第6話 BAR Eton
ベルリの酒場のひとつ「エトン」
カウンターと3席のテーブル席しか設けていない小規模な店。料理などは出てこず、マスターが作る酒を楽しむ場所である。ベルリでカクテルなどの多様な酒が飲めるのは「エトン」以外にはない。店内は薄明りの橙の照明で彩られ、程よい調光になっている。マスターがその日の天候や人の流れなどで選ぶ香の香りが鼻腔を喜ばせる。カウンターの向こうには身なりを整え、紳士然としたマスターが悠々と立ち、その後ろの棚にはあらゆる酒が整然と並べられている。
「おい!また冒険者たちが魔物を倒したらしいぜ!」
「聞けばキッポの奴が殺し損ねた得物らしいじゃねぇか」
酒場のカウンターで噂を肴に飲む漁師たち。いささか場所を違えているのは拭えないが、マスターは顔色一つ変えず淡々と仕事をこなす。
その集団から少し離れた席で飲む男女。その男の方が噂のキッポである。隣には彼の仲間である魔女のババロウワがカクテルを嗜んでいる。
漁師の1人がババロウワに近付く。
「おいネェちゃん、そんな腰抜け野郎と飲まずに俺たちと付き合えよ」
そう言うと漁師はババロウワの肩を掴む。ババロウワは反応することなく笑みを溢す。
「冗談はよしなよ。アンタみたいな磯臭い船乗りなんぞと酒を飲んで何が面白いんだよ?だいいち、あたしは魚の類が嫌いなんだよ。漁師は海で泳いでる細身の魚相手に腰降ってりゃいいんだよ。そうすりゃ毎年大漁じゃないか?あぁ?いつまであたしの肩に触れてんだよ!」
ババロウワが肩を揺すると漁師は大きく吹っ飛ぶ。他の漁師たちはその様子に恐怖し、代金だけをカウンターに捨て置くとすぐさま逃げていく。
「お陰で少しばかり多めに貰えたよ」
酒場のマスターがカウンターに置かれた硬貨を丁寧に拾い集める。ババロウワは「じゃぁもう一杯」とグラスを掲げる。
「くそ。えらい言われようだ」
キッポが俯き、悔しがる。ババロウワは返事せずナッツを口に放り込む。
「ババロウワ、俺たちはあの時しっかり倒したよな?お前、見てたよな?」
「…しっかり、とはなかなかね。あんだけの乱戦だからそんな余裕もなかったし」
「そうなんだよ…だから、あんな謂れをされる覚えはないんだ。くそ…なんでこんな事に」
マスターがカクテルを差し出す。キッポはそれを横目で見つめながらため息を吐く。
「おっちゃん、ビールある?」
「お前ずっとビールなん?怖いわ。そういう奴たまにおるけど、胃袋どうなってんの?」
勇者と賢者がいつの間にかカウンターに着いている。キッポとババロウワは少し驚くが、声は出さず、気取られないようにする。マスターは顔色一つ変えず淡々と対応する。
「賢者殿は、何を飲まれますか?」
「俺はぁぁぁぁ…ワインにしよかな、赤で」
賢者はそういうと煙草を巻き始める。勇者はそれを見て「俺にも」と呟く。キッポは居心地悪そうに酒を飲み、賢者の所作を見て思い出したかのように煙草を取り出す。
「ねぇ、あたしにも一本巻いてくれない?」
ババロウワが賢者に声をかける。勇者と賢者の2人は動じる様子はなく、覇気のない表情を向ける。一方、キッポはかなり動揺しており、煙草の煙でムセる。
「銘柄、コレやで?」
賢者が葉が入った袋を見せる。そこには「サイクロプス」と表記されてある。
「また懐かしいの吸ってるわね。頂くわ」
「一つ目、吸ってたん?」
「随分前だよ。最近はやめちゃったけど。女が煙草吹かしてると嫌味を言ってくる奴が多いのよ」
「そんなん気にしてたんや」
「意外でしょう?」
