第73話 年末ライブ①

 林間学校が終わるといよいよ、サクシの活動が再開する。『ソルトベイビー』のドームツアーファイナル、そのオープニングアクトの準備が始まった。


 永久の今回のライブへの思い入れは並々ならないものがある。永久の敬愛する『ソルトベイビー』の前座を務めるのだから当然だろう。


 永久は気合が入りすぎるあまり、新曲を二曲も持っていくと言い出した。一曲は『宝物』。奏が作っている南国をイメージさせるポップな曲だ。永久はもう一曲、ロックなナンバーを作って持っていきたいと言っている。


 今日は部室でそのための会議をすることになった。


 全員で集まると、すぐに本題に入る。


「それで、永久ってDAWとか使えるの?」


 奏が、作曲をすると言い出した永久にあきれた様子で尋ねる。


 さすがにこのデジタル全盛時代に音符を一つずつ紙に書いていくのは現実的でないし、そんな教育も受けていない。奏のようにパソコン上で打ち込んだり、録音したデータを編集したりするスキルが求められる。


「あ? 使える訳ねえだろ。譜面はココにあるんだ」


 そう言って永久は自分の頭をコツコツと叩く。それは一曲でも生み出したことのある人が言えるセリフのはずだ。少なくとも僕が知っている限り、サクシでそんな活躍を永久がした記憶はない。


 皆も呆れて苦笑いしているが、どうも永久は本気らしい。


「ほら、時間がもったいないだろ。やるぞ!」


 永久がギターを構え、残りの四人で囲む。永久がとりあえず通してギターで演奏してくれるようだ。


「じゃAメロのとこからな。今回は激しめの感じでいきたいから、それ前提で考えてくれよな。夜にバイクで月に向かって走るイメージな」


 夜に月に向かって走るなんて、千弦と二人乗りしている時にアイディアでも湧いてきたのだろうか。何とも抽象的な表現だが、それを音にするのが僕達なのだから、今は朧げでいい。


 永久が指板を押さえてコードを弾く。椅子に座って足を組み、太ももにギターを乗せているだけなのに、往年のシンガーソングライターのように見えて、何とも様になる。


 更に永久はギターを弾きながら歌いだした。永久の歌はあまり聞いたことはなかったが、意外と上手い。ただ、高いところは声がひっくり返るので、千弦が歌う前提なのだろう。


 各々、それを聞きながら自分のパートのイメージを膨らませる。とはいえ、僕はそんなに忙しくはなさそうだ。基本のテーマはずっと同じフレーズを繰り返して進んでいく感じなので、僕もずっと同じ事の繰り返しだ。


 奏が永久の演奏を録音してくれていたので、更に個別で自分のパートを組み立てていく。


「奏吾、ちょっとやってみる? 私は大体できたから」


 彩音はあっという間にサビまでのイメージが固まったらしい。エイトビートを基本に、オカズを差し込む形にしたようだ。僕も彩音のバスドラムとコード進行に合わせてフレーズの強弱を固めていく。


 二人で合わせていると、永久が近づいてきた。


「おっほほ! いいじゃねぇか! もう私の設計図を超えたな!」


 好みの雰囲気になりそうなのか、永久はかなり上機嫌だ。永久の設計図がどこまであったのかは不透明だが、褒めるための方便なのだろう。


「でもあれだな。Bメロとサビはもっとハネる感じが良いな。ダッダッダッ、みたいなやつだよ。後、フレーズの終わりにちょっとアクセントが欲しいな」


 永久のリクエスト通りに弾いてみる。


「うーん……奏吾、全部親指で弾いてみてくれ。スラップ? サムピングだっけ? まぁいいや、あの親指でペシペシやるやつだよ」


「え? この速さで?」


「おう。ちなみに完成したらもうちょいテンポ上げるからな」


 永久は季節外れの向日葵が咲いたような笑顔で悪魔のような宣言をしてくる。とはいえ、嫌だと言える空気でも無いのでヤケクソになってもう一度弾いてみる。今の想定だとベースはずっと同じフレーズの繰り返しなので、全編に渡ってスラップをし続けることになる。


「ど……どうでしょうか」


 あまり慣れていない奏法をひたすら続けるので普段使わない筋肉を酷使する。ひたすらスナップをきかせて回転させられ続ける右手首、それと右腕腕、指板を押さえる左手がヘロヘロになりそうだ。


