第34話 ツアー④
目的地の橋はまだまだ遠いので二人で歩いていくことにした。
「そういえば何でこんな暑い日に外を歩いてたんだよ」
「それは永久も同じでしょ」
「言えてるわ」
ガハハと大きく永久が笑う。
「ちょっとモヤモヤしてたんだ。恭平さんにそういう時は散歩するのがいいってアドバイスされてさ」
「なんだ。何か悩みでもあるのか?」
「うーん……まぁあるっちゃ……あるかな」
「ほれほれ。永久お姉さんに言ってみな」
僕の顔を覗き込むように永久が話しかけてくる。何を言っても笑うか根性論で返ってきそうなので、相談をしても実りがあるのか不安になってしまう相手だ。
一応、ダメ元で話だけしてみることにした。
「なんかこう、ユキという名前が重たいというか……今日のライブの歓声も恭平に向けられたものだったはずなのに、僕がもらっていいのかなって思っちゃって」
想定問答としては「そんな事でクヨクヨしてんじゃねぇよ」と言いながら背中をバンバンと叩かれて、僕も「ですよね」と呟いて終わる予定だった。だが、永久は思ったよりも真剣に考え込み始めた。
「奏吾、お前は何のためにバンドやってんだ?」
真面目な話になりそうだと思ったのか、永久が僕に質問をしながら近くにあるベンチに近寄っていって腰掛ける。僕も後について横に腰掛けた。
なぜバンド活動をしているのか。改めて聞かれると何故なのだろうと思ってしまう。トワイライトは部活動の延長のつもりでやっていたけれど、サクシに入ってからの活動は部活の域を超えている。
サクシは巻き込まれ気味に加入した経緯があるので、強い想いを持って何かをしてきた訳ではない。むしろ、永久や奏が敷いてくれたレールの上を粛々と進んできただけだ。
軽い気持ちで相談してみたところが、意外と本質的な議論になってしまった。
「なんでだろう……」
「何でもいいんだよ。モテたいでも、ファンの女食いまくりたいでも、演奏が楽しいでも、目立ちたいでも。何かしらのモチベーションがないから重たく感じるんじゃないのか?」
ユキに憧れてベースを始めた。ベースを弾いているうちに、僕が憧れのその人自身になってしまった。次に僕はどこを目指すべきなのか迷子になっていると永久は言いたいのだろう。
「僕が……塗り替えればいいのかな。ユキっていう存在を」
「それいいじゃねえか! お兄ちゃんなんて簡単に超えちまえよ。今もらってる声援なんてクソ食らえ、これからのユキを見ろってくらいの気概でやってれば気持ちも楽になるんじゃないのか? 私の感想だけどな」
街灯に照らされて永久がニカッと笑う。
結局のところ、自分の中で折り合いをどうつけるかというだけの問題なので、自分で納得できるか否かが大事で正否はないのだろう。
永久は何をモチベーションに活動しているのだろうかと気になってくる。
会計やスケジュール調整のような裏方はほとんど永久がやってくれている。僕達は相談されることはあっても、まるっと仕事を振られることはない。
奏は両親を見返す、彩音は家計を助けるためにやっていると言っていた。同じように強い想いを持って活動しているのではないかと思うと、知りたくなってくるのが人間の性だ。
「永久は何がモチベーションなの? 雑用みたいなことも進んでやってくれてるじゃんか。すごいなって思って」
「あー……まぁ色々と、な。改めてこんな話するのって恥ずかしいじゃんか」
ちゃっかりと濁されてしまう。
「別に笑ったりしないよ。僕の話だって真面目に聞いてくれたじゃん」
「そっか。じゃ、歩きながら話すか」
永久がベンチから立ち上がってまた橋に向かって歩き出す。街灯の真下ではなくなったので、暗くて永久の顔が見えづらい。話す時の顔を見られたくなかったのだろう。
「そもそもどうやってサクシを結成したかって奏から聞いてるのか?」
「聞いてるよ。千弦のお母さんのお店で出会ったんだよね」
「奏のやつ、なんでも話してるんだな」
「何でもじゃないと思うけど……」
奏にはそこそこ信用されているのだろう。色々と身の上話も聞かせてくれたこともある。少し扱いが雑なときもあるがそういう人なのだと割り切っている。
「確か、永久達がお店で演奏している時に奏が来て、永久から誘ったんだっけ?」
「そうだけど……大分省略されてんな。さては奏、自分の恥ずかしい所は全カットしやがったな」
「恥ずかしい所?」
永久がクククと笑っている。本人のいないところで聞いていい話なのか分からないが、永久の様子だとそこまでセンシティブな話ではないのだろう。
「奏さ、いきなりステージに飛び入りで入ってきたんだよ」
◆
退屈なジャズの演奏が終わった。演奏は退屈だけど、千弦や彩音と一緒にやれる暇つぶしはこれくらいなのだ。テレビゲームだと千弦が弱すぎるし、ババ抜きは散々やったので飽きた。
もっとロックな曲を弾きたいけれど、『ジョニー・ビー・グッド』でテンションを上げすぎたマーティのようになりたくない。ここで速弾きを披露してもあの映画のワンシーンのようにドン引きした目で見られるだけだ。
「ねぇ。私も弾いてみたいんだけど、ピアノ代わってくれない?」
知らない女の子がステージに近づいて来てそう言う。千弦は「どうぞ」とにこやかに席を譲るが大丈夫なのだろうか。
「何やる?」
女の子が椅子の高さを調整しながら聞いてくる。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンって分かるかな? キーはCだよ」
千弦のお父さんが優しく語りかけている。
