第75話 年末ライブ③

 イントロから、永久らしからぬ歪みのないクリーントーンの音色がドーム中に響き渡る。


 一曲目は新曲の『宝物』。どうせ会場にいるほとんどの人はサクシの曲を知らないはずなので、有名曲とか関係なく自信作をぶつけようという永久の意見が通った形だ。


 それが正解だったとすぐに分かった。イントロを永久が弾き始めると同時に南国の海のように青い照明がパッと点く。


 僕の視力で見える範囲の人は、同じように南国でバカンスを楽しむように、リバーブのかかったクリーンなギターの音色にウットリしているようだった。


 千弦はいつものように一気に声を張り上げるのではなく、優しく、休日を満喫するように歌い、サクシの世界を観客に伝えていく。


 千弦の案内で観客が誘われてきた。僕も彩音も永久も奏も失礼がないように全力でもてなす。覆面は被っているけれど、その下は全員が笑顔のまま。


 歌の切れ目に奏がアドリブを放り込んできた。一瞬冷っとしたが、皆は子供が障子に穴をあけたように微笑ましく許して何事もなかったように演奏を続ける。


 千弦は、穏やかに、ゆっくりと観客を連れまわして砂浜に案内する。そこには、奏のソロが今か今かと待ち構えていた。


 さっきのアドリブで完全に緊張は吹っ切れたのだろう。奏は鍵盤を嘗めまわすように弾き始めた。サクシの世界の上に奏の世界が広がっていく。


 一人ぼっちで寂しがりの奏ではなく、優等生で八重歯をむき出しにして笑う外面の良い奏が砂浜でくつろぐ観客に一礼をして、その場で踊り始める。


 僕でもなく、奏の両親でもない。この会場に来ているすべての観客に思いを伝えるように、鍵盤を叩く。


 奏のおもてなしは大成功した。最後の曲の伏線なのか、速弾きを披露して会場を大いに盛り上げていく。


 奏のソロが終わると、また全員で観客をもてなす。お茶をくみ、パラソルを広げ、果物をカットし、息のあったコンビネーションで給仕をする。


 観客全員を十分にもてなしたところで一曲目が終わった。


 だが、これはセットリストを考えた永久が仕組んだ巧妙な罠だ。南国のリゾート地は徐々に姿を変えていく。砂浜はコンクリートに覆われ、ビルが地面からニョキニョキと生えてくる。高く上がっていた日は徐々に傾いてきた。


 ここからはおもてなしではなく、各々が好き勝手に暴れる時間だ。千弦が声を張り上げ、ネット掲示板のレスバトラーも真っ青になるほど観客を煽る。


 千弦の煽りでバカンス気分だった観客も目を覚ましたらしい。手を掲げて、ここに来た目的を思い出したように千弦のコールに対してレスポンスを返す。


 二曲目は『君がすべて』。僕が皆と初めて合わせた曲だ。サクシに加入した時の事を思い出す。


 あの時と同じように会場にシャボン玉が飛び交っている。幻覚だと思ったら、演出チームの人が気を利かせて飛ばしてくれていたらしい。ステージ下で子供が遊ぶ玩具としては重厚な銃を構え、そこからシャボン玉を乱れ打ちしている。


 いつもより豪華な照明をシャボン玉が乱反射して、光があふれだした。眩しい光から逃げるように、ステージを縦横無尽に駆け回る。


 これまでで一番大きなステージという事は、これまでで一番楽しいという事だ。そんな簡単な事しか思い浮かばないほど頭が馬鹿になる。脳内麻薬が出て簡単な言葉も上手く話せなくなっているだろう。それくらい全身で幸福を感じる。


 三曲目、四曲目と続くも、観客の盛り上がりは青天井だ。あっという間に最後の曲になる。ここでもてなした人の何割がこれからもライブに来てくれるのだろう、SNSで宣伝してくれるのだろう。そんなことを考えながら『月を越える』のイントロに入る。


 最初は奏のピアノから始まる。これから始まる激しい戦いを予感させるような、壮大な雰囲気をサビと同じメロディを使って作り上げる。


 奏のピアノが終わると、ギター、ベース、ドラムが激しく鳴動する。永久はギターに取り付けたアームを何度も捏ねくり回し、さながらバイクのエンジン音のような轟音をドーム内に響かせる。


 僕の仕事はひたすら同じフレーズを繰り返すだけなので、後は上物の三人を引き立てるように縁の下に移動する。


 縁の下に引っ込んだタイミングで入れ替わるように千弦の歌が入ってきた。千弦にしては低めの音から入ってくるが、あっという間にフルスロットルになり声がグングンと高く、伸びていく。


 サビではこれまでのサクシの曲で出していた最高音を二つも更新する。永久は千弦にもストイックな要求を突き付けていたが、無事に練習中にクリアしていた。千弦を後押しするように、永久がギターで千弦の声とユニゾンする。


 気が付けば南国のリゾート地は、無数に張り巡らされビルの隙間を縫うような首都高速になっていた。そこを永久、千弦、奏の三人が競うようにスピードを出す。ガソリンが切れないように給油するのが僕と彩音の役目だ。


 サビを終えると、永久の一度目のギターソロに差し掛かる。千弦も永久の影響でアームを使ったエンジン音の再現に味を占めたらしく、永久のギターソロの始まりを焦らすように、イントロの永久を真似てアームを使ってエンジンを吹かす。


