第33話 ツアー③

 ツアー初日の出来としては上々だったと思う。アンコールまで終わって楽屋に戻り覆面を脱ぐと、皆が安心した顔をしていた。


「奏吾くん、お疲れさま! どうだった?」


 奏がウキウキした様子で訪ねてくる。


「あ……そうだね。初めてのハコだし緊張したけど、明日からは大丈夫そうかな」


「違うよぉ。私の演奏、どうだった? 奏吾くんの事を想いながら演奏したんだよ!」


「あぁ……良かったと思うよ」


 通りでライブ中に奏が僕の方をよく見てくると思った。


 今日はフロントの千弦や永久と絡む事が多かったので、キーボードの近くまで行っていない。


 返しから聞こえていた演奏はいつも通り素晴らしかったけれど、いつもと違うかと言われると特に違うところはなかった。


 奏は僕の反応が芳しくないからか、頬を膨らませて離れていった。


「ほらほら。ボサッとすんなよ。物販やるぞー」


 永久が手を叩きながら楽屋を歩いて回る。新曲の入ったCDやらTシャツをグッズとして売るのだ。バンドの主な収入源になっているが、他にスタッフもいないのでメンバー総出で対応する。


 永久の合図を機に皆がまた覆面をつけて、ゾロゾロとフロアに出ていく。既に恭平が机を用意してグッズの陳列を始めていた。本当にマネージャーみたいだ。


 フロアでは結構な人数が待ってくれていた。覆面集団を見て歓声を上げている。これまで恭平が積み上げてきたユキへの歓声というのは分かっているが、覆面の下で少しニヤけてしまう。


 何人かから握手を求められたので対応する。多分、ここにいる人達が認識しているユキはそこに立っている恭平なのだ。騙しているわけではないけれど、何だか申し訳ない気持ちになる。


 千弦、もといマサ以外は喋らない設定なので、無言で机の裏に並んで陳列作業を手伝う。


 机の前には物販購入待ちの長蛇の列が出来ていた。話せる千弦が一人ずつさばいていくのだが、一人一人とそれなりに話し込むため列がほとんど動かない。見かねた恭平がもう一つ列を作り、二人体制でさばいていく。


「これ、大丈夫なの?」


 千弦の後ろに立っている永久にこっそりと聞いてみる。


「大丈夫っしょ。思ったより物販来てくれてるみたいだね。新曲もTシャツもいい感じに捌けてるねぇ」


 覆面の下では永久の目は円マークになっているのだろう。どのくらい利益が出ているのかは知らないが、彩音がバイトを削ってでも活動してくれるくらいには分前があるみたいだし、それなりに儲かっていそうだ。


「サインだってよ。ユキさんご指名でーす」


 奏が近づいてきてコッソリと囁く。最近は覆面でも簡単に誰なのか判別できるようになった。背丈の大中小でそれぞれ永久、奏、彩音と分かる。千弦は背丈以外で簡単に判別できる。


「サイン? そんなの書けないよ」


「ありゃ。そっか。まぁ、見たことはあるでしょ。見様見真似でいいからさ」


 奏が背中を押してファンの子の前に押し出される。そこにはボブカットのお姉さんが立っていた。薄暗いフロアでは皆が五割増しで可愛く見えてくる。可愛いだけでなく千弦顔負けの大きな乳テントも迫力があり、生唾を飲む。


「ユキさん! サインお願いできませんか?」


 話すのは御法度なので、ジェスチャーでコミュニケーションを取りながらCDにサインをする。


「わぁ! ありがとうございます! 写真もいいですか?」


 僕が頷くとボブカットのお姉さんは僕の横に来て腕を組んでくる。フニっと柔らかい感触を腕で感じる。驚いて反応もままならない間に携帯のインカメラで写真を撮られた。


 軽くお礼をしてお姉さんは帰っていく。腕の感触を思い出すようにさすっていると、奏らしき人に引っ張られて物販商品が入っていたダンボールの後ろに連れて行かれる。


「おーい。覆面しててもニヤけてるのが分かるぞー」


 覆面をしていても奏が呆れた顔をしているのが分かる。


「し……仕方ないだろ。いきなりだったからビックリしただけだって」


「ちなみにあの人、この辺の界隈だとすぐバンドマンに手を出すって有名な人だから。勘違いしない方がいいよ」


 そう言うと奏は僕にデコピンを食らわせて千弦の手伝いに戻っていった。


 少しだけ期待してしまったのだけど、そういう人もいるのかと驚いた。変な噂がたっても困るし、あの感触は思い出として残し続ける事しかできなさそうだ。





 物販を終えて、今日のホテルへ移動した。親の同意書を出すとすんなりとチェックインできた。これまでのツアーでも高校生の集団ということで色々と苦労してきたらしくこういう面の知識の蓄積が凄まじい。


