第7話 合宿①

 永久の質問攻めのせいで夜ふかしをしてしまった。おかげで今日は遅刻ギリギリだ。通学路に制服を着た人がいないので遅刻で怒られる覚悟を決めて、既に走ることをやめている。


 後ろからパタパタとバイクのエンジン音が聞こえる。横をピンク色の車体が通り過ぎた。うちの学校は特に禁止されていないので、希望者はバイクで通学できる。今通り過ぎた人もそうなのだろう。


 ピンク色のバイクは僕を通り越したところで路肩に止まった。横を通り過ぎようとすると声をかけられる。


「おはようございます。乗っていきますか?」


 ビックリして振り返ると、運転手は千弦だった。


「あ……おはようございます。いいんですか?」


「ルール上はオッケーですよ」


 千弦は穏やかな口調で告げる。遅刻を回避できそうなので、お言葉に甘えて後ろに乗ることにした。バイクの二人乗りは初めてだ。


「では、きちんと捕まっててくださいね」


「えぇと……どこを持ったらいいんでしょう」


 腰をポンポンと叩きながら「ここです」と言うので、少し照れるが千弦の腰を掴む。


 ぬるりとバイクが動き出した。風をかき分けて進んでいく。梅雨真っ只中ではあるが、今日は一日中曇りなのでそこまで不快ではない。


 意外と千弦は走り屋のようで、スピードを出している。信号で停車すると、慣性で体が前のめりになる。


 体が前に持っていかれそうになるので、それに対抗しようと今度は後ろに体重をかけてバランスを崩してしまった。


 千弦の腰を掴んでいた手が離れてそのまま千弦の体を撫でるように上に動く。何か柔らかい感触を手の甲で感じる。


 千弦は何も言わない。事故ではあるが明らかに胸に手が当たってしまった。


 サクシのメンバーで唯一性別がわかっていたのがボーカルのマサこと千弦だ。もちろん声が女性ということもあるのだが、何より衣装越しに主張してくる巨乳もその理由の一つだ。


 そこから一言も話さず、非常に気まずい空気のまま学校の駐輪場に到着した。


「あ、ありがとうございました。遅刻せずに済みそうです」


 一旦胸の件は無かった方向でお礼を述べる。なんだか、千弦と話していると釣られて敬語になってしまう。


「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」


 千弦はヘルメットを片付けながら僕の方を見ずに返事をしてくる。もしかして怒っているのだろうか。


 そのまま下駄箱まで一緒に歩いてきた。二年生とは下駄箱が離れているのでここでお別れだ。


「あ、さっきおっぱいを触ってきた件は奏には内緒にしておきますから安心してください」


 千弦はニコリと笑ってそう言うと二年生の下駄箱の方へ歩いていった。なんだか弱みを握られたみたいで少しモヤモヤする。奏にバレようとバレまいとどっちでもいいのだが。





 授業が終わると奏が横から話しかけてきた。


「奏吾くん、スタジオ行こっか」


「あ、うん。了解」


 席を立ち二人で彩音の席に近づいていく。


 毎日、音楽室の利用は出来ないので今日はBBCのスタジオを借りて練習だ。音源やライブチケットの売上はそれなりにあるみたいなので、スタジオ代は会計担当の永久が払ってくれるらしい。


 実は早速再来週にライブが一本あるらしく、かなり詰め詰めで練習をすることになっている。


「彩音、スタジオ行こうよ」


「今日、日直なんだ。まだやる事あるし先に行っといて」


「そんなの大したことないし手伝うよ。後は何すればいいの?」


 彩音は机に座って日誌を書いている。黒板を指差したので、僕と奏で黒板消しを持ち、両端から消していく。


「彩音、人がいいから全部引き受けちゃうんだよね。相方の子、もう帰ってるっしょ」


 奏が仕方なさそうに黒板を消しながら僕に向かって話す。


 日直のところには彩音ともう一人の名前が書いてあった。教室にはもうほとんど人が残っていない。相方はいないみたいだ。


「人がいいっていうか、舐められてる?」


「アハハ……まぁ、言い方は色々だね」


 昨日まで彩音の事はよく知らなかった。それもそのはずで、教室ではとても大人しいのだ。声すら聞いたことが無かったかもしれない。故に活発な人を相手にすると押し付けられても言い返せないのだろう。


「私は彩音のそういうところが好きなんだけどね。自分を殺して他の人を優先出来ちゃうところ。すごいなって思う。私は自分が大好きだから」


 奏は自嘲気味に笑ってそう言う。


「どっちも塩梅次第じゃないかな。自分が好きすぎても周りは大変だし、周りに合わせすぎても自分が大変になるだけだよ」


「そうだね。あぁ……私は頭が良くて性格も良くて顔も良くてスタイルも良くて……ほんと困っちゃうよね。欠点が無くてさ」


 冗談めかしてウィンクしながらそう言ってくる。実際そうだし言い方に嫌味がないので特にムカッとはしない。「そうだね」とだけ相槌を打つ。


「ちょ! 突っ込んでくれないと恥ずかしいんですけど!」


「アンタら、手伝うのかイチャイチャするのかどっちかにしてよ」


 日誌を書き終えた彩音が教卓の陰から首だけ出してこちらを見てくる。彩音の身長は教卓とほぼ同じ高さらしい。さらし首にされている人みたいだ。


 奏はさっきまでより雑に残りを消して手をパンパンと叩いて粉を払う。


「よし! じゃ、いこっか!」





 スタジオ練習はあっという間に終わった。それなりにお金もかかるので、音楽室を使うときのようにダラダラと何時間も練習する事ができないからだ。


 夜も近くなって薄暗い外で、永久が会計を終えるのを待つ。


 永久はすぐに出てきた。浮かない顔をしている。


「うーん……やっぱ山に籠もるしかないかなぁ」


 永久が腕を組みながら顔を傾げる。


「やっぱそうだよね。彩音は週末バイトあるの?」


 奏が彩音に確認している。


「山籠りだと思ってたからシフト入れてないよ」


「私も大丈夫です」


 僕を除いた皆には「山籠り」なるイベントの共通認識があるみたいだ。


「あの……山籠りってなんですか?」


 永久はニヤリと笑い僕に耳打ちしてきた。

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