第64話 文化祭④

 次の日、体育館に皆で集合した。バンドのリハーサルのためだ。各々が楽器やアンプの近くでセッティングの最終確認をしている。


「奏、そういえば両親は見に来てくれるのか?」


 永久が奏に確認している。今日のバンド演奏の目的は二つある。一つはトワイライトに勝利して憂さ晴らしをすること、もう一つは奏のオリジナル曲を奏の両親に聞かせて奏の存在を認めてもらう事だ。


「うん。声はかけたし、行くって言ってくれたから大丈夫だと思うよ」


「なら安心だな。思い切ってブチかまそうぜ」


 永久がサムズアップを奏に向かって突き出している。奏も笑顔でサムズアップを返す。下手に緊張するよりはこのくらいの空気の方が良いのだろう。


 リハーサルとして少し合わせたが、演奏は完璧。歌も申し分ないレベルだった。


「おーい! いい感じだね。最後の曲、これっきりなのかい? うちでレコーディングしなよ」


 勝田さんの店が文化祭の音響を担当している。発注したのは永久なのでそこはかとないズブズブな癒着を見てしまった感じがしている。この街にはライブハウスが少ないので他に当てがあるかと言われれば難しいところではあるが。


「『青い黄昏』ですか? これっきりですよ。今日のために生まれてくれた曲なんです」


 曲名は奏の希望通り『青い黄昏』となった。奏の思い入れは人一倍だろう。長年苦しんできた両親との軋轢を解消するまたとない機会、そのために生まれたような曲なのだから。


 ステージ上ではトワイライトがリハーサルを始めている。夏休みに相当特訓したことが伺える音だった。僕がいた時よりも、全員スキルアップしていることがよく分かる。


「彼ら、成長したんだよねぇ。毎日スタジオに籠もってたんだ」


 勝田さんも若い才能が伸びている様子を噛み締めている。それでも負ける気はしない。僕達はこのメンバーで夏休みの間、厳しいツアー日程を乗り越えてきたのだから。場数が違うのだ。


 リハーサルが終わったところで、生徒達が体育館に集まってきた。文化祭二日目の始まりだ。いきなりバンドステージから始まるので、今日の文化祭そのものの盛り上がりも僕達にかかっている。




 ステージ脇でトワイライトの演奏が始まるのを待つ。もうすぐで幕が上がる。いよいよバンドバトルの開始だ。


「いよいよだな。音源聞いたけど、結構良かったよな」


 ハードロック寄りな曲が多いので永久は好きな方だろう。他の三人はあまり色よい反応を示さない。


 それはトワイライトの演奏が始まってからも変わらなかった。一曲目、二曲目と演奏していくにつれ、皆の顔に余裕が出てきた。これなら勝てる、と思っているようだ。


 単純に個の力で見てもこちらの方が上手い。もちろん集団の力では圧倒的だ。負ける要素がない。


 だが、最後の曲の演奏が始まった途端、その空気がガラリと変わる。


 海斗が絶対に嫌っていそうなクリーンな音色のギター。一昔前を彷彿とさせるダンサブルなリズム。そして、精緻に細かな拍子でもブレずに噛み合う四人の音。どれをとってもこれまでのトワイライトとはかけ離れている。


 観客となっている生徒達も申し訳程度に手を上げて盛り上がったりはしていたが、この曲になった途端、生徒の顔がパァッと笑顔になった。それだけではなく、先生たちも体を横に揺らして踊り始めた。僕も不思議と体が動いてしまう。


 いきなり銀河を旅する宇宙旅行に連れてこられた気分だ。ふわふわと無重力空間を漂う宇宙船の中は数え切れないほどの赤や緑のランプとスイッチ、それと用途も分からない計器類でびっしりと埋め尽くされている。歴史の教科書で見たアポロ11号の船内を彷彿とさせる光景だ。


 乗り込んでいるのは、決して最新の宇宙船ではない。なぜなら、この曲は自分の親世代、あるいはもっと前の流行りの影響を大きく受けているからだ。その時代なりの良さを残しつつ、僕達の世代にも受ける形にアレンジをしている。


「これ……すごいね」


 奏が最初に言葉を発した。目を見開いている。それほどまでに、この曲の衝撃はすごい。これまでの曲は全て前座だったと思わされる。それくらいまで、この最後の曲にすべてを詰め込んできたという事が分かる。


「音源には無かったよな。最近作った曲なのかな」


「どうなんでしょう。これまでの曲の中だと一番完成度は高いですけどね」


 急な強敵の出現に驚きながらも、皆で曲の成り行きを見守る。


 ギター、ベース、ドラムとソロを繋いでいき、蓮のキーボードソロが回ってきた。音色はピアノではなく、シンセサイザーらしい電子的なモニョモニョとした音を使っている。FM音源と言うのだろうか。音色も少し古臭いのだが、その古臭さが逆に新しい。


