第76話 話し合い①

 自分達の演奏による興奮が冷めやらぬ内に、機材の転換を終え『ソルトベイビー』のライブが始まった。


 プロの世界。それをまざまざと見せつけられた。僕達もかなり上手くやったという自負はあった。それでも、ここに来ている人達の目的は、このバンドを見るためだったということを思い出す。


 キャリアの長さを感じさせる息のあったコンビネーションと往年の名曲。キャリアの長さを感じさせないフレッシュな新曲と力溢れるステージング。全てにおいて僕達を上回っていく圧巻のパフォーマンスだった。


 それでも、僕達が得た手応えは本物だった。だから、機材を車に積み込んだ後、打ち上げまでの待ち時間で永久が話し合いをしたいと言って集合をかけたのも当然だろう。




 楽屋で輪になるように椅子を並べて五人で座る。大事な話ということで、ドアの前に恭平を立たせて人払いも完璧だ。


「まずは今日のライブお疲れさま。つっても私も出てたんだけどな」


 永久が改まって話をしようとするが、どうにもそういう話し方は苦手なようだ。髪をかきあげながら話を始める。


「皆、お疲れさまでした。本当に今までで一番のステージでしたね!」


 相変わらずマイペースな千弦が一人で拍手をしながら永久の話を遮る。


「そうだな。で、いきなりだけど本題な。これからの事を相談したいんだ。サクシで、プロを目指してやっていくかどうか」


 永久の言う「これからの事」。ライブの手応えも十分な上に、プロの世界を間近で見た。皆、同じくらい刺激を受けて、同じ事を考えていただろう。


「プロって一口に言うけど、どういうことなの?」


 彩音が念のために確認をする。


「そうだな……バンドが売れる……売れるって事は音楽で飯が食えるって事だな。だけど、飯が食えるってのも曖昧だから、まずは分かりやすくメジャーデビューを目標にしようか」


 全員が頷く。実家が太いメンバーもいるとはいえ、将来的には自立して自分で金を稼ぐ事になる。雇われ会社員ではなく、ミュージシャンとして金を稼ぐ。それが最終目標だ。


 その通過点としての分かりやすいサブ目標がメジャーデビュー。高校球児の掲げる『甲子園優勝』くらい分かりやすいものだが、実現には遥か高みに登らなければならない。


「だから、これからは練習もライブの本数も増やす。でも最低限高校は出ような。大学も行きたいやつは行こう。この辺は各自で親と相談してくれ」


 永久が全員を見渡す。


「で、そもそもの方針に反対の人がいたら教えて欲しいんだ。私はこの五人で続けたいから、プロを目指すんじゃなくて、学生の思い出作りとして続けるっていう道もあると思ってる」


 これも全員の認識が一致したようで皆が一斉に頷く。プロを目指すにしてもこのメンバーでやる、ということだ。一人でも反対する人がいたら諦める。それでも音楽の道に進みたければ個人活動や別のバンドという道もあるからだ。


 だが、誰も五人でプロを目指すという方針に異を唱えない。


 彩音も奏もそんなつもりは更々なかっただろうが、今日のライブの手応えは心変わりをするには十分だっただろう。


「方針は問題なさそうだな。皆でメジャーデビューを目指す。次は、これから本気で活動していくあたって、皆が持ってる悩みを解消しておきたいんだ。バンド活動に支障を与えかねない悩みだったり、これからのバンドの方針のアイディアなんかでもいい」


 リーダーとして、今後湧いてくるであろう問題を先回りして潰しておきたいのだろう。永久はずっとこうやって皆の事、サクシの事を第一に考えてくれている。


「はい! じゃあ私からいいですか?」


 千弦が勢いよく手を上に挙げる。皆が頷いたので千弦が話し始める。


「覆面、もうやめてもいいのかなって思ってるんです」


「他に同じ考えの人、いるか? ……いないな。千弦、なんでだ?」


 僕も積極的に覆面を取りたいわけではない。奏と彩音も同じようだ。


「もっとファンの人……世間の人に私を見てもらいたいんです。伊東千弦という人を知ってもらいたいんです。言葉を選ばないなら、チヤホヤされたいんです」


 千弦の悩み。それは覆面を被っているが故に自分とボーカルのマサとしての世間の評価にギャップを感じてしまう事。


 高校生にも関わらずあの大きなステージに立ち、数万人の観客を盛り上げた。それなのに、その功に値する称賛を受けられない。それが千弦の不満となって溜まっている。僕も相談された事はあるが、根本的な解決には至っていない。


「私は反対だな。良いことなんて何もないぞ。チヤホヤなんてされるだけ損だよ」


 永久は有名人の身内として、その生活がいかに辛いかを知っている。だから反対するのだろう。


「そうかもしれませんが……辛いんです。あれだけの人を前に大仕事をやり遂げたのに、貰えるのはお父さんとお母さんからの褒め言葉だけ。もっと、色んな人に褒められたいんです! 私を見て欲しいんです!」


「それが無駄だって言ってんだよ。そんな風に目立っても良いことなんか何もないんだって。コンビニで何を買うか、休日にどこに行ったか、そんな事ばっか雑誌に面白おかしく書かれるんだ。男と飯に行こうもんならスキャンダルだよ。そんな息苦しい生活を本当に望んでるのか?」