 永久は低音の弦を使っていたが、千弦は高音の弦を使って音を鳴らしている。永久が単気筒エンジンというならば、千弦は四気筒エンジンのような快音を響かせる。


 永久の一度目のギターソロは、お手本になるほど綺麗なものだった。ギターのネックに張り付いた親指以外の四本が意思を持っているようにバラバラに指板の上を動き回る。あれも欠かさずにやっている基礎練習の賜物なのだろう。


 ヤマタノオロチになるには左手の指の数が足りないが、それでも一本の指が倍の仕事をすれば良いとばかりに高速で這いずり回る。


 左手に現れたヤマタノオロチをコントロール仕切った永久は、本人が気にしている風貌通りに、大人の余裕を感じさせて一度目のソロを終えた。


 息をつく暇もなくサビに戻り、また千弦が声を張り上げる。曲はまだ中盤だが、歌うのはこれで最後だ。サビの高音部分が辛すぎて最後まで喉が持たないという背景もある。


 ここからは、永久、千弦、奏のプライドをかけたレースという名のソロ回しが始まる。場所は満月の夜の首都高速。光源は満月と山下さんと演出チームが捻出してくれた花火。


 その立会人は彩音だ。ここまでずっと裏方に徹していたが、一気に手数を増やして前に躍り出てスポットライトを浴びる。だがそれも束の間。本来の主役である三人の準備が整うと、一人目の千弦と入れ替わるようにまた裏方に戻ってきた。


 千弦はずっとバッキングばかりしていたのであまりギターを弾き倒すイメージはなかったのだが、当然のように永久とそん色ないギターのテクニックを披露した。


 出来ないのではなくやらないだけ。そんな言葉がピッタリな千弦は彩音から受け取ったバトンを握りしめ、ギターをこれでもかと弾き倒す。


 そこに永久が合流する。さっきとは打って変わってライトハンド奏法でソロを奏でる。右手と左手が指板の上を這いずり回るため、まさにヤマタノオロチが降臨しているかのようだ。


 ギターの教則ビデオのような二人のテクニックの応酬の後、ダメ押しとばかりに奏が電子ピアノの脇に置いているシンセサイザーで入ってくる。永久にも負けない速弾きで一曲目の伏線を回収する。


 ソロ回しを終え、最後のサビに入る。三人でサビのメロディをユニゾンしてレースを終えた。


 勝者はおらず皆倒れたとばかりに、奏のピアノを中心とした壮大な雰囲気のイントロに戻り、良い戦いだったと相互に褒めあって、曲が終わる。


 数分間のソロ回しで喉を温めておいた千弦がドームに向かって叫ぶ。数万人の歓声を受けながら全員で最後のCの音を鳴らす。すべてが、全員が完璧だった。一度のミスもなく、この大仕事をやり遂げた。


 五人のパンダが並んで手を繋ぎ、観客に礼をする。この人達はこれからが本番なのだった。『ソルトベイビー』のライブはまだ始まっていない。前座としては十分すぎる仕事を果たしただろう。


 暑いほどに温まったステージを五人で順番に降りる。山下さんをはじめとする『ソルトベイビー』の面々が待ち受けていた。


「お前ら! 最高だったぞ!」


 山下さんが駆け寄ってきて、一人ずつとハグをする。僕も抱きしめられた。全員、ライブに集中しすぎたようで、山下さんに抱きしめられた傍から体力がゼロになっていた事に気付き、ヘナヘナと崩れ落ちていく。


「うはぁ……やり切ったな」


 永久が最初に覆面を取り、大きく深呼吸をする。


「そだねぇ。楽しかったね。またやりたいな」


 奏も言葉とは裏腹に額や顔、首筋に大河のように流れる汗を拭っている。


「よくそんな事が言えるわね……ヘロヘロじゃない」


 普段はすまし顔の彩音も今日ばかりはバテている。


「最高だったぞぉ! ありがとう!」


 千弦はまだ興奮が冷めきっていないようで、ステージ上での人格のまま大きな幕越しにドームの観客に向かって叫んでいる。四人でその姿を見て、顔を合わせて微笑む。


 ステージ上ではいくら豹変しようとギャップを感じない。街中では浮いてしまうスパンコールドレスがステージ上では様になるのと同じだ。だが、ステージから降りると、普段の穏やかな千弦とのギャップを認識してしまい、笑いがこみあげてくる。


「千弦! こっち来いよ。座ってコーラでも飲もうぜ!」


 永久の掛け声に反応した千弦は覆面を取ると、振り返って微笑む。


「私はオレンジジュースがいいです。ありますか?」


 永久は千弦の言葉を無視して、こっそりと何度も振った未開栓のコーラを千弦に手渡す。疑う事を知らない千弦は、普段通りに蓋を開ける。液体と分離した炭酸ガスが黒い液体を巻き込みながら勢いよく吹き出し、千弦はコーラまみれになった。


 その場で今日のライブの成功を祝うビールかけならぬコーラかけが始まった。きっかけは永久だったが、千弦の反撃が無差別だったため、全員が参戦する泥仕合となった。


 当然、後でスタッフの人に滅茶苦茶に怒られ、五人で床の拭き掃除をさせられたのであった。


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