第31話 ツアー①

 夏休みに突入した。8月に入って恭平の大学も夏休みに入ったのでいよいよサクシの新曲リリースツアーが始まる。


 恭平の運転する大きなハイエースが家の前に乗り付けて来たので、親も本当に旅行なのかと疑っていた。父さんは黒色の機材ケースを見て色々と察したようで、母さんを宥めてくれたおかげで無事に出発できた。


 車に乗り込むと二人がけの椅子が二列あった。てっきり彩音と奏の一年生女子ペアで座ると思ったのだが、彩音は既に千弦の隣に座っている。


 誰が隣でもいいと思っていたのだが、最後列の席にいる奏はガッツリと僕の領域を侵食するようにあぐらをかいて座っていたので考えを改めた。


 奏の足の上にはノートパソコンが置いてあり、ヘッドホンが繋がれている。奏は僕に気づくとヘッドホンを外して首にかける。


「おっす! 今日もいつも通りだねぇ!」


 何がどのようにいつも通りなのかは聞かない事にした。


 僕が座りたそうにしていると足を降ろしてくれた。だが、僕が座るとまたあぐらをかいて僕の足に乗せてくる。彩音が奏の隣に座りたがらなかった理由が分かった気がする。


「何してるの?」


 足を外す方向に話を持っていきたいので、軽いジャブから会話に入る。


「新曲だよ。出来てからのお楽しみだね」


 今回のツアー用の新曲は僕が加入する前にレコーディングを済ませていたらしい。更にその次の曲の制作ということだろう。作曲は奏一人で担当しているので大変そうだ。


 奏はそれだけ答えるとヘッドホンを付けてまた作業に戻る。楽曲制作に集中してもらうためなら足くらい喜んで差し出すことにした。


 気づくと車も動き始めていた。事前に買い込んでおいたお菓子をカバンから取り出す。車で遠出するのが小さい頃から好きなので、昨日はウキウキしながら道中のお菓子を買った。


 横にいる奏の肩をつつくと面倒くさそうに顔だけを僕の方に向ける。小分けのお菓子の入った袋をシャカシャカと振ると、奏は口を開けて何かを待っている姿勢になった。


 呆然とその姿を見ていると、奏は更に口を開けたまま顔を前に持ってきた。食べさせろということなのだろう。


 入学当初の優等生だった奏の印象は既に消え失せた。目の前にいるのは、寂しがりで我儘な姫君だ。口の中にお菓子を放り込むと顔をクシャっとさせて笑い、またパソコンとにらめっこを始めた。


 他の皆にも配ろうと思い、目の前に座っている彩音を上からつつく。トレードマークのツインテールのため、頭の真ん中に真っすぐな線が入っている。


 彩音はイヤホンを外して嫌々そうに僕の方を振り返った。


「何なのよ……」


「これ、お菓子。配って」


「アンタ、楽しんでるわね……」


 彩音に小ばかにされたような、呆れられたような表情で見られる。体を前に向きなおすと、横に座っている千弦の肩を叩いてお菓子を渡してくれた。


 千弦もイヤホンを外して「ありがとうございます」と言うと、すぐにまたイヤホンを付け直して映画鑑賞に戻ってしまった。


 彩音が運転席と助手席に座っている安藤兄妹にも配ってくれたようで、永久が前を向いたまま「サンキュー」と言っていた。


 皆、冷めている。彩音はアニメ、千弦は映画、永久と恭平はボソボソと話、奏は作業。皆が思い思いの事をしているので、旅行のようなワイワイした感じがまるでないのだ。


 話し相手もいないので僕もイヤホンをつける。何度聞いても永久のギターソロはカッコいい。そんな事を考えながら外を眺めているうちに寝てしまった。





 カーブを曲がる時の遠心力で体が動き目が覚めた。どうやらサービスエリアで休憩するようだ。


 車が停まると一斉に車から降りていく。皆で横に並んで話しながら行くので、何かがあってギスギスして居るわけではないみたいだ。


 トイレを済ませてサービスエリアに併設された公園に行くと奏がベンチに座って日光浴をしていた。手にソフトクリームを持っている。真夏の炎天下のベンチに座りたがる人はほとんどいないようで奏のために用意された公園のようになっている。


 奏は僕に気づいたみたいで、近づくと手招きをしたり、自分の隣のベンチの空いているところをバンバンと叩いたりしている。歓迎されているようなので奏の隣に座る。お尻の辺りがジュっと焼けるように熱い。目を瞑って数秒耐えると熱さにも慣れてきた。