 徐々に永久と千弦がヒートアップしてくる。この議論はどちらかが折れるか、妥協点を探らないと終わらない。それなのに二人共がそれを放棄して自分の都合を押し付けあっているように見える。


 ここに至って気づいた。この会は、皆がこれまで被り続けてきた覆面、つまり、個人で抱え続けている悩みを引き剥がすために永久が仕組んだのではないか、と。それは永久も例外ではなく当事者となる。


「永久は何でそんな分かった口をきくんですか! やってみないと分からない事だってあるじゃないですか!」


 千弦がライブ以来の叫び声を出す。喉は十分に温まっているので、廊下にも響きそうなほど綺麗に高い大声が出ている。彩音は驚いたようで顔をしかめて指を耳の穴に突っ込んだ。


「やってみたから分かるんだよ。私、本当は安藤永久じゃないんだよ。本名は一乗谷永久っていうんだ」


 永久が辛そうな顔をしながら告げる。


 皆、なんの事やらとポカンと口を開けている。僕も一瞬何の話なのか分からなかったが、永久の父親の名前を思い出してピンときた。一乗谷恭之助。芸名だと思っていたが本名だったらしい。


「一乗谷恭之助ってドラマとかで見たことあるだろ。後は安藤燈子。それが私の父親と母親。昔から週刊誌に追い回されたりして大変だったんだ。親も目立ちたがりで変装なんかほとんどしないから尚更な。だから分かるんだよ。私は絶対に覆面を取りたくない。後、親の七光りって言われるのも嫌だしな」


 一度堰を切ると、これまでの永久の苦悩が濁流となって溢れてくる。


「それは色々と……辛かったでしょうね。すみませんでした。軽はずみな事を言ってしまいました」


 千弦が自分の発言について謝りながら、永久に寄り添って背中をさする。


 両親の事は永久がこれまでバンドメンバーに秘密にして来た事だった。内容の重要性というよりも、バンド関連ではなく個人的な悩みだから打ち明けにくかったのだろう。


「うーん……結局覆面を取るか取らないかって話だったよね。千弦はどう? バンド活動の間は覆面を被って、それとは別に何か顔出しで動画投稿するっていうのはどうかな」


「そうですね。その方法を試してみます! 私の意見は撤回させてください」


 奏が話をまとめ始める。いつもなら永久の役割なのだが、今は自分の話をしているしまとめ役はしづらいだろう。


 奏のアイディアは僕もかつて千弦と話したときに出したものだ。


 千弦は永久の方を向き直す。


「この覆面にそんな強い想いが込められているとは知らなかったので、あんな事を提案しちゃいました。永久、すみませんでした」


「いやいや! いいんだって。そんなかしこまらないでくれよ。こういう話をどんどんする時間にしたいんだ」


 覆面の着脱については、千弦が折れる形で覆面を継続となった。千弦もまだまだ溜まっているみたいだし、今度動画撮影の手伝いでもしてあげよう。


 二人とも、覆面を脱いでスッキリした顔をしている。物理的な覆面ではなく、内面にある何かを覆いつくすための覆面。些細な事でも重要な事でも、秘密を抱えているとジワジワと蒸れてくるのだろう。


 僕も奏への気持ちを隠し続けるのはかなり辛いものがあるので、よくわかる。心の覆面の下は滝のように汗をかいていて、今すぐにでも外したい気分なのだから。


「じゃ、次は誰にする?」


 永久は僕の方を見てくる。その目は「何を言うかはお前に任せる」というくらいの穏やかなもので「絶対に奏に告白なんてするな」とは言っていないと思った。これは僕の解釈なのだが、多分大丈夫だろう。永久を見て頷くと、唇を噛みながら頷き返してくれた。


 数か月前に河原で永久に宣言したはずなのに、すぐに心が折れてしまう自分が情けなくなる。この気持ちだけは絶対に隠して過ごす。そう決めたはずなのに、奏の世界に近づくほど、太陽のように僕を照り付け、覆面の下に滝のように汗をかかせてくる。


 無理して被り続けたらいずれ皮膚はふやけるし汗疹も出来てしまう。一度、僕も覆面を脱いでみたい。


 多分、今が永久の言っていた『バンドか奏か選ぶ時』なのだと直感する。選ぶのは僕でも奏でもなく、メンバーの皆。奏への気持ちを殺さないままサクシに居続けさせてもらえるのか、気持ちを殺せないなら去れ、と言われるのか。


 でも、僕無しでバンドを続けられるのか。自分がそんなに重要人物だとは思っていないが、今さっき認識合わせをしたばかりなのだ。この五人でやっていく、と。舌の根も乾かぬうちに、また五人体制でやっていく事に一石を投じてしまう。


 不安でたまらないが、永久、千弦と視線を移していくと二人とも穏やかに微笑んで頷いてくれている。どんな結果になっても受け入れよう。そう決心して口を開く。


「じゃあ、次は僕で」


 手を挙げ、大きく息を吸う。


「僕は、奏の事が好き……です」

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