第12話 ストラブル魔術学院

 馬車に乗り、五時間かけてベルリの街からストラブルへと辿りついた勇者と賢者。灼熱の気候が帆を蒸さし、二人は大量の汗を噴出させながら新しい街の地を踏みしめる。ベルリよりも小規模であるが、気品ある瀟洒な建物群が堂々と佇む。大聖堂のある聖地としても有名であり、快活な冒険者や商人などで賑わうベルリとはまた違う恍惚な静けさが宿る。

 ストラブルには大聖堂の他に、ストラブル魔術学院がある。そこは名の通り魔術を専攻する学び舎である。世界各地より魔術に自信のある者達が入学に挑むが、厳しい試験により毎年多くの者が涙を流し、去っていく。その光景はストラブルの風物詩でもある。

 賢者の実力は学院側も認知しており、勇者と賢者が馬車から降りるや否やすぐに学院の関係者に取り囲まれてしまう。勇者はいつものような軽口でその輪を柔軟に躱してしまい、賢者は「裏切者」と中指を立てながら咆哮する。

 学院にもてなされた賢者は賓客として待遇され、広大な大浴場を貸し切りにしてくれ、汗に塗れた身体を流す。湯気立つ浴槽は薄い緑を表し、ほのかに薬草の香りが漂う。その匂いだけで体内が洗浄されるような気にさせる。賢者は先ほどの悪態を改め、嬉々として入浴する。うめき声がこぼれる。浴場に木霊する。賢者は久方ぶりの入浴に満足する。

 入浴を終えるとこれまた広大な部屋に通される。そこには学院長を始め、学院で位のある人物が顔を揃える。中には学生でありながらもその才を認められた、神童と称される少女も、少女とは思えない程に堂々とした佇まいで座している。賢者は入室すると一瞬間その荘厳な雰囲気に飲まれそうになるが、なにがおかしいのか賢者は鼻で笑うと、いつも通りの仕草で用意された椅子に腰かける。

 賢者が席に着くと、学院長が静かな様子で賢者の話を始める。そして賢者が先の大戦で使用した魔術は歴史上に存在しない類のものであるとして称賛する。その称賛に目を輝かせる者、賢者に色目を使う者、嫉妬で、はらわたが煮える者、表情を変えず何事もない様子を繕う者たちにより部屋の空気が淀む。対する賢者は煙草を巻くのに必死な様子である。学院長はその様子を、立派に育った白い顎鬚を撫でながら笑う。

 しばらくすると豪勢な料理や酒が振舞われる。その光景は絢爛であり、宝石で埋め尽くされたのかと見違う程だ。ベルリの安酒場では味わえない料理の数々に賢者は自制心を保てなくなり、我先にと手を伸ばす。他の者達は賢者の卑しい姿に絶句するが、学院長の咳払い一つでそれは不問となる。酒も回り、会話が弾みだす。

 各々が自身の実力を示すように賢者に向けて語る。賢者はそれに丁寧に相槌を打ちながら、常に煙草を絶やさない。神童と称される少女は静かに、年相応の照れを押し殺して賢者を見つめる。その視線に賢者は気付かず、彼の向ける先はワインの瓶と、自慢する者の瞳である。

 一人の男が嫌味な口調で賢者に尋ねる。賢者と称される者の魔術を是非目の当たりにしたい、と。男は酒で紅潮した顔に黒い笑みを張り付ける。賢者はその男の話に鋭い眼で相対する。男はその眼力に怯む。その様子を見た賢者は表情を崩し、おもむろに立ち上がると、「見せたるわ」と全員を外に出る様に促す。出席者が各々の顔を見つめ合いながら、すぐには席を立たない。賢者が部屋を出ると、皆はようやく立ち上がる。

 学院長が校内で一番広いとされる闘技場に案内する。賢者はその巨大な空間に口笛を添える。気付けば客席には多くの学生が賑わう。今か今かと賢者を見つめる。

 賢者がふらつく歩容で闘技場の中央に向かう。しゃっくりが止まらず、誰の目に見ても彼が酔っているのは明らかである。賢者はそんなことも気にしない様子で、闘技場の中央に立つと、両手を前に突き出し呟き始める。


 賢者の呟きが始まると、闘技場の空気は一変する。先ほどまでの羨望や猜疑といった感情が消失する。その場にいる全員が同時に絶句する。静寂であるはずなのに焦燥する。奇妙な感情が巣食う。晴天であった空は瞬く間に曇天へと変わり、すぐさま雨雲へ発達する。風が吹きすさび、客席の女学生の髪が遊ばれる。各所から悲鳴すら聞こえる。横降りの小雨が徐々に勢いを増す。教員の中には避難が必要なのではと心配する者もいる。賢者は嵐の中でも表情変えず、何かを呟き続ける。時が経過すると嵐の勢いも増す。

 強力な魔力の発生により体調を崩す者が現れる。頭痛、嘔吐、幻覚、疑心暗鬼、離脱感、様々な症状に犯される。学院長ですら呼吸が早くなる。動物の鳴き声のような恐ろしい風切り音が圧倒する。誰もが逃げたくなるが逃げられない。体を動かしでもすれば自身が潰されてしまう。誰に教わったわけでも、理解したわけでもない。本能がそう訴えているのだ。顔色を青白くした若者が藁にも縋るような表情で賢者を見つめ続ける。嘔吐で塗れた服を脱ぎすてながら、半ばトランス状態の女学生が賢者に助けを乞う。自分が声を出すことができると思い出した者から言葉にならない声をあげる。闘技場を戦場のような阿鼻叫喚が覆う。

 賢者は涼しげな顔で呟き続ける、が、急にパタリと腕を下げてしまう。

 嘘のように空には晴天が戻りだす。風は弱くなり、雨も止む。生徒や教員達は自我を取り戻し、賢者の異様さに固唾を飲む。

 魔術が成功したのか?であれば今のは何という魔術なのか。今のは一体なんだったのか?賢者、彼はどういう精神世界を備えているのか?数々の疑問を抱きながら大勢が賢者を見つめ続ける。賢者は顔つきを緩める。そして何かを思い出したかのように学院長に顔を向ける。


 「うんこしたい」

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