第9話 水の都ヴェネア

 神聖なる水の都、ヴェネア。

 広大な川の上に建立された白を基調とした建物群。それらが川へと反射し、その上をスーっとゴンドラが行き交う。船頭の晴れやかな歌声が放物線を描く。

 ヴェネアは位置している場所の関係もあり一年中暑く、富豪達のバカンス地としても人気のある場所だ。都の一番奥には、まるで神のおわすところとさえ思うほど、美しく、巨大な神殿が鎮座しており、赴く者達は言葉では表せない程の幻想と神秘を喰らい、嘆息する。そこには各地から、神官や聖騎士を目指す若者達が訪れ、厳しい修練に励んでいる。

 ヴェネア大聖堂最高聖騎士と名高いディバは、史上最年少で聖騎士となり、魔竜ジャクソンを討伐した英雄の一人である。彼女の活躍が、今の女性冒険者達の礎となっていることは、もはや言葉にするまでもない。

 ディバは、勇者と賢者の前に座し、美しい瑠璃色の瞳を二人に静かに向けている。戦士の姿など想像もできないような美しい姿に誰もが見惚れてしまう。


 「悪魔の口から見事生還なされました。まずはご無事で何よりでございます。勇者様、賢者様 」


 小鳥の鳴き声のような、鈴の音色のような美しい声が、広間にこだまする。その声がひっそりと壁や床、天井などに染み込むような、そのためこれほど神聖な空間を保っているような、そんな気にもさせる。


 「ありがたきお言葉 ! こちらが依頼されていた品物でございます !」


 勇者は膝をつき、頭を下げながら頭の位置に刀をあげる。鞘先から柄の尾まで、漆黒で仕立て上げられたその刀は、重々しく、また、なぜか哀しげさえ感じる。


 「本当に、感謝しております。これで亡き友も救われたことでしょう」


 ディバは椅子から立ち上がり、勇者の前まで近寄ると、深々と礼をする。黄金の長い髪がそれに伴い床に着く。花の香りがふわりと舞う。両手で丁寧に、まるで友を抱き寄せるかのように、優しく刀を受け取る。

 勇者は軽くなった両手をゆっくりと戻し、頭を上げる。

 

 「勇者様、賢者様。まだお時間はございますか?お礼のもてなしを是非とも受けて頂きたい。この刀の主である我が友ヤツハシの話もさせてほしいのです」

 「もちろん!」

 「おい」


 賢者が勇者を小突く。勇者はそれを無視して、ディバから目線を離さない。


 「おい」


 賢者がまた勇者を小突く。ディバが不思議な様子で見つめる。それを察知した勇者は、目の前で首を傾げるディバに断りを入れ、賢者を引っ張り上げながら部屋の隅へと移動する。


 「なんやねん。空気読めや」

 「もちろん ! とちゃうやろがい。話聞く時間なんてあらへんやろが」

 

 賢者は服の袖から、四つ折りになった紙を取り出す。そこには『定期船時刻表』と記されている。


 「今日中に帰る約束やぞ?明日友達の結婚式あるねん」

 「だからって聖騎士さんのご好意、ムゲにはできんやろ。あの人かって、色々話したいことあるねん。気持ちわかったれや」


 神聖なる広間の隅で、耳打ちで話す二人を見つめる聖騎士と、その側近達。


 「あの…。お時間がありませんのでしたら、ご無理なさらないでくださいね?」


 ディバが美しい声で、隅の二人に声をかける。


 「大丈夫です。話が聞きたいのです」


 勇者は笑顔で返答する。隣の賢者はとっさに勇者の襟首を掴む。


 「しばくぞボケコラ。ご無理すんな言うてくれてはんねん。大丈夫ちゃうねん。あと一時間で最終便出てまうねん」

 「心配すんな。ちょっと話するだけや。一時間もかかるかい」

 「なんでそんな自信満々やねん。あの子の友達と、ワシの友達どっちが大事やねん !?」

 「ディバ卿の友達だ!」


 勇者はくるりと身を返すと、小走りで聖騎士のもとまで戻る。賢者は唖然とした表情で、部屋の隅で固まっている。


 「えっと…。その…。本当によろしいのでしょうか?」


 ディバは、目の前で頭を下げる勇者と、隅で固まり続けている賢者を交互に伺う。その後、折れた賢者がとぼとぼと勇者の隣まで来ると、同じように頭を下げる。


 「手短にお願いします。帰りの便がありますので」

 「いいえ ! お気になさらず ! なんなら明日の昼まで話して頂いても結構です!」

 「ちょっと待てコラ。あかん。ちょッ、来い!」


 勇者が賢者に引きずられる形で、またもや部屋の隅へと移動する。そしてまた、コソコソと言い合っている。

 

二人の小言が、本領を発揮する。


 「お前確信犯やないけ?なにが明日の昼じゃアホンダラ。あかんぞ?今日絶対に帰るからな」

 「明日の結婚式なんて出ても出んでもなにも変わらんやん?だってなにすんの? アホみたいな顔しておめでと〜いうて、余興して、酒飲んで終わりやろ?」

 「余興があるんじゃ!俺の渾身のオリジナルソングを歌うんじゃ!」

 「一番迷惑じゃボケ!そういう席では普通は友人の好きやった歌を歌うんじゃ!ッんなもんお前の自己満でしかないやんけ!友人を立てたらんかい!」

 「ちゃ、ちゃうわ ! 俺がどんだけ血の滲むような練習したことか!」

 「ちょっと今歌ってみぃや」

 「結婚おめでとう。君たち二人で未来へhere we go …」

 「やめろ。ダサ恥ずかしいねん。オリジナルソングでラップすな。痛々しいねん」

 「アホか ! お前には大衆音楽の文化的価値が分かってないからそんなことが言えんのじゃ!一見恥ずかしいと思うような歌詞にこそ胸に響くナニかがあるねん!」

 「ナニかってなんやねんボケェ!!!」




 ディバは思わず吹き出してしまう。側近の者たちは、ディバの笑顔を久方ぶりに見たようで驚き、感動している。

 部屋の隅の二人はまだ、結婚式の余興の歌のことでヤイヤイ小言を言い合っている。定期船の話は脱線したまま戻ってこない。そして、もう隅まで行く必要がないほどの声量になってしまっている。

 ディバは二人のバカバカしい掛け合いに我慢できず、ケラケラと腹を抱えて笑う。側近の者たちも、その様子に釣られて笑ってしまう。神聖なる大聖堂に、これほどまでの明るい笑い声がこだまするのは初めてのことであった。

 目尻に涙を溜めて、ディバは隅の二人を見つめる。二人はそんなこともお構いなしで真剣な表情で小競り合いを続けている。

 笑いは伝染する。ディバと神官だけのはずが、見習いの若者達も影から覗いて笑い、それを咎めに来た教育者も思わず吹き出す。

 ディバは刀を抱きしめながら、「本当にありがとうございました」と呟く。

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