第35話 ツアー⑤

 栃木を出発して仙台まで直行した。恭平のユキを塗り替えるという目標を今日のステージで達成したい。


 最初に比べると皆も安心してきたのか疲れてきたのか分からないが、移動中も昼寝をしていることが増えた。奏は相変わらずご飯の時以外はヘッドホンをつけてノートパソコンとにらめっこをしている。


「ねぇ! ここ! ここ行こうよ!」


 彩音は携帯で牛タンの美味しい店を探している。さっきから彩音が見つける店は確かに名店揃いだが、朝から並ぶのが前提になるほどの人気店ばかりなので、朝が弱い皆は及び腰だ。


「近くのチェーン店でいいだろ。せっかくチェックアウト時間も遅めのプランにしたのにさ」


「俺も朝は寝てるわ」


「うーん……私も起きられるか分からないですね」


 永久、恭平、千弦の三人は朝はゆっくりして近くのチェーン店で牛タンを食べるらしい。


「奏吾は行く?」


 どうやら彩音は一人でも朝から出かける気のようだ。


「行ってみようかな」


 彩音は仲間が見つかって嬉しいのか、振り返ってきてニコッと笑う。そして、笑いながら奏を指さす。ヘッドホンをつけているので会話に入ってこない奏にも聞けということだろう。移動中はずっとあくびをしているし多分睡眠を優先しそうだ。


 奏の肩を叩くとこちらを向いてヘッドホンを外す。


「牛タン、食べに行く? 朝早いけど」


「うーん……多分起きれないや。行ってらっしゃい」


 想定通りの答えだった。


「じゃ、奏吾と二人か。朝の八時にホテルの一階に集合ね」


 彩音がそう言うと奏が体をピクッと反応させる。


「あー! 牛タン食べたいなぁ。早起きは辛いけど食べたいなぁ」


 わざとらしく牛タンを食べに行きたいアピールを奏が始める。


「か……奏も行く?」


 彩音が若干引き気味の顔で奏に尋ねる。


「うん! 行きます!」


 敬礼をしながら奏が答える。実は牛タンに興味津々だったらしい。





 今日のライブ会場に到着した。リハーサルのためにステージに出るとこれまでの会場との違いに唖然とする。


 キャパは二千人弱、メジャーデビューしている有名バンドが会場として使うレベルのライブハウスと聞いて目を丸くした。


 アンプと足元のエフェクター類でギチギチになっていたこれまでのステージと違い、かなり広々としているので違和感がすごい。この広さを存分に使いこなせる気がしない。


 入念なリハーサルを終えて楽屋に戻る。初日の雰囲気が嘘のように皆リラックスしている。


 彩音と奏は横に並んで座り、北海道のフェスのタイムテーブルを見ている。自分たちの出番の後は客として楽しめるのでどのバンドを見るか考えているみたいだ。


 永久と恭平はここまでの収益のまとめをしているらしい。パソコンと向き合いながら真剣な顔をしている。綺麗な顔立ちをした二人が並ぶだけでドラマの切り抜きのように見える。


 千弦は部屋をウロウロしながら喉のウォーミングアップをしている。結構な大声を出しているが皆慣れっこなようで気に留めていない。


 僕が暇そうにしているのに気づいたのか、千弦が「アー」とロングトーンで声を出しながら僕に近づいてくる。


 音楽の先生のように手で煽ってきた。立て、と言いたいらしい。


「奏吾君、一緒にやりましょう」


 歌うように裏声で千弦が言う。僕はコーラスもやらないので歌う必要は全く無いのだが。


 渋々、千弦に合わせて「アー」と声を出す。徐々にヒートアップしてきて、千弦に釣られるように声が大きくなってきた。大声を出すと気分が晴れるようだ。


 千弦の合図で発声練習を終える。


「はい。よく出来ました。緊張はほぐれましたか?」


「あ……そうですね。腹から声を出したので少しスッキリしました」


「良かったです。では、本番も頑張りましょうね」


 千弦は更に喉を温めるためか「ラララ」と歌いながら去っていった。準備はほぼ出来たようで、音源のマサと同じ声が出ている。同一人物なので当然だが。




 千弦のウォーミングアップに聞き惚れていると本番の時間が近づいてきた。


 衣装に着替えて、ステージ袖に向かう。ステージ袖で永久が集合をかけた。


「じゃ、今日もいつも通りにな」


 永久はそう言うと、僕の横に来て肩を組んでくる。他の皆を手招きして呼んでいる。いつもはしない円陣を組もうとしているようだ。パンダの覆面をつけた五人が肩を組む。


「本日も無事にソールドアウトでございました。ただ、新入りのベース君が少しばかり緊張してるっぽいからな。暇になったらベースの方に遊びに行ってやるよ。っしゃ! やるぞ!」