飛び入りしてくるくらいだし知識にも腕にも自信があるのだろう。女の子はすぐに頷いて準備を終わらせた。
彩音のフォーカウントから演奏が始まった。
飛び入りしてきた女の子は確かに上手い。アドリブも完璧、間に差し込むオカズもユニークながら不自然すぎない。
だけど、何かが足りない。「何か」と曖昧な言葉で片付けるのは嫌いなのだが、うまく言い表すことが出来ないモヤモヤが残る演奏だった。
客席からは拍手喝采だった。中学生くらいの女の子が飛び入りで参加したクオリティではないのは確かだったから当然だろう。
女の子は演奏が終わるなり、席に戻って父親らしき人に話しかけている。だが、すぐに走ってトイレに駆け込んでいった。ただ事ではない雰囲気を感じ取り、私もトイレについていく。
扉を開けると、女の子は鏡で自分を睨みつけていた。鬼の形相と言うべきなのか、ありとあらゆる負の感情が混じり合った顔をしている。
「あ……あの、さっきの演奏すごかったね。ピアノ習ってるの?」
「どっちでもいいでしょ。何かあなたに関係あるの?」
「関係というか……気になったんだよ。上手いのに、何かが足りない感じがしてさ」
女の子はハッと目を見開く。やがて顔を歪めてボロボロと泣き始めた。
「お、おいおい。泣くことないだろ。ごめんって。貶すつもりじゃなかったんだ」
「わ……分かるよ……私……お父さんにも言われたから」
女の子は泣きながら身の上を話してくれた。奏という名前らしい。どうやら父親として座っていたあの男性は私でも知っているくらいに有名な作曲家だった。
この子はどうしてもお父さんに認められたくて飛び入りしたようだが、感想は「普通だな」の一言だったらしい。トイレを飛び出てあのオッサンをぶん殴りたかったが、奏に全力で引き止められた。
「あのオッサン、見返してやろうぜ」
「でも……どうやって?」
「あのオッサンより売れる曲を書くんだよ。バンドを組んで、メジャーデビューして、バンバン良い曲を書いて、オッサンの鼻を明かしてやろうぜ」
「出来るのかな……」
「やるんだよ。親を無視して生きることが出来ないならな」
なぜ私は今日初めて会った人をこんなに勇気づけているのだろう。あろうことか、バンドを組もうと誘っている。
私も親のせいで悩んだり苦労している。きっと奏に近いものを感じたのかもしれない。
とりあえず、ドラムとギターとキーボードは確定している。作曲もできる人がいる。千弦は歌がうまいしボーカルでいいだろう。ベースは地味だから誰でもいいかな。お兄ちゃんにやらせよう。
◆
気づいたら橋に着いていた。永久は穏やかな表情で向こう岸を見ている。
「永久が中心になってサクシを作ったから、雑用まで全部引き受けてるの?」
「まぁ……そんなとこかな。責任を取るって話じゃないけど、まさかここまで大きくなると思ってなかったわけよ。私もびっくりさ」
髪をかき上げながら話す。多分、永久が照れ隠しをする時の癖なのだろう。「それと」と永久が更に続ける。
「サクシは皆の居場所なんだよ。奏は親に認めてもらうためにサクシにいる。他の皆も色々とあるんだろうな。夏休みを丸々使ってツアーなんて普通の高校生はやりたがらねぇだろ。だから……皆の居場所を守るのが私のモチベーションかな。質問には答えたぞ」
髪をかきあげすぎてボサボサになっている。よっぽど言うのが恥ずかしかったのだろう。
「永久ってさ、意外と恥ずかしい事も口に出せちゃうタイプだよね」
「うるせぇな! 言いたいことはハッキリ言ったほうがスッキリするんだよ!」
ふくらはぎ辺りを軽く蹴ってくる。これも照れ隠しなのだろう。
「君達、ちょっと話ししてもいいかな?」
ギョッとして振り向くと、今度は本物のお巡りさんが立っていた。
永久がさっと前に出る。
「あー。ちょっと飲みすぎたから風に当たってて。弟も護衛で連れてきちゃったんです」
お巡りさんも永久が高校生に見えないからか、すぐに信じたみたいだ。
「弟さんは高校生だよね? あんまり遅くまで連れ回さないようにね」
「はーい。ご苦労さまでーす」
お巡りさんを二人で見送る。
「あ……ありがと。永久って大人っぽいからこういう時は助かるね」
永久が足に蹴りを入れてくる。
「うるせぇ。気にしてんだからあんま言うな。一応、あと一年以上は高校生してんだよ」
永久にとっては「大人っぽい」は褒め言葉ではないらしい。
「ご、ごめん」
「いいんだよ。気にしてるって言ったことなかったんだから、知らなくて当然だろ」
中身まで大人だ。だけど、それならさっきも蹴らなくて良かったんじゃないかと思ってしまう。
ホテルに向かって二人で歩く。深夜のひんやりとした空気が心地良い。
「なぁ……助けてやったから一つ言うこと聞いてくれないか?」
永久が急に立ち止まってそんなことを言う。
雑用の手伝いだろうか。そのくらいならいくらでも引き受けるつもりで頷く。永久は髪をかきあげながら、決心したように目を瞑る。
「お姉ちゃん……って呼んでみてくれないか」
「は?」
「は、早く呼べよ!」
「お……お姉ちゃん」
永久は言葉を噛みしめるように鼻で大きく息を吸う。大きく息を吐いて、満足したように一人で歩き始めた。置いていかれないように慌てて追いかける。
「感想はないの?」
「悪くなかったぞ。警察から守ったのと交換だから、皆には言うなよ」
永久が肩を組んできてニッコリと笑う。脅迫の笑顔だ。
どうやら永久は弟萌えだったらしい。今後揺するのに使えそうなネタを手に入れた。
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