第70話 林間学校②
「話っていうのは、まあ……色々とね。奏ちゃん。文化祭の曲、聞いてくれた?」
「もちろんだよ! あのキーボードソロのコード進行、楽しいからよく弾いてるんだ」
実際、練習中も息抜きと称して蓮のキーボードソロを良く真似している。その度に胸がチクリと痛むのだが、八重歯を出して笑う奏は本当に楽しそうにあのソロを真似している。
「あれは……俺の気持ちなんだ。奏ちゃん! 昔、ピアノ教室で会った時から、ずっと好きでした。俺と付き合ってください」
彩音が息を呑む。いきなり目の前で告白タイムが始まったのだから無理もない。
僕はこの二人の組み合わせになった時点で覚悟はしていた。
とにかく奏の返事が気になって仕方がない。それなのに、奏は焦らすように何も答えない。
「そっか……そうだったんだ」
奏はイエスともノーとも言わない。早く結果を知りたいのに、わざとなのだろうか。顔が見えないので何を考えているのか全く想像がつかない。
また奏はしばらく考え込む。五分もすると答えは出たらしい。
「ごめんね。私はその気持ちに答えられないや。他に好きな人がいるから」
一瞬でもガッツポーズをしてしまった自分が情けない。恭平、海斗、勝田さん。とりあえず身の回りの男の顔を思い浮かべては違う、と切っていく。奏の好きな人とは一体誰なのだろう。女子もその範囲に含めると候補は無限に広がっていく。
「やっぱりあいつの事……奏吾の事はどうなんだ? 奏ちゃんの言う通りにバンドを辞めさせたけど、奏吾と仲良くなるためだったのか? 奏ちゃんってサクシのメンバーなんだよな? 奏吾もそうなのか?」
奏の好きな人の件も気になるけれど、それ以上に気になる話が出てきた。
蓮も振られたせいでパニックになっているのか、色々な質問を矢継ぎ早にぶつけている。僕も整理が追いつかない。
蓮の言葉を鵜呑みにするなら、トワイライトを追い出された一件は奏が裏で糸を引いていたらしい。それと、やはり蓮はサクシの正体を知っていた。奏の事だけ知っているようだが、何故気づいたのだろう。
「……ふ……ぶぇくし!」
どうせ出るにしても、もっと二人を泳がせて話を引き出してから出たかった。そんな僕の目論見を崩したのはすぐ横にいる彩音だった。おじさんみたいなくしゃみを押入れの中でかましたのだ。
「……え? 誰かいるの?」
足音が近づいてくる。あまりの緊迫感で彩音と手を握り合って緊張の瞬間を迎える。
引き戸が開け放たれた途端、光が眩しくて目を閉じる。
「嘘……そうだったんだ……」
奏の声とドタバタとした誰かの足音が聞こえる。しばらくすると、目が慣れてきた。目を開けるとそこにいたのは蓮だけだった。
押し入れを飛び出して彩音と二人で蓮を囲む。
「奏はどこ?」
「二人を見て出ていったよ」
蓮が扉の方を震える手で指差す。彩音はそんな事は構わないといった様子で蓮の胸ぐらを掴む。身長差のせいでうまく掴みきれていないので、あまり迫力はない。
「奏がサクシのメンバーだって事、なんで知ってるの? 言いなさい!」
「たまたまだよ。前にライブで一緒になってすれ違った時、奏ちゃんの匂いがしたんだ」
「は? 匂い?」
「匂いだよ。奏ちゃんの匂いがしたんだ」
「ふざけないで!」
「ふざけてないよ。奏ちゃんはいい匂いがするんだ。昔からね」
振られた事で茫然自失という感じだ。自分でも何を言っているのか分からないのだろう。蓮は生気のない顔でボソボソと呟く。
「はぁ……奏吾、コイツの事は私に任せて。奏吾は奏を追いかけて」
「で、でも……」
「いいのよ。コイツ、ちょっと振られたくらいで腑抜けちゃってさ。私はここで振られるのは慣れてるからね。ほら、シャキッとすんのよ」
彩音が背伸びをして蓮の頬をペシペシと叩く。
確かに彩音はここで恭平に振られてはいたけれど、部屋も違うし、そもそも振られるのに場所はあまり関係がない気がする。
彩音なりの気遣いだと思い、その場は彩音に任せて部屋を飛び出ようとすると、腕を掴んで引き止められた。
