第71話 林間学校③

「奏が蓮にお願いして、トワイライトをクビにさせたの? 皆はこの事を知ってたの?」


「全部を知っているのは私だけだよ。永久にはちょっとだけ口裏を合わせてもらったけどね。でも仕組んだのは私」


 奏は悪びれずにそう言う。


「高校に入学してすぐくらいにね、恭平さんが大学を留年しかけて、今年は本当にヤバイって永久が言ってたの。言ってたっていうか、最初は恭平さんから無理やり聞き出したんだけどね。永久はそういうの隠すから。とにかく、恭平さんの代わりが急ぎで必要だったの」


 恭平が留年しそうだという話はサクシに加入することになった日に聞いた記憶がある。でも、僕はたまたまそこに居合わせただけで、加入したのは偶然だと思っていた。それが、仕組まれたものだったということらしい。


「奏吾くんの腕はBBCでライブに出てるのを見たことがあったから知ってた。それにクラスでもよく話すから、サクシが大好きな事もね」


「そ……それなら、最初から素直に誘ってくれれば良かったんじゃないの」


「いきなり、私はあなたが大ファンの覆面バンドのメンバーです。一緒にやりましょうって言って信じてくれた? トワイライトを辞めてまで、サクシに来てくれた? 来てくれたとして、プレッシャーで潰れなかった?」


 確かに、いきなり言われても信じられなかっただろう。永久や千弦のギターを見て、皆とセッションをしてやっと本物なのだと思った。そういう意味では奏にいきなり音楽室に連れて行かれても良かった。


 ただ、トワイライトをすぐに抜けると決心できていたかは分からない。追い出されたから愛着が湧きづらいだけで、当時は僕なりに愛を持って頑張っていた。


 加入が決まった後はトワイライトをクビになった直後だったのでがむしゃらに練習に取り組んだ。僕の居場所だと思ったから。確かに、二足のわらじでやっていけるほど甘い世界ではなかったと思う。


 僕の様子を見て、奏は自分の問の回答が「ノー」だと察したらしい。


「ほらね。正規で、専属でやってくれる人が良かったの。それも、飛び切り上手くて、センスがあって、背丈も恭平さんと似ていて。奏吾くんを見つけた時は運命だと思ったよ」


「で……でも、蓮をけしかけてまで追い出さなくても……」


「蓮君に『サクシのベースにしたいから奏吾くんをください』なんて言えないからね。なぜか正体はバレちゃってたけどさ」


 奏の話を聞いてあの日、つまり、トワイライトを抜けてサクシに加入した日に起こった事がパズルのように噛み合っていく。


 あの日、トワイライトの練習は音楽室でやる予定だったので、ベースを事前に音楽室に置いていた。それが練習時間の直前に部室に変更になったのだ。緊急ミーティングなので楽器を持たずにすぐに来い、と蓮に言われた。


 あれは、部室でトワイライトから追い出した後、スムーズに音楽室に僕を誘導するための仕込みだったのではないか。事実、ベースを取りに向かうと音楽室に近づくに連れて、奏の弾くギターの音に釣られていった。


 音楽室にはこれみよがしに永久と千弦のギターが置いてあった。奏も歯切れの悪い回答を続けていたのでかなり怪しんでしまった。


 僕が奏の事を怪しみだした後、永久も音楽室に入ってくる時、わざとらしく奏の事をサクシの「ケイ」だと呼んでいた。僕が加入してから一度もそんな呼び間違えをした事はない。そもそも、身バレを誰よりも恐れている永久がそんな不用意な事をするはずがないのだ。


 二人が裏で共謀していたら、あんな風に偶然を装って正体を明かすことも簡単だろう。


 彩音が脅迫犯の話をして引き止めたのは計算外だっただろうが、まんまと僕は奏の策略でトワイライトをクビになり、サクシに専属で加入する事になった。


 それでも、あのままトワイライトで続けていたよりも確実に成長はできたし楽しかった。奏や皆と仲良くなれた。友達、いや、仲間ができた。だから、トワイライトをクビになるよう根回しをした事について奏を責める気にはなれない。


 それでもひとつだけ腑に落ちない事がある。なぜ、落ち着いた頃にその事を教えてくれなかったのか。


「なんで……ずっと教えてくれなかったの? ほとぼりが冷めたくらいでネタバラシしてくれても良かったんじゃないかな」


 無茶苦茶な引き抜きをかけたことは何とも思わない。それでも、どこかで教えてくれても良かったじゃないか、と思ってしまう。そうすれば、蓮とも和解出来た。海斗は追い出す事を依頼されていないので、全部本音で言ってたのだろうから、和解は無理だろうけど。