「食べる?」


 目の前にソフトクリームを差出してくるので、かぶりつこうとすると鼻に押し付けられた。冷たい感触とバニラの香りが鼻の中に入り込んでくる。


 奏はゲラゲラと笑いながらソフトクリームを僕の顔から外し、顔に突き刺さった直後のソフトクリームを食べている。鼻についたのだけど気にしないのだろうか。


 顔についたソフトクリームを拭う。楽しそうにしている奏を見ると怒る気も失せてしまった。それくらい人との交流に飢える移動時間だったのだ。


「なんか、皆静かなんだね。もっと話し続けてるイメージだったよ」


「もう何回も行ってるからね。それに夜になったらたくさん顔を合わせて話せるから」


 なんてこと無いようにソフトクリームを舐めながら奏が言う。


「家族とリビングでくつろいでる時の感覚だよ。会話がなくても皆そこにいるでしょ。それと同じ……というのは永久の受け売りですが」


 奏は家で一人ではないか、と思ったのが顔に出ていたらしい。付け加えるように永久の受け売りだ、と言う。気にしていない表情で言うのがなんとも痛々しい。


 この時、僕の頭を千弦の事がよぎった。千弦は幼いながらも親にしっかりと自分の意見を言って、今の生活を手に入れている。


「奏、思ったことがあるんだけど、きちんと両親と話し合ってみたらいいんじゃないかな。二人共、話すきっかけを失ってこうなってるだけなのかもしれないよ」


「試したよ」


 奏の顔から感情がなくなる。こんな時に話すことではなかったのかもしれないが、既に引き金を引いてしまった。


「元々は二人共、日をずらして週に一度は帰ってきてたんだ。でもそれがおかしいっていうのは小さいなりに分かってて、ある日言ってみたんだ。『会議をしましょう』ってね。小学生の私がだよ。笑っちゃうよね」


 堰を切ったように奏は更に続ける。


「会議の結果、私の世話は青木さんにお願いすることになりましたとさ。二人は気が向いた時だけ帰って来るようになって、頻度は月一とかになったんだ。私が言い出さなければ、なあなあでやってれば週一で会えたのにね」


 罪悪感や情でなんとなく週一ペースで帰ってきていたのが、家族会議という形で話した結果、悪い方にヒートアップしてしまったのだろう。


 会議の結論としては、奏にとって最悪な形に落ち着いてしまったらしい。


 暑さでソフトクリームが溶けて奏の手を汚している。足まで垂れたところで気づいたようで、慌てて舐め取っている。


「ご……ごめん。僕の話なんて、ただのお節介だったよね」


 永久や千弦と話してスッキリしたと言われて思い上がっていた。僕は別にカウンセラーでもないし豊富な人生経験に基づいたアドバイスができる訳でもない。恥ずかしさで顔が熱くなってくる。


「いやいや。アイディアは常に大歓迎だよ。てかさ、その時思ったんだけど、関係性を口に出すと薄っぺらくなりがちだよね。家族とか絆とかそういうやつ。その時の雰囲気から感じ取れればいいんだよって個人的には思うんだ。ま、雰囲気から感じ取ったら壊れてる事もある訳ですが」


 過去の家族会議での発言がトラウマだったりするのか、急に奏が毒を吐く。だけど言いたいことは分からなくもない。


「分かるよ。スローガンとかに入れると急に薄っぺらくなるよね。中学の時に良く見たな。便利な言葉だよね」


「奏吾くん、分かってくれるか! 嬉しいねぇ。だからさ、皆のあの雰囲気もね、多分形容できる言葉は無いんだと思う。それっぽい言葉はあるけれど、口に出すと型にはまっちゃう気がするんだ」


 家族のように仲良し、とか簡単に言ってくれるなということだろう。家族ではないのだから。永久はそういうのを気にせず口に出来るタイプみたいだ。


「あれ? でも、夏休み明けに好きな人に告白するって言ってなかったっけ。それも一種の関係性を口に出すって事なんじゃないの? そんなことしていいの?」


 僕の言葉を無視して奏はソフトクリームを一気に食べる。冷たかったのか、頭を押さえている。


「そ、それはロジハラだよ! 奏吾くんはもう少し人の心というものについて考えた方がいいと思うな!」


 純粋な疑問だったのだが、奏にとっては痛いところを突かれたみたいだ。捨て台詞を残してさっさと車の方に歩いていってしまった。


 奏を見送っていると、すれ違うように車の方から背の高い人が歩いてくるのが見える。永久だ。


 僕の方に歩いて来て、奏がさっきまで座っていた場所にドスンと座る。


「おい。奏に何した?」


 低い声で問い詰めるように永久が聞いてくる。奏はプリプリと怒りながら戻って行ったのですれ違いざまに何かがあったと勘づいたらしい。


「な、何もしてないよ。なんとかハラって言われたから嫌な気分にはなってたのかもしれないけど……」


 永久が驚いた顔で僕の足を蹴ってくる。


「おっ……お前、セクハラしてたのかよ! こんな青空の下で! 何言ったんだよ!?」


「な、何って……口に出すのは良くないよねって話をしていただけで……」


 みるみる永久の顔が赤くなっていく。目を見開いて僕の足をもう一度蹴ってきた。椅子から立ち上がり、一人で車の方に向かっていく。


 自分が言ったことを振り返っても、特段変なことを言った覚えはない。


「おい変態。置いてくぞ」


 永久がここに来た目的は僕を呼ぶためだったみたいだ。他の皆はもう車に戻ってきたのだろう。


「誤解だから! 口に出すっていうのは、つまり、薄い関係性が……」


「う……うるせぇ! 何が薄いんだよ! もう喋るな!」


 永久が僕の口をふさいでくるのだが、全く理由が分からない。


 僕と永久の関係性を表すなら「険悪」だろうと思いながら腕を引っ張られて車に戻った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る