「え? 何?」
「外、寒いからこれ着ていきなさい」
彩音がどの男子のものかも分からないウィンドブレーカーを渡してくる。こういうところはお姉ちゃんという感じがして頼もしい。
ウィンドブレーカーを着て部屋から飛び出る。背後から「正体をバラしたら股間をツインペダルで潰す」なんて物騒な言葉が聞こえるけれど、彩音はそんな事をしない人だと信じている。
廊下に奏の足跡なんて残っている訳がないし、蓮のように匂いを辿ることもできない。廊下を右へ行ったのか左へ行ったのかすら分からない。
仕方がないので適当に館内をウロウロする。赤いカーペットを踏みしめる度に、何故、という気持ちが湧いては消えていく。
奏は何が目的だったのだろう。恋愛感情なんて脇に置いてしまうくらい、奏の事が信じられなくなってきた。恭平が留年しかかってサポートを辞めたがっていたのは事実だろう。後任とするために僕を引き抜いた。それならなぜその事を言ってくれなかったのか。
ぐるぐると思考が回るけれど、一向に答えは出ない。
宿泊用の棟から外に出る。山奥なので十一月でも外はかなり寒い。彩音にウィンドブレーカーを貰っていて助かった。
外にはこんな寒さにも負けていない元気な何人か生徒が居た。男女や女子同士のカップルがあちこちでイチャイチャしている。先生はこれを野放しにしていいのだろうか。きちんと不純異性交遊も不純同性交遊も取り締まってほしい。
リア充を尻目に歩いていると、練習スタジオがある棟の入り口に着いた。今日は僕達が泊まるので施設自体が貸し切りみたいなものでスタジオの利用はなく、予定表は真っ白だ。
それなのに、建物の中からかすかにピアノの音が聞こえた。これはサクシのギターソロのフレーズだ。サクシに加入することになった日、つまり、トワイライトをクビになった日の事を思い出す。
奏が呼んでいると直感した。鍵は開いていたので中に入り、非常口の明かりだけを頼りに暗い廊下を進む。それでも、何度もこの棟には練習で来たことがあるので、迷わずに進むことができる。
夜中の真っ暗な建物からピアノの音色が聞こえるなんて、本来ならすぐに引き返すシチュエーションなのに、今は探検家になった気分でサクシの練習でよく使うスタジオに向かう。
二階の一番奥にあるスタジオ、そこだけボンヤリと明かりがついていた。ピアノの音も近づくにつれて徐々に大きくなっていく。
スタジオの中、髪の毛を下ろして部屋着姿の奏がピアノを弾いていた。見慣れた姿なのだが、半袖シャツにジャージの部屋着姿を見慣れているのは、今日この施設にいる男子の中でも僕だけだと言うことに優越感を覚える。それくらい、部屋着姿の奏は可愛かった。薄暗いからそう錯覚しただけかもしれない。
部屋の入口に立っている僕を見つけると、ピアノを弾く手を止めて僕を部屋の中へ誘ってくる。防音の部屋の中へ入り、扉を閉める。誰かが後をつけてきていても話は聞かれないはずだ。奏もそのことを察したようで、妖しく微笑むと僕に近づいてきた。
「やっほ。二人きりだね」
奏はいつもの調子を崩さずに話しかけてくる。その様子が逆に不気味だ。
「奏、なんで逃げたの?」
「あはは……まさかあんなところで奏吾くんと彩音が乳繰り合ってると思わなくてさ」
奏は冗談めかして笑う。僕は真面目な話をしにきたのに、それを躱すかのようだ。
「そんな関係じゃないよ。部屋で匿ってたら誰か入ってきたから慌てて隠れただけだから」
「うん。知ってるよ」
「じゃあ、なんで逃げたの?」
奏は何も言わず、眉毛を下げて困ったように頬をかく。そのまま一人で防音室の中をウロウロしだした。ピアノのボディの曲線をなぞってみたり、ホワイトボードマーカーの写りを確認したり、緊張をほぐすために色々としているみたいだ。
「私もお縄につく時が来ましたなぁ……」
覚悟を決めたようにそう言うと、奏はなんでも聞いてくれとばかりに両手を上に挙げた。
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