「「「おー!」」」


 僕が緊張している件は今の掛け声に必要だったのだろうか。いつもの昭和歌謡の入場SEがかかったので、いよいよライブが始まると腹を括る。


 彩音に続いてステージに出ていく。僕がステージに上がるなり、フロアから歓声が上がる。薄暗い空間ではあるが、前方にいるお客さんの顔が見える。手を添えて叫ぶようにユキの名を呼んでいるのが分かる。


 不思議と気持ちは落ち着いている。永久と話してモヤモヤが晴れて目標が定まったからなのと、千弦との発声練習が効いているのだろうと思う。落ち着いてスタンドに立てかけられているベースを背負う。これで僕は心身ともにユキになれる。


 いつものように残りの三人を出迎えて、千弦の合図で入場SEが止まる。一呼吸置いて彩音のフォーカウントが入る。


 一発目の音はピッタリと全員の息が合った。同時にパッと照明が付き、会場の後ろまで見渡せるほどに明るくなる。どこまでもいっても顔と高く掲げられた腕が続いている。サクシに加入して以来更新し続けてきたステージからの景色がまた更新された。この人数が僕の演奏を聞いていると考えるだけで沸々と何かが沸き立ってくるようだ。


 金属製の弦を爪弾くだけで人々が踊る。返しから聞こえる千弦の声が心地よい。一発目の音から沸々としていた気持ちは、沸騰しきったお湯のように煮えたぎっている。楽しい。僕の音を聞いてくれ。僕を見てくれ。そんな気持ちが沸いては楽器に流れ込み、音となってフロアに響き渡り、お客さんの鼓膜と体を震わせている。


 そんな感覚がずっと続く。散々聞きこんで練習した曲なので頭は使わずとも体が勝手に動く。頭は演奏ではなく、この空間をいかに楽しむかを考えることだけに使われ始めた。


 まずは彩音にちょっかいをかけに行く。彩音は僕を見ると、ハイハットを多めに叩いて牽制してきた。集中したいのであっちへ行けということだろう。


 次は奏のところだ。器用に演奏しながら左手でサムズアップをしてくる。初ライブの時と同じだ。あの時よりも僕の顔の筋肉はほぐれているだろう。覆面を付けていなければよだれを垂らしていたかもしれない。


 最後に永久と千弦の間に入る。永久が背中をくっつけてくるので、体重をお互いに掛け合いながらギターとベースでユニゾンする。永久のギターの音色と僕のベースの音色がピッタリとかみ合った。


 僕の中から沸き立った気持ちは音となってフロアに流れていく。それらはすべて歓声となって返ってきた。これまでのツアーで一番と思えるくらいの興奮を味わった。





 アンコールを残してセトリを消化したので、一度ステージ袖にはけてきた。


「奏吾! お前すげぇな。脇とか色々びしょびしょになっちまったよ!」


 恭平が興奮した様子で駆け寄ってくる。ピチピチのグリーンのTシャツは脇の辺りに染みが出来ている。


「今日は……本当に興奮しました」


 今は所謂賢者タイムだ。演奏中、何度も心理的な絶頂を迎えた。


「ヤバかったぞ奏吾! 完全に覚醒してたな!」


 永久が叫びながら後ろから飛び掛かるようにのしかかってくる。悪気はないのだろうけど、この前の川辺での事を不意に思い出してドキドキしてしまう。


「なんか……途中から興奮してたよ……」


「目、キマってるな。やっぱお前……ド変態だよ」


 さっきまでの勢いはどこへやら。永久は僕の顔を見るなり、後ずさるように僕から離れて行った。


 首筋に何か冷たいものが当たる。触ると僕の涎だった。どうも時間差で口に溜まっていた涎があふれてきていたみたいだ。

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