第6話 バンド脱退、加入⑥

 奏にデートだと言って連れてこられたのは、駅近くにある寂れた喫茶店だった。名曲喫茶と書いてある。


 奏について中に入ると、大音量でクラシックが流れていた。聞き覚えがあるけれど曲名が分からない。


 二人がけのソファに通され、奏と横に並んで座る。目の前のテーブルには注意書きのまとまった紙が置いてあった。


『会話はお控えください』


『電話はお控えください』


『店内の撮影はお控えください』


 どうやらここでは音楽を聴くか、飲み物を飲むか、本を読むか、くらいしかやることが無いみたいだ。


「ねぇ、ここって……」


 奏に話しかけようとすると、人差し指を僕の唇にあててくる。そういえば会話はダメな場所だった。奏は無言でテーブルに立てかけられたノートを指差している。これで筆談をするのだろう。徹底されていると感心する。


『ここに何しに来たの?』


『好きなことしてていいよ。この席に座りたいんだけど、一人じゃ案内してもらえなくて』


 そんな事のために僕は呼ばれたのか。デートだと言われてウキウキしていたのが恥ずかしい。ただの数合わせだったみたいだ。


 少しすると店員が注文を取りに来た。長いエプロンにフォーマルな白シャツに蝶ネクタイ。黒髪のツインテール。低い身長。彩音だった。ここでバイトをしていたのか。


 彩音は無言でメニューを差し出してくる。奏は慣れたものでコーヒーを指差している。僕は紅茶を指差した。


 チラッと彩音の顔を見ると、なんだかすごく怒った顔をしていた。あまりここには知り合いは来てほしくないのだろうか。だが、音楽室の時のように大声で怒鳴ることも出来ないので、そのままメニューを脇に挟んで奥へ引っ込んでいった。


『彩音のバイト先ならそう言ってよ!』


『びっくりしたでしょ。もうびっくりイベントはないから気楽に音楽に身を委ねておくれ』


 奏は一人で目を瞑り、ソファに深く腰掛けた。このまま寝そうな姿勢だ。僕も奏に習い、目を瞑って音楽に耳を傾けることにした。




 目が覚めると奏にもたれかかって寝ていた。飛び起きると、奏はこちらを向いて声を殺して笑っている。目がクシャッと潰れている。口に手を当てているため八重歯は見えない。


 奏が肩をつついて時計を指差す。そろそろ帰るらしい。いつの間にかテーブルに置かれていた紅茶を一気飲みしてレジに行く。


 会計の担当は彩音だった。なんだか注文を来た時よりも更に無愛想な態度だった。


 外に出ると、湿度の高い生ぬるい風が吹いている。雨は降っていないが、これから天気が崩れそうだ。


 途中まで家の方向が同じなので奏を送る流れになった。二人で暗い夜道を歩く。


「今日はありがとね。付き合ってくれて」


「始めてきたけど、なんだか尖ったお店で面白かったよ」


「そうでしょ! 彩音のバイト先っていうので行ったのがきっかけなんだけど、気づいたらハマっちゃってさ」


 好きな事を話しているときの奏はとてもキラキラしている。教室で音楽の話はあまりしたことが無かったけれど、これからは話題に困らなさそうだ。


「遅くなったけど親は心配してないの?」


「あー……大丈夫だよ。皆遅くまで仕事してるから」


「そうなんだ。会社が忙しい感じなの?」


「ううん。うちって音楽一家って言うのかな。親が二人共作曲家なんだ。それぞれ自分の部屋で作業してるから多分私が居ても居なくても気づかないよ」


 高校に入って三ヶ月も経っていないが、奏の顔に影が落ちているところは初めて見た。いつも明るく振る舞っているが、奏にも悩みはあるのだろう。


「ま、暗い話をしてもね。奏吾くんは大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。さっき連絡したから」


「おお。マメだねぇ。孝行息子だ」


 奏は一人で頷いている。


「ねぇ、今更だけど、サクシに加入したこと後悔してない?」


「後悔なんてするわけないよ! サクシのメンバーとしてステージに立てるなんて夢みたいだよ」


「そっかそっか。それなら良かったよ。憧れは憧れのままで、みたいな考え方もあるからさ」


 僕と反対の方を向きながら話すので表情は分からない。声はいつも通りなのでネガティブな意味ではなさそうだけど、真意が分からない。


 下手に突っ込んでも面倒なので「そうだね」と相槌だけ打って、スルーすることにした。


 二十分くらい歩くと、奏の家に到着したみたいだ。表札に「和泉」と書いてある。辺りの家もそうなのだが、庭を囲む塀が高くてほとんど家が見えない。塀の装飾も細かいし所謂高級住宅街というところなのだろう。


 奏は特に鼻にかけた様子もないし、こんなお嬢様だとは知らなかった。


「じゃ、今日はありがとね。あと、連絡先聞いといていい? バンドのグループにも招待したいし」


「あ、そうだね。お願いします」


 何気に高校に入学して初めて女の子と連絡先を交換した気がする。休み時間は数少ない男で固まるので、連絡先を交換するほど仲の良い女子はいなかった。


「ありがと! それじゃ、おやすみなさい」


 奏はいかつい門を開けて家の中に入っていった。


 家に帰ると、早速僕と奏が放課後に名曲喫茶に行っていたことがバンド内で流出していた。彩音がこっそり永久と千弦にバラしたのだろう。


 永久からの質問攻めが深夜まで続く散々な一日となった。

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