第69話 林間学校①

 気がつけば夏の残り香もどこへやら、十一月となった。


 奏の父親の直樹さんは家で仕事を続けようとしているらしい。絶賛スランプ中だが幸せな状態でスランプを乗り越えるつもりのようだ。


 母親の宏子さんはたまに顔を出すらしいが、青木さんを見るとすぐに出て行ってしまうそうだ。和泉家の雪解けはまだ始まったばかりだった。


 そんなひと悶着あった文化祭が終わると、一息つく間もなく中間テストが待ち受けていた。


 奏は学年トップの座を今回も守り抜いた。僕や彩音に勉強を教えながら、自分の分まで完璧にこなしている。チートでも使っているんじゃないかと思う程に脳みその作りの違いを思い知らされた。


 テストが終わると、今度は一年生皆が林間学校に連れていかれる。永久と千弦も含む二年生は修学旅行で関西方面に旅立つ。よって、サクシのバンド活動は少しだけお休みだ。


 林間学校はなぜか今年から導入されたイベントなのだが、数少ない男子だけが詰め込まれたマイクロバスに乗ると、先生がその趣旨を説明をしてくれた。


 この学校には男女混合で引率するノウハウが無いのだ。来年に控えている僕たちの修学旅行のシミュレーションも兼ねて、宿泊を伴うイベントを盛り込んだ、という背景があるらしい。


 つまり先生達からすれば『問題を起こさずにさっさと寝てくれ』というのが僕たちに求めていることだ。もちろん、問題を起こさずに過ごそうだなんてマイクロバスにいる男軍団は誰も思っていない。むしろ問題を起こした方が来年以降の参考になるのだから。


 誰かの雄たけびに合わせて、全員が声を合わせる。物凄い団結力だった。


 先生もその様子を見て何かを察したのか、深いため息をついて眠りに入ってしまった。





 到着した会場はバンドの合宿でよく利用する施設だった。宿泊施設としても設備が充実しているので白羽の矢が立ったのだろう。


 クラスで集合した際に、奏と彩音が「やれやれ」という顔をしていた。ここに泊まると夜通し続く辛い練習の日々を思い出してしまうからだ。


 夕飯のカレー作りもトラブルなく終わった。強いて言うなら海斗がやたらと彩音に絡みに来ていたくらいだろう。彩音は眉一つ動かさずに塩対応に徹していたのは流石だと思う。


 あれよあれよという間に風呂を済ませ、夜の自由時間となった。男子が泊まる大部屋は「何か奇跡よ起これ」と祈りを捧げる会場となっている。


 先生達は形だけ注意をすると、すぐに部屋に戻って寝てしまった。先生とはいえ労働者なので、寝ずの番はしないらしい。


 看守のいなくなった畳張りの牢獄からの脱出タイミングを伺いながらも、男子達の話題は当然恋愛話。数多くいる女子の中で誰が気になるか。それが話題の中心だ。


 同級生に彼女がいると初出しした人は全員から枕を投げつけられる刑を執行されていた。男子人気の高い奏の家に泊まったなんて言おうものなら八つ裂きにされかねない空気を感じ取る。


 それはそれとしてリア充は憎いため、奏との事は秘密にした上で僕も枕を投げる側に回った。


 それからも、やれ誰の胸がでかいだの、休みの日に男と歩いているのを見ただの、先生とあの女子がやたらと仲が良いだのとゴシップを持ち寄りあう。


 男子だけで集まる機会はほとんどなかったので、こうやって団結が深まっていくのだと思っていると、話題は彩音と奏の二人に移っていった。なんだかんだで人気が高い二人らしい。奏の人気は当然だが、彩音も人気が高いとは、いつも一緒にいるのに気が付かなかった。


「奏吾、あの二人とバンドやってたよな? どうなんだよ。二人とも彼氏とかいるのか? 教えろよ」


 海斗が過去の件をすっかり忘れたようなニヤニヤ顔で聞いてくる。とはいえここで空気を悪くするのも忍びないので僕も過去のわだかまりを一時的に捨てる。蓮も僕が何か情報を持っていないかと固唾をのんで口を開くのを待っているようだ。


「二人ともいないんじゃないかな。そういう話は聞いてないよ」


 全員が安堵の声を出す。奏については僕も確認したいところではあるが、今はフリーのはずだ。


 二人のフリー宣言を受けて、誰が最初に脱獄に挑戦するのか、という空気が流れ始めた。一人が行ったら後は雪崩のように全員が続きそうだ。


「俺、行ってこようかな」


 最初にこの監獄からの脱獄を決意したのは海斗だった。行先はもちろん彩音のところだろう。日中はずっと塩対応をされていたのにめげないメンタルは尊敬に値する。


 一人で部屋の出口から顔をのぞかせ、先生たちがいない事を確認したらスッと廊下に出て行った。全員でドアから海斗の雄姿を見届ける。女子は別の階に部屋があるので、階段のところで見えなくなってしまった。


