第32話 ツアー②

 サクシのリリースツアーの初日は栃木から始まる。ここを皮切りに徐々に北上していき、前半戦の最後には北海道の大型野外フェスに出演する。


 サービスエリアでの休憩後、今日の会場に到着するなりリハーサルを済ませた。


 今は楽屋で本番までの待機時間だ。長テーブルを囲むように椅子を並べて座っている。


 今日からはワンマンライブが続くので、二時間弱の演奏をする日々が続く。ピリピリしたムードはないが、やはり本番前となると皆の目つきが変わる。


「コンビニ行くけど何かいるか?」


 恭平がみんなに呼びかけると、お礼を言いながら一斉に携帯を手にとってグループトークに必要な飲み物や食べ物を書き込んでいく。口頭で言われても覚えられないだろうし効率的だ。こういう細かいところもなんだかこなれた感じがして、皆との経験の違いを感じる。


 恭平は演奏はしなくなったものの、運転手をやってくれたりとマネージャーのような立ち位置になっている。大学は大丈夫なのだろうか。


「あ……僕も一緒に行きます」


「悪いな」


 結構な分量なので恭平とはいえ一人で持つのは辛そうなのと、この場の空気が少しキツかったので抜け出す口実が欲しかったのだ。


 裏口から外に出ると、日は少し傾いたもののムワッとした夏の空気を全身で感じる。


「うわぁ……まだ暑いのね……」


 恭平が手でひさしを作りながら辺りを見渡す。傾いた太陽の光が真っ直ぐに僕達を照らしてくる。二人になると声のトーンが高くなるらしい。


 二人で近くにあるコンビニまで歩道を歩く。


 せっかくなので今日感じたモヤモヤを恭平にぶつけてみる。


「皆、いつもと違いますね。移動中もなんだか物静かでしたし、楽屋でもなんか雰囲気が違うというか。賑やかさが足りない感じがしたんですよ」


「初日だからね。毎回あんなもんよ。ガチガチに緊張する訳じゃないけど色々と不安なんだろうなって思う。覆面被ってても皆、中身は高校生なのよ」


「僕だってそうですよ」


「そうだったわね」


 ガハハと永久と同じように笑う。


「その点、奏吾はすごいよ。肝が座ってる。ま、今日の場所はBBCより少し大きいくらいだから気楽にやれるよ」


 背中をバンと叩いてくる。この感じは永久とそっくりだ。あの母親譲りなのだろう。


「まだ実感が湧いてないだけですよ」


 初ライブは勝手知ったる場所だった。初めての土地での初めてのライブなので、まだフワフワとしているのだ。


「そういうところが肝が座ってるんだよ。これからもあいつらのこと頼んだわよ」


 恭平は少し寂しそうな顔で前を見据えている。キリッと整えられた濃い眉毛とクッキリした二重の目が印象的だ。程よく焼けた肌も男らしさを際立たせていて夕日がよく似合う。


 永久に雰囲気は似ているのだが、妹よりも眼力が強く、顔が濃い。


「あの……恭平さんって普段のキャラと今ってどっちが素なんですか?」


 恭平はニヤリと笑って僕の方を見る。


「そういうのは口に出すもんじゃないのよ」


 グワシと僕の尻を掴んでくるのでなんとなく察した。言葉よりも行動で示すタイプらしい。





 コンビニで買い出しを終えてライブハウスに戻ってくる頃には、一気に日が落ちていた。町外れにある建物のように怪しい色のネオンがライブハウスを彩っている。


 楽屋に入ると、出発する時から時が止まっていたかのように同じ位置に皆が座っていた。


 机に大きなビニール袋を置いて、全員分の食料を配っていく。


 永久はサラダとゼロカロリーコーラ。千弦は弁当とサラダとお茶。二人共健康的で何よりだ。僕達が戻ってくるなり近くまで取りに来てくれたので手渡す。


 問題は一年生組だ。彩音のリクエストはカップラーメンのみ。奏はお菓子と炭酸飲料。あまりに栄養が偏りすぎている。


 まずはアニメに夢中になっている彩音にカップラーメンと野菜ジュースとサラダを渡す。あからさまに不機嫌そうな顔でイヤホンを外して僕を睨んでくる。


「普段は弟達の手前、嫌いなのに食べてるのよ。こういう時くらいいいじゃない」


「そういうのは最終日が近くなったらやる事だよ。初日くらいはしっかり食べようよ」


「はぁ……小姑が一人増えたのね……」


 彩音は渋々だが野菜ジュースを飲み始めた。


 恭平も体には気を使っているみたいで、彩音と奏のリクエストを見て心配していた。これまでのツアーでもこんなやり取りがあったのだろう。


 次はラスボス、奏だ。これまでの食生活を見ていても、サラダを受け取らない事は容易に想像がつく。


 椅子を引っ張ってきて奏の横に座り、サラダの容器を机の上で滑らせて奏の前に持っていく。スナック菓子をリクエストしたらサラダが出てきたのだから当然怪訝な顔で僕の方を見てくる。


「これを食べたらお菓子を出すから」


「私もうそんな年じゃないんだけど」


「じゃあ文句言わずにサラダから食べようか」


「嫌だ」


 強情に突っぱねる。サラダが僕の目の前に移動してきた。ここまでは僕と恭平のシミュレーション通りだ。ここからは恭平の作戦があるので指示通りに話す。


 まずはサラダを移動させている奏の手に僕の手を乗せる。


「僕のために食べて欲しいんだ。途中で奏に倒れられたら困るんだよ」


「えぇ!? 奏吾くん、意外と情熱的だなぁ……」


 奏は照れながらサラダを自分の方に引き寄せてドレッシングもかけずに食べ始めた。


 恭平の作戦、恐るべし。仕組みは分からないけれど、奏をここまで素直に動かすとはメンタリストか何かなのだろうか。





 ご飯を食べ終わり、少し休憩すると本番の時間になった。皆の表情が一層引き締まる。


「っしゃ! 行くぞ行くぞ!」


 永久の号令で、ステージ脇にパンダの覆面集団が移動を始める。


 ステージ脇に移動中、奏が僕にだけ聞こえるようにこっそりと話しかけてきた。


「今日のステージ、奏吾くんのために頑張るからね!」


 奏はそれだけ言うとスキップしながら前の方に行ってしまった。やる気に満ちているのは嬉しいのだけど、何か変な勘違いをしている気がする。


 チラっとフロアの様子を伺うと、最後方までびっしりと人で埋まっていた。どうやら満員御礼らしい。キャパはBBCより少し多いくらいだと恭平が言っていたが、前のライブとは密度が違いすぎる。ワンマンでこれなのでサクシの人気を改めて思い知る。


 昭和歌謡が流れ始めた。前回のライブと同じ入場SEだ。いつものように彩音からステージに出ていく。フロアからの歓声は初めて聞く大きさだ。ここにきて、自分がこれまで浸かっていたぬるま湯との違いを実感し始める。


 少し時間を置いて僕もステージ脇から出る。真っ赤な照明の中、ステージの下手側まで辿り着く。覚悟はしていたが、この場所に立つと高揚感と共に足が震える。緊張なのか武者震いなのかは分からない。僕はまた、ユキとしてステージに立ってしまった。


 僕に続いて、永久、奏、千弦の順番で出てきた。頃合いを見計らい、千弦が合図をして入場SEを止める。


 少しの静寂を置き、長いツアーの最初のライブ、一曲目の演奏が始まった。

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