 蓮はこれまでに見た事がないほどの笑顔でリズミカルに鍵盤を叩く。その目線は鍵盤ではなく、ステージ脇で見守る奏に注がれている。


 そのことに気づいた途端、キーボードから流れてくる音は隕石のように僕達の方に向かって来てきた。僕の隣に立っている奏に音が突き刺さる。奏はこの曲が始まったときから微動だにせず聞き惚れていた。僕が気づく前から蓮の気持ちが刺さっていたようだ。


 綺麗にアルペジオをなぞる形のフレーズの次は、キーボードとドラムの掛け合い。蓮と芽衣子の息のあった音と振動のぶつかり合いが繰り広げられる。まだ蓮のソロは終わらない。この後に何か大きな怪物が控えている。そんな気配を感じさせる展開だ。


 僕の予感は大当たりした。ドラムの掛け合いの次の展開、やっている事は至極単純。リズムをつけてコードを弾く。つまり、同時にいくつかの鍵を押さえる。ただそれだけだ。それなのに、多幸感に包まれる綺麗な和音を奏でている。こんな綺麗な音の組み合わせがあるのか。


 やることがなくて暇そうな海斗とベースの櫻井さんはステージ上で回転しながら踊っている。ステージング一つとっても、笑顔で楽しそうな雰囲気。これまでのダークな世界観とは一変している。


 これは、蓮が奏のために作った曲だと気づいた。考えたくはないけれど、僕の発言がきっかけになったのだとしたら、こんな名曲を生み出すきっかけを作った功も、そこまでのプレッシャーをかけてしまった罪も大きいと思った。


 奏以外の三人は対戦相手であることも忘れて、両手を挙げて横ノリで踊っている。こんなに幸せな音楽なのに、横にいる奏は悔しそうな顔をして親指の爪を噛んでいた。


 多分、蓮が奏にして欲しかったのはそんな顔ではないはずだ。勝手に体が動く。幸せな音を求めてどこまでも宇宙空間をさまよう。そんな風になって欲しかったはずなのに、奏は地に足をつけて、爪を噛んでいる。


 奏は蓮のソロが終わるとステージ脇の奥に置いてあるキーボードに走り寄って、今のソロの耳コピを始めた。


「奏、後にしようよ。これが終わったらすぐに出番だし、後で蓮に聞いてみればいいじゃんか」


 トワイライトの演奏に夢中になっている三人を尻目に奏を諌める。


「あんなの……お父さんが……お母さんが聞いてるのに……また比較されちゃう……どうしたらいいの!」


 サクシ結成の原因ともなった苦い思い出。奏が飛び入りで参加したジャズセッションで、父親は奏ではなく彩音を褒めた。今度も同じように蓮に目が向くのではないかと恐れているのだろう。


 奏は鍵盤に手を何度も叩きつける。ステージの爆音で他のメンバーは奏の絶叫も機材に当たった事も気づいていないみたいだ。


 短時間で感情が高ぶった奏を落ち着かせるには良い方法が一つしか思いつかない。他の三人がステージに釘付けになっているのを確認して、奏を後ろから抱きしめる。フワッと奏の部屋の匂いがした。


「大丈夫。奏の作曲も演奏も勝ってる。落ち着いて演れば、絶対に負けないから」


 本質的には奏の件は勝ち負けがあるような問題ではない。それでも、奏の頭の中ではそういう問題に置き換わってしまっている。とにかく、落ち着いてやるしかないのだ。歌にも演奏にも、心の乱れが出てしまうのだから。


 奏は肩当たりにある僕の手をギュッと握り返してくれた。昂りの頂上は超えたらしい。


「そのくらいにしとけよ」


 囁くような声にびっくりして振り返るといつの間にか背後に永久が立っていた。慌てて奏から離れると、ニコニコと笑ってまた踊っている彩音と千弦の方に行ってしまった。


 永久は僕が奏に触れたことに怒ってはいないみたいだった。緊急事態だった事を察してくれたのかもしれない。


 丁度トワイライトの最後の曲が終わった。宇宙船がバラバラに砕けるように、音の階段を一気に下っていく。とても細かいフレーズを一糸乱れずに全員で合わせている。誰も最後の一音まで気を抜いていなかった。


 自分と向き合う事に集中していた奏は何度か深呼吸をして振り返ってくる。


「奏吾くん、ありがと。じゃ、いっちょやりますぞ!」


 いつものように八重歯をむき出しにしてニカッと笑う奏を見て、心のトキメキを止められる訳がなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る