「俺も行こうかな」


「お、俺も!」


 雪崩が始まった。あっという間に僕と蓮を残して男子連中が女子の部屋めがけて突撃していく。さっきまでの盛り上がりが噓のように、畳張りの部屋は静寂に包まれた。


「奏吾はどこか行かないのか?」


 蓮が気まずそうに聞いてくる。


「どうしようかな……あんまり仲が良い人もいないしね」


 これは本当の話。話せる人は奏と彩音、それか日山さんと熊谷さんくらいだ。一応元バンドメンバーだし芽衣子もいた。


「そういえば、芽衣子とはどうなったの?」


「あぁ。別れたよ」


 やはり奏への思いを捨てきれなかった、という事なのだろう。


「それでバンドを一緒にやってるってすごいね」


「まぁ……割り切ってるからな。それはそれ。これはこれだよ」


 サクシもそういう考え方が出来る人達だったらどれだけ良いだろう。いや、皆はリスクを最小化しているだけだ。蓮と芽衣子は割り切っていると言ってはいるが、爆弾が埋まっている事に変わりはない。


「あの……文化祭の曲あったじゃんか。あれって蓮が作ったの?」


「ん? そうだぞ。何ていうのかな……作曲にフラストレーションをぶつけてみたんだ。そしたら、出来た」


 なんてこと無かったかのように言っているが、フラストレーションの源泉は僕だったのではないかと胸がざわつく。


 日山さんや熊谷さんが彩音に謝ったように僕も蓮に謝りたい。でも、なんと言って謝ればいいのだろう。『マウントを取ってごめん』『奏と二人で過ごしてごめん』『気になってる事を知った上であんな事を言ってごめん』。どれも嫌味たらしい言い方になってしまう。


「あの……フラストレーションって……僕のせいかな。奏と……その……二人で練習したりしてたから」


 蓮はポカンとした顔で僕を見てくる。だが、すぐに大きな声で笑い始めた。


「ハハ! なんだよそれ。そんな訳無いだろ。そりゃ少しは嫉妬したけど、それでどうにかなる事でもないしな。恋愛だけじゃなくても、色々悪い方向に考えちゃう時ってあるだろ? そういう時に鍵盤に向かうと不思議とアイディアが湧いてくるんだよ」


「す……すごいね。でも……ごめんなさい。あんなこと言って」


 日山さんや熊谷さんのように格好良くは謝れなかった。


「ありがとな。でも、本当に気にすんなよ。あ、俺もちょっと行ってくるわ」


 蓮は僕の背中を叩きながらそう言うと部屋を出て行ってしまった。


 蓮は奏のところに向かったのだろう。他の男子も行っているのだろうか。僕も行かないと後悔する事にはならないだろうか。


 広い部屋にポツンと一人が取り残される。窓から聞こえる女子部屋からの笑い声だけが男子部屋に響く。


 花が咲き誇る女の園ではなく、動物園のような女子部屋からの喧騒に耳を傾ける。内容は分からないが、なんとも楽しそうだ。


 そんないかにも斜に構えた陰キャのような一時はノックの音によって破られた。


 鍵なんてかけていないので勝手に入ってくれば良いのにと思いながらドアを開くと、彩音が一人で立っていた。走っていたのか息も上がっているし、前髪も汗でおでこに張り付いている。


「奏吾! ここって他に誰かいる?」


「だ……誰もいないよ」


「ナイス! ちょっと隠れさせてね」


 彩音はそれだけ言うと部屋にズカズカと入ってきて、布団を収納していた押し入れの中に隠れてしまった。襖越しに彩音と話す。


「どうしたの?」


「どうしたもこうしたもないわよ。私と奏の部屋に男子が押し寄せてきたの。奏が囲まれている隙に私だけ逃がしてくれたって訳。館内のつくりは誰よりも詳しいからね」


 伊達にここでバンド合宿をしていないということだ。裏道や非常口を使いこなせば、男子、というか海斗を撒くのは容易だっただろう。


 それにしても皆、奏と彩音のフリー宣言を受けて行くところが被るなんて面白いと思った。


「奏は大丈夫なの?」


「多分ね。女子部屋に逃げ込んだから、ほとぼりが冷めたら合流しようかしら」


 一度はそれだけ追われる立場になってみたいと思うが、これはこれで大変そうだ。


 一息ついたタイミングで、廊下から誰かの話し声が聞こえてきた。男子部屋の扉が開けられた音がする。


 彩音がいるとバレたらまたここが戦場になってしまう。パニックになってしまい、僕も押し入れに隠れる。


 意外と布団が中に残っていて、押し入れの中は二人でギリギリという感じで、ぎゅうぎゅう詰めだ。彩音が小柄で助かった。


「なんでアンタまで入ってくんのよ!」


「確かに……ここって男子部屋だったね」


「はぁ……もうここを開けるとバレちゃうでしょ。このまま嵐が過ぎるのを待つしかないわね」


 その通りで、声の主はこの部屋に入ってきていた。蓮と誰か女子が話している。


「誰もいないよ。どうぞ」


 蓮が女子を呼んでいる。二人っきりで話をするらしい。女子は部屋に入るなり鍵をかけたようだ。ガチャリと音が鳴る。


「おっぱじめないでよ……お願いだから……」


 彩音が小さく呟く。同級生同士がここで何かを始めてしまったら目も当てられない。押し入れの中からその声を聞かされる僕と彩音の気まずさたるや、親と見ているテレビでの不意打ちのお色気シーンにも勝る。息を殺して二人の話に耳を澄ます。


「蓮君。話って何かな?」


 体に電撃が走った。声の主は、奏だった。

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