「そうだよね。ごめんね、ずっと黙ってて。脅迫メールを送った後の永久の気持ちがよく分かるんだ。一回嘘をついちゃうと、もうダメなの。大事な人に嘘をついた、裏切ったって事実がずっと残っちゃって……どうしても……言えなかった」


 奏はその言葉を最後に顔を手で覆い泣き崩れる。僕だって奏を責めたい訳じゃない。それに、謝罪を求めるほど大した事をされたと思っていない。


 結果だけを見れば、むしろ僕にとっては良い事をしてくれた。サクシにとっても専属のベースが見つかったのだし悪い話ではない。永久の脅迫メールよりもよっぽど軽い事案だ。


 それでも僕には、好きな人に裏切られたという事実が重くのしかかる。その重しは奏が泣き崩れてから僕の口をずっと塞いでいる。


 何か奏に言ってあげたいのに、口が動かない。これだとまるで、僕が奏に無言のプレッシャーをかけているみたいだ。


「何でもするから……永久みたいにコスプレでも良いよ。ここなら誰もいないし、防音だし、どんな事をしてくれてもいい。だから、バンドを抜けないで。私から離れないで。嫌わないで。行かないで。居なくならないで。お願い……お願いします」


 僕の沈黙に耐えきれなくなったのか、奏は自ら贖罪を申し出て僕に縋り付いてくる。そんな大層な事ではないのに。


 奏にここまで思い詰めさせてしまったのは自分だ。すぐに「気にしてないよ」と言って笑えば良かった。それが出来なかったから、奏は泣いてしまった。僕が泣かせてしまった。


 僕にも自制心はある。こんな状況でも、奏に思いっ切り触れたりする事は出来ない。奏の弱みに付け込んでいるし、バンドの今後にも関わるからだ。


 だから、そっと奏の頭を撫でた。


 奏は状況を理解できないようで、泣き腫らした目に戸惑いを露にする。


「気にしてないから。むしろ、僕をサクシに連れてきてくれてありがとう。すごく楽しい半年間だったよ」


「だった……」


 奏が敏感に言葉尻に反応する。


「あ、違うよ。バンドを抜けるつもりはないよ。辞めろって言われても居座るつもりだし。サクシに入ってからの半年間を振り返ってたんだ」


 目を瞑ると昨日の事のように風景が浮かぶ。


「大きなライブハウスやフェスのステージに立つ経験もしたし、ベースも上手くなった。奏や彩音、永久、千弦、恭平さん。皆とツアーを回って、喧嘩して、遊んで、文化祭に出て、奏が両親と和解した。何より、ずっと憧れていた奏の作る世界を間近で見れた。本当に楽しかったんだ」


 だから、感謝をしなければいけない。こんな機会をくれたのだから。


「奏、ありがとう」


 奏は僕の言葉を聞くと無言のまま立ち上がり、ピアノの前に移動する。髪の毛を下ろしていて顔にかかっているので表情は見えない。


 僕が凝視していると、ちらりとこちらを見て、立ったまま鍵盤を人差し指で押して単音を八つ鳴らした。


「どういたしまして、かな」


 奏はニッコリと笑ってクイズ番組の正解音のような高い音を鳴らす。


 楽しくなってきたのか、次は四つ、一拍空けて五つの単音を鳴らしている。だけど、文脈もなければヒントもないため、候補がありすぎて分からない。


「それは分かんないよ。難しすぎ」


「アハハ……そうだよね。部屋、戻ろっか」


 二人で並んで部屋を出る。来たときよりも軽やかな気持ちで階段を降り、唯一の出入り口の扉に手を掛ける。


 ガタン、と扉が開く事を拒んだ。内側の鍵は開いているのに、扉が開かない。


「あれ? おかしいなぁ」


 奏が何度か扉を押すと隙間から鈍いゴールド色に光る物が見えた。南京錠だ。


「もしかして……今日はもう誰も使わないから、外から鍵を掛けられちゃった?」


「あり得るね……どうしよう」


 僕の頭の中に「ジンクス」の四文字が浮かぶ。奏と二人っきりになる環境をジンクスが作り上げてしまったのではないかと直感する。どうやら本当に呪われてしまったらしい。

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