 グッズの売れ行きは好調なようだ。あの後も何度もサインや写真を求められた。


 ベースはバンド内でも地味なポジションというのはよく聞く話だが、ユキは演奏技術とステージングによってこれだけの人気を誇っていたのだろう。恭平が築いたユキの人気に傷をつけられないというプレッシャーをジワジワと感じ始めた。


 ホテルのベッドに横たわると、ついSNSでエゴサーチをしてしまう。ユキについて悪くは書かれていないだろうか、と気になってしまうのだ。


「エゴサしてるの? やめといたほうがいいわよ」


 横から恭平が画面を覗き込んでくる。悪い評価は書かれていないが、やはり不安なものは不安なのだ。


「なんか気になっちゃうんですよね」


「アタシはそういう時は近くを散歩するのがルーティンだったのよ。やってご覧なさい」


 恭平はウィンクしながらタオルを肩にかけて風呂に行ってしまう。せっかくだし言われた通りに散歩してみることにした。





 ホテルから出て大通りの方に向かって歩く。近くには映画館が入るほどの大型ショッピングモールがあるので人通りも多く、夜ではあるが照明で明るい。川沿いだからなのか、日が落ちれば少し涼しさを感じる。


 ホテルの周辺は住宅街だったので、この辺に住んでいる人は歩いて映画館に行けるのだろう。僕の家の位置からは考えられない生活なので少し羨ましい。


 ショッピングモールの中には入らず、横を通り抜けて河川敷に向かう。見知らぬ土地だが、川沿いに歩けば迷うことはないだろう。


 土手に上がり、川に沿って歩く。大きな橋が見えたのでそこまでいったらUターンしようと決めた。


 数十メートル歩いたところで、永久が目の前から歩いてきた。ランニングでもしていたのか、マラソン選手のような短パンを履いている。


「なんだ、奏吾かよ。散歩か?」


 移動中のサービスエリアでのやり取りの事は気にしていないらしい。気になった事はその場で言って、その後ねちねちと続かないのは永久の良いところだと思う。


「うん。そこの橋まで行こうと思って」


「あー。今行ってきたんだわ。あっち行こうや」


 永久が僕の背後、遥か向こうを指差す。地図的には永久が行ってきたのがショッピングモールの南側にある橋で、今から行こうと言っているのが北側にある橋だろう。結構な距離がありそうだ。


 特に断る理由もないので、永久と並んで北側の橋を目指して歩く。顔の位置が同じ高さにあるのだが、傍から見れば顔のサイズはまるで違うのだろう。


 向かいから自転車らしきライトが近づいてくる。向きの問題なのか、かなり眩しい。対面にいる歩行者の身にもなって欲しい。手で光を遮りながらすれ違うまで我慢していると、いきなり永久が僕に抱きついてきた。


「な……なな……なに?」


 驚いて声も震えてしまう。


「いいから口と目ぇ閉じてろ」


 言われた通りに口を閉じて目を瞑る。五感の内の一つが使えないため、他の感覚が敏感になる。


 さっきまで眩しい光を浴びせてきていた自転車のカラカラという音が近づいてくる。


 永久の肩に顎をつけるように頭をのせる。風呂上がりなのかいい匂いがする。


「ばっ……嗅ぐな!」


 背中をバンと叩かれる。真っ赤な手形がついていそうな勢いだった。だが、すぐに背中をさするように永久の長い腕が体に絡みついてくる。


 口を閉じていろという命令だったので、何度もゆっくりと鼻から息を吸う。自転車の音が僕の真後ろを通って次第に遠ざかっていく。


「おい! いつまで嗅いでんだよ!」


 永久が僕を突き飛ばすので、土手から転げ落ちそうになる。咄嗟に永久の腕を掴むと、そのまま引き寄せられ永久にもう一度抱き着く形になった。なぜか気まずくて、数秒そのまま固まる。


 さっきほど永久の匂いがしない。鼻が慣れてしまったようだ。代わりに草の匂いや虫の鳴き声が分かるようになってきた。ゆっくりと永久が俯きながら離れていく。


「さっきのは私が悪かった。けど……あんなに嗅ぐのはやめろよ。変態」


 照れているのか声に覇気がない。永久が照れた様子を見せているのは新鮮だ。


「いきなり近くに来たからびっくりしちゃって……」


 言い訳感はあるけれど、実際そうだったのだ。


「警察っぽい人が来てたからさ。一応、未成年だし話しかけられたら面倒だろ。奏吾、意外と童顔だからな」


 永久が画面の割れた携帯で時間を見せながらそう言う。少し古い機種だ。物持ちがいいのだろう。


 高校生だけで出歩くには少々遅い時間だった。永久は大人っぽいから、僕の顔を隠して無理やり大人のカップルのように見せかけたみたいだ。


「警察っぽかったって、警察じゃなかったの?」


「あー……ただのサイクリングしているおじさんだった」


 突き落とされていたら損しかしていないところだった。いや、いい匂いだったし突き落とされてもプラスかもしれない。永久は照れ隠しなのか、やたらとワンレンボブっぽい髪をかき上げていた。

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