第23話 酒の席①

 ベルリの街の一角にある【フランの酒場】に明かりが灯る。夕方から開店し、閉店時間は客がいなくなるまでという男前な営業体制はもはや名物となっている。

 店内のキッチンで鼻歌交じりに手早く仕込みをするフランと対照的に、慌ただしくテーブルを拭き回るのはこの店の看板娘兼、用心棒を担う猫の亜人であるチェルシーだ。

 すべての仕込み・準備を終えると二人は開店前のゲン担ぎを行う。ドワーフ族の火酒【バッカス】をテキーラグラスに注ぎ合い、一気に飲み干す。喉が焼ける様に熱くなり、視界が一瞬ぼやける。油断するとそのまま倒れてしまいそうになるのを気力で耐えると、身体に生気が漲ってくる。二人は大きく野太い声で「今日も一丁お願いします!」と檄を飛ばし合い、互いの右耳を触り合う。そして店が開けられる。


 「ムーチョさん、いらっしゃい。ストラブルへは行かなかったの?」

 「フランちゃん、いけず言わないでよ。ビールとぉ、今日はなにかある?」

 「鑑定屋のカネロクさんから貰ったローストビーフがあるわよ」

 「カネさんはほんと暇がありゃなんか作ってるね。それ頂戴よ」


 ムーチョは帽子を椅子の笠木の端に引っ掛け、輝く頭を数回掻く。腰掛けると同時に「いやいや」と独り言を漏らし、手を擦り合わせながらキッチンカウンター席の上部にかけられたお品書きを眺める。


 「例の羊と三本線は参加してるのでしょう?」

 

 フランが対面からおしぼり渡しつつムーチョへ尋ねる。そのいたずらな視線はチェルシーへと注がれる。ムーチョはその表情の真意を汲み取ったようで、眉毛を少し上げる。


 「今はストラブルのギルドに在籍してるみたいだね。向こうのギルドでもなかなか評判が良いみたいだよ」

 

 ムーチョがキッチンの片隅でビールを注ぎながら、聞き耳を立てているであろうチェルシーに聞こえる様に話す。瞬間、チェルシーの手が止まるのをフランは見逃さなかった。


 「カラちゃんは?」

 「カラはストラブルさ。アイツは今、戦いに飢えてるようでね」

 「心配ではないのですか?」


 チェルシーがビールを差し出しながら尋ねる。ムーチョはそれに軽く頭を下げると、「まずは」と言いながらジョッキを掲げる。

 フランはその所作を見ると「待ってました!」と表情を明るくし、二つのジョッキにビールを注ぐ。一つをチェルシーに渡すと、三人は速やかに且つ勢いよく乾杯する。


 「心配だよ。もちろん。今だって気にはなるさ。でも、止めることもできないだろう?彼女が望んだことなのだから。」

 「そんなに気になるなら着いて行ってあげればよかったのに」

 「こんな老いぼれが行ったところで足手まといだよ。この前の戦でよく分かった。彼女の邪魔になるだけだ」


 ムーチョは笑みを溢しながらゆっくりジョッキを傾ける。フランは何も言わず微笑みながらムーチョを見つめる。チェルシーは心配そうな表情をしつつ切り分けたローストビーフを皿に盛っていく。


 「ムーチョの旦那ぁ!一人酒とはまた粋じゃないかぁ!」

 「ビスケトか。今日もご機嫌だな」

 「良いエーテルが入ったんだ!いるか!?」

 「いらないよ。それより早く座りなさい」

 

 エーテルという薬物により興奮しているビスケトが、尋常じゃない程にギラギラとした目つきを備えて笑っている。ムーチョはそんな彼を見慣れている様子で、軽くいなした後、隣の椅子を引いて誘導する。


 「いらっしゃいビスケト。一人なんて珍しいわね」

 「いや!俺が先に来ただけだ!あとからクラッカも来る!それより聞いたか!羊と三本線、隠しダンジョンを踏破したらしいじゃないか!!」

 「らしいね。そういえばチェルシーちゃんと仲のいいコアラちゃんも同行していたらしいよ」

 

 ムーチョは皿に盛られたローストビーフを味わいながら、チェルシーに話しかける。


 「はい。手紙が来てました。もしかしたら魔王軍がベルリへ侵攻するためのものかもしれないとかって」

 「結果は違ったがなぁ!!」

 「ビスケト、何にするの?」

 「ビールだ!よし!乾杯しよう!フラン、チェルシー!エーテルいらねぇか!?」

 「遠慮しとくわ」


 四つのジョッキが合わさる。軽快な音が店内に木霊する。


 「結局ただのダンジョンだったのか」

 「ダンジョン内は見たこともない魔物でいっぱいだったそうだぜ!」

 「何でそんなこと知ってる?」

 「エーテルの取引にストラブルまで行ってたのよ!その時に羊に会ってきた!」

 「げ、元気にしてましたか?」

 「あぁ!いつも通りだった!体のデカい、頭が牛の魔物がその辺の魔物を集めて根城にしてたんだとよ!だが!そのデカブツ、なんとネームドだったんだとよ!」

 「ほぉ。それは何というか…」

 「面白くなってきただろ~ん?」


 店の入り口から声がする。皆はやれやれと言った表情で目線を向ける。そこには鳥の亜人であるクラッカが煙草を吸いながら立っている。ムーチョはその後フランに向けて人差し指を立てる。するとフランは静かに頷き、ジョッキをもう一つ取り出す。