「フレーズは完璧だな! じゃ、それを五分位維持できるようにしといてくれ」


 永久は奏と方向は違うがストイックさでは負けていないだろう。奏は自分に対してのみストイックだが、永久は自分と同じくらい周りに対してもストイックだった。平然と人の限界を拡張するようなリクエストを出して去っていく。


「奏吾、やるわよ」


 もう一人のストイック魔神、彩音の監視下でひたすらベースに手を叩きつけ続ける時間が始まる。上物の三人は何やら集まってひそひそ話を始めた。


 彩音はまだしも、僕は完全に脇役扱いだ。「ベースは音圧稼ぎ」という煽り文句が頭をよぎるが、心を無にしてスラップの修行に励む。


 三十分もすると構成が固まったようで、永久、千弦、奏の会議は解散となった。準備に時間がかかるらしく、今日は奏の方の新曲を詰めていくことになった。


『宝物』はゆったり目な曲調ということもあって、永久のロックナンバーという激辛インドカレーと伴に出されるラッシーのような存在になった。この二曲を交互に練習するのであればなんとか精神のバランスを保てそうだ。


 手慣れた様子で奏が譜面と音源を配っている。永久の丸投げスタイルの後なので、奏の優しさが胸に染みる。


「はい、奏吾くん。どうぞ」


 奏から譜面を受け取る時に手が触れ合う。奏も何かに驚いたように譜面の入ったファイルを落としてしまい、床に紙が散らばる。


「ありゃ、ごめんごめん。私が拾うから」


 奏が屈んで譜面を拾い始めたので僕も手伝うために屈む。最後の一枚を拾おうとした時にまた奏の指に触れてしまった。


 事ここに至ってから気づいてしまったのだが、人は制限されればされるほど燃えてしまう性分らしい。笑ってはいけない、笑うとお仕置きなんて企画もあるように、抑圧されている時ほど不意打ちに弱くなる。


 僕も同じで、奏に恋をするな、触れるなと思えば思うほど、気持ちがメラメラと燃え上がってしまう。だから、不意に手が触れただけでも自分の頬が一気に赤くなったのがありありと分かる。顔が熱を帯びていく。


 奏も触れた手をずっと見つめていて、一向に僕が渡している書類を受け取ろうとしない。奏が僕の方を向いてきたので二人で見つめ合う。今は皆がいるので覆面を脱ぐ訳にはいかない。それでも覆面の隙間から、気持ちが液体のように漏れ出てしまうのだ。


「うぉーい! そこ! イチャイチャすんなー! 文化祭のジンクスにまんまとやられてんぞ! また先生に怒られたいのか!」


 僕達の逢瀬を遮ったのは永久だった。永久の声で我に返る。千弦も彩音も、僕達の間に割り込んできた永久も「やれやれ」といった感じで笑っており本気で怒っている訳ではないみたいだ。


「あはは……林間学校の話って結構広まってるんだね」


 奏が苦笑いで頭を掻きながら立ち上がる。


 林間学校で、僕と奏が誰もいない練習スタジオ用の棟で一夜を過ごした事はあっという間に校内に広まった。文化祭のジンクスの件と相まって格好のゴシップネタだったのだ。


「永久ったら、金閣寺の前で叫んでましたからね。『やられた!』って」


「それ言うなって! 他の観光客にすげぇ目で見られたんだからな」


「そんなすぐに広まってたんだ……」


 彩音が嬉々としてチクるとは思えないので他の生徒のSNS経由だろう。


「まぁ、あそこは警備員の爺さんがちょっとボケてるからな。実は私も一度閉じ込められたことがあるんだ。遊びに入っただけなのに災難だったよな」


 本当に遊んでいただけだと思っているのかは分からないが、永久が自分のエピソードと絡めてフォローしてくれる。何ならこのエピソードも本物なのか怪しい。


 永久のフォローもあって皆の注目もすぐに解けて練習に戻る。永久の方をチラリと見ると、僕の目線に気づいたようだ。穏やかな表情で僕を見てくる。


 最近、永久はよくこんな顔をする。海で見た千弦の横顔を彷彿とさせる悲しげな顔だ。それに前のようにガハハと笑うことも少なくなった。


 それも気のせいだったのか、すぐにニィと口を横に引いて笑い、「助けてやったんだから後でコーラでも奢れよ」と言いたげなウィンクを僕にしてきたのだった。

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