着いてる。そう、願いたい。キッポとババロウワが側にいてるから、まぁ安心していい。俺もこれを飲み終わったらもう一度顔を出しに行くよ」
「うん。私も今日は閉めるわ」
それ以上続かない会話の後、しばらくの沈黙の時間を誰も割くことなく、フランはいつものように店仕舞いをし、ベッコウは代金を払い店を出る。
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