賢者は手慣れた手つきで煙草を巻き上げると、勇者とババロウワに渡す。キッポはそれを少し羨ましそうに見つめながら煙草を燻らせる。マスターが灰皿を勇者と賢者の間に置く。賢者は人差し指から小さい火を生み出す。ババロウワもそれに倣う。サイクロプス特有の芳醇な香りが酒場を覆う。酒場の全員が無言のまま暫く煙草を吸う息遣いのみが響く。マスターはグラスを2つ取り出すとビールとワインを注ぐ。適度な量を注ぎ終えると、静かに、2人の前に差し出す。
「お疲れ~」
勇者はグラスを掲げると乾杯をするように近づける。他の3人も同じようにする。カチンと甲高い音が鳴る。4人はゆっくり各々の酒を嚥下し、身体を癒す。
「ックゥゥウ!」
「キッポもババも聞いてや。コイツ今日これで六本目のビールやで。怖ない?こんな一杯目の顔できる?怖いわコイツ」
「よくビールばかり飲めるわね」
ババロウワは煙を上げる煙草を指先でくるくると回しながら相槌を打つ。
「ビールはどこのが好きなんだ?」
キッポが口を開く。表情は少し硬い。
「ほんまはサッポロ」
「…知らんな」
「その次はペガサス」
「…それは俺も好きだ」
キッポが少しはにかむ。ババロウワも笑みを溢す。
「キッポは何飲んでんの?」
賢者が赤ら顔で尋ねる。キッポは自身のグラスが空になってるのに気づくとマスターを呼ぶ。
「同じのをくれ。2つ」
「かしこまりました」
「なんか悪いなぁ」
「一応、おめぇらに尻拭いしてもらったんだ。これで足りねぇなら言ってくれ」
キッポはぶっきらぼうに言葉を吐き捨てると、くわえていた煙草を灰皿に強く圧しつける。
「こいつ、気にしてんのよ」
ババロウワが吐く煙が輪っかになる。
「なにを?」
勇者がビールを味わいながら尋ねる。賢者は何も発せず煙草を巻き始める。
「なにをって…!…。俺が、この前の戦で討ち漏らした魔物だよ…!その…悪かったよ…」
徐々に尻すぼみになっていくキッポの言葉と比例して彼の顔も俯き加減になる。ババロウワは覚られぬ声量で鼻で笑う。
「討ち漏らすなよボケ」
「ほんまや。ちゃんと確認せぇやカス」
「な!あんな入り組んだ大戦でどう確認しろってんだよ!」
「そんなん、あれやん。なぁ?ええ感じにしたらええやん」
「なんだよ、ええ感じって」
「お前それはええ感じはええ感じやろ。なぁ?わかるやんなぁ?ええ感じ」
「えぇ、分かるわ。ええ感じにすれば良かったのよ」
「お前まで乗せられてるんじゃねぇよ!ったく!お前らにはかなわねぇよ」
「焼き飯知ってるか?」
「なんだよ急に。うるせぇ坊主だな」
「焼き飯で一番大事なんは、卵の絡み加減と火力や」
「…おう。それがなんだよ」
キッポは空になったグラスを傾け、氷を口に放り込む。
「それが全部、絶妙な割合で掛け合わされた時、ええ感じになるねん」
「…焼き飯が、だろ?」
「お待たせしました。‘ええ感じの酒’でございます」
マスターの小粋なセリフと共に淡い青色のカクテルが差し出される。それはキッポが頼んだ酒とは違うものだった。
「マスター、コレ、まちがってるぜ?」
「キッポ、忘れたの?私たちが初めてクエストを終えた日のことを」
「…あ…。マスター…」
「懐かしいね。あんたと2人で飲むのはいつものことだけど。なけなしの金でこの酒飲んで気張ってたあの日が1番楽しかったかもね」
「…腐ってる場合じゃ…ねぇな…」
キッポとババロウワはカクテルグラスを静かに持ち上げ乾杯する。懐古を感じつつ、しかしそこに長居せず、奮起させる。キッポの瞳はもう先ほどの暗い死んだモノではない。マスターは2人の姿を見つめながら、やはり顔色一つ変えず淡々とまた仕事に戻る。だが、少しだけ微笑んでいるようにもみえた。
「いや、俺の酒は?」
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