 「フランちゃん、久しぶり、今日は飲むぜ~」

 

 キッチンカウンターに馴染の冒険者たちが並んで座る。フランは心の中で「今日は幸先がよさそうだ」と企む。


 「クラッカはてっきりストラブルに行くもんだと思ってたがな」

 「こいつは前の戦にも参加してない!腰抜けだ!」

 「その通りだ。俺は長生きしたいし、金も欲しい。冒険者としての名誉はクソ程にいらない」

 「そういう生き方こそもっと尊重されるべきだと思うね。それにしてもダンジョンにネームドがね…」

 「羊が言うにはそのネームドは魔王軍からの脱走兵だそうだ!」

 「脱走兵?へぇ…。人間みたいな奴もいるんだな」

 「さっきから当然のように言ってる、そのネームドって何なのよ。あ、いらっしゃいませ~!チェル!席案内してあげて!」

 「はい!何名様ですか?」


 チェルシーが男女二人をバルコニーへ案内する。どうやら予約していた客だったようだ。


 「ネームドってのはその名の通り、特殊な名前を持ってる魔物のことだ。なぜか魔物ってのは個体名を名乗ると強力になるそうだ。魔法のスペルのようなもんなんだろうかね」


 クラッカがナッツを口に放り込みながら説明する。フランはそれに相槌を打ちつつ、バルコニーの方を確認し、ゆったりとした動作で事前に注文されていたワインを取り出す。


 「今回のネームドはその名もヴィソンと言ったそうだ!」

 「前の戦にはいなかったね」

 「脱走しちゃいたいぐらい大変なのかもね。魔王軍ってとこは」

 「フランちゃん、このだし巻き卵作ってよ」


----。

 

 「ムーチョさん、またいらっしゃってくださいね。ビスケト、クラッカは大丈夫そう?」

 「酷く酔ってはいるが大丈夫だろう。店の前で今はグッタリしてるよ」

 「おやすみなさい。気を付けてね!」


 ムーチョが帽子を取って頭を下げる。そして店を出ていく。しかし店内の賑やかさは変わらないどころかさらに増している。

 

 フランの酒場をバルコニーで夜景と夜風を感じながら談笑する男女二人。冒険者ラメルとギルド受付嬢のメレンである。

 ラメルが予約していたワインを二人で嗜む。メレンはいつもよりも体のラインが映える服装でラメルを悩殺する。


 「仕事の方はどうだい?忙しくはないかい?」

 「はい。ラメルさんのようなお強い冒険者様たちのお陰でスムーズですよ。ありがとうございます。」

 「そんな。僕はいち冒険者として当然のことをしているだけさ。少しでも街の人達が穏やかに暮らせるように…ね」

 

 ラメルは爽やかにはにかむ。メレンはそれに笑顔で応えるが、心中は真逆の感情で覆われている。


 「ラメルさんはこの度のストラブル防衛には参加されないのですか?」

 「あぁ。本当は参加したかったんだけど、ガトーさんやマカロが参加しているなか、僕まで言ってしまったら今度はベルリが手薄になると思ってね。断腸の思いで今回は断念したよ」

 「腰抜けが…」

 「何か言ったかい?」

 「いいえ!英断だと思います。どうやら噂の羊と三本線も参加するようですね」


 メレンがその名を口に出すとラメルの表情が分かりやすく変化する。


 「今はストラブルにいるらしいからね。金の亡者のような奴等だから当然参加するとは思っていたよ」

 「わたくしとしては、ウォートルス・コンドル在籍時からそのご活躍を見てきたいので居なくなってしまわれたのは少々残念な想いです」

 「メレンさん!彼ら二人がいなくても僕やガトーさん達がいるよ!」

 「勿論理解しております。頼りにしていますよ」


 ラメルの不安と嫉妬が絡みついたような表情にメレンは笑顔で応える。そしてトイレと告げて席を立つと、一直線にフランの方へ向かってくる。


 「メレン、良い感じ~?」

 「冗談じゃないわ。今すぐにでも帰りたい気分よ。は!ちょっと強いの頂戴!あんな安物のワインじゃ酔えないわ」

 「ほどほどにしないとビスケト達みたいになるよ~?」

 「もう帰っちゃったの?」

 「うん。今さっきね」

 「残念。一緒に飲むならあの人たちとの方が良かった」

 「あんなジャンキー共はアンタに似合わないわ」


 メレンは「確かに」と微笑みながら応えるとバッカスを一気に飲み干し、「クゥゥ!!」と眉間に皺を寄せながら悦に入った後、力強い足取りでバルコニーへと戻っていく。

 フランはその後ろ姿に手をひらひらと降る。チェルシーはフランとメレンの会話に「大人の女性って感じです!」と一言添える。


 「年でいったらアンタの方が大人なのよ!」


 


 

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