第4話 バンド脱退、加入④
「えーと……須藤奏吾君ね。俺は安藤恭平。永久の兄です」
再びみんなで楽器を置いて輪になって座る。恭平の座る位置が僕にかなり近いのが気になる。女子ばかりのバンドなので男がいて安心しているのだろうか。
「お兄ちゃんがベースのユキ。大学が忙しいから正規メンバーじゃなくて、最低限で手伝ってもらってる感じなんだ。実は絶賛正規ベーシストを募集中なんだよ!」
永久がユキの中の人こと恭平を紹介してくれた。正規のベースを募集中らしいが初心者に毛が生えた程度の僕にとっては縁遠い話だと思った。
永久が「お兄ちゃん」と言うとなんだか新鮮だ。本人が大人びているので妹ぽさが少ないからかもしれない。なぜだか分からないが永久が発するとゾクゾクする単語だ。
「そ、そうなんですか。僕、ユキ……恭平さんに憧れてベースを始めたんです。うねるようなベースラインがとってもかっこよくて。毎日コピーして練習してるんです」
憧れのユキが真横にいる。よく見ると女の子のように綺麗な手をしている。深爪気味で光を反射している爪はこまめに手入れされているみたいだ。ベースを弾くときに爪が当たって邪魔になるため、僕も深爪気味にこまめに手入れをしている。
「それは嬉しいねぇ。だけど、ベースラインを褒めるなら、俺じゃなくて奏だな」
「どういうことですか?」
「俺はあくまでサポートって立ち位置だからな。新曲を作る時に奏がベースの譜面も書いてくれるんだ。ちょっと手癖で変えるけど、基本は奏の案だな」
さっき奏が謝ってきたのは、自分が書いたベースラインで初心者を苦しめていたからなのだろう。いい練習になったので個人的にはむしろありがたかった。
僕が憧れるべきはユキ、もとい恭平ではなく、奏だったと知るとなんだかムズムズした気持ちになる。たまに話すだけのただの同級生だと思っていたのが、急に遠い存在に感じてしまうようになった。
「そんな大したことしてないよ。お弁当を作るのに一人分も二人分も作る手間は変わらないのと同じだよ」
奏は独特な例えで謙遜をする。ポカンとしているのは僕だけみたいだ。皆はこれに慣れているのだろうか。
「話が変わるけど、そろそろ大学がヤバくてな。今年は本気出さないと留年しそうなんだ」
憧れのベーシストが大学の留年だとか言っている姿は見たくなかった。
「あぁ、その件なら大丈夫だよ。もう次は見つかったから」
「そうだねぇ。これで、これからも活動は続けられそうだよ」
永久と奏が二人でニコニコしている。僕もサクシのライブをこれからも見られるのであれば嬉しい。ユキの中の人が変わってしまうのは残念だが。
「あれ? 誰か紹介されてましたっけ。心当たりがないですよ」
「私も聞いてないわね」
千弦と彩音は知らないみたいだ。誰なのだろうか。
「ここにいるよ」
永久の言葉で辺りを見渡すが、僕達の六人以外は誰もいない。気づくと永久と奏の視線が僕に注がれていた。遅れて後の三人も僕を見てきた。
「えええ!? こいつなの!? ありえない! ユキさんの事は仕方ないにしてもこいつが後任? 初心者なんでしょ!?」
彩音が拒否反応を示している。僕もいきなり聞いた話だし心の準備も出来ていない。
「いやいや、無理ですって! 彩音の言う通り、僕なんて初心者みたいなもんだし……」
永久が立ち上がって僕の前まで来て前かがみになる。少しだけ見上げると永久の顔が間近にあり、緊張してしまう。永久はかなり整った顔立ちをしていると思った。鼻が高く、切れ長の目と薄い唇が印象強い。
「じゃあいつになったら初心者じゃなくなるんだ? 一日三十分しか触らない人が一年続けたのと、毎日六時間触った人の一ヶ月は同じなのか?」
「そ……それは……」
「ウダウダ言ってないでやんだよ。奏吾にはその実力があるって、さっきので皆が認めたんだから」
永久の言っていることは分かるけれど、今さっきトワイライトをクビになったばかりなのだ。自分に自信が持てない。
「永久、パンツ見えてるよ」
僕の向かいに座っていた奏が割って入ってくる。永久はかなり腰を曲げて前かがみになっていたので、向こうからのアングルはかなり際どかったみたいだ。永久は小さく悲鳴を上げるとその場にしゃがんでしまった。
横からハイハイで奏が近づいてくる。永久の横に座ると僕の手を取った。
「私ね、BBCで奏吾くんの演奏を聞いた時、こんな人がメンバーに居てくれたらいいなって思ったんだ。指先、すっごく硬い。毎日練習を頑張ってる証拠だね」
奏が優しく語りかけながら、僕の指先をプニプニと触っている。最初の一ヶ月はマメがあちこちにできていたが、最近は手の皮も分厚くなってマメも出来づらくなっていた。
「別に完璧じゃなくていいんだよ。私達もまだまだだから。きっとそういう運命だったんだよ。今日、トワイライトをクビになったのもね」
奏が僕の手を強く握ってくる。女子にこんな風に接された事がないので照れてしまう。顔が熱くなってきた。
実際のところ、バンドを首になってしまったので、現状ではライブに出たりすることが出来ない。軽音楽部の部員同士で組んでいるバンドもベースは埋まっていたはずだ。
僕はこれからもベースを弾いて、ライブに出たいと思っている。サクシであればそれが出来る。しかもトワイライトなんかよりももっと大きなステージに立てるのだ。これは大きなチャンスだと思った。プレッシャーもあるけれど、掴まなければならない。
「や、やるよ。やるから、手を離して」
「ありがとう! じゃ、よろしく! 永久、セットリスト渡しといてね」
奏はさっきまでの神妙な態度とは打って変わって明るくなり、キーボードの方に歩いていった。
僕が戸惑っていると、永久が笑い始めた。
「北風と太陽作戦、大成功だね」
「えぇ……そんなに北風も冷たくなかったですよ」
「奏吾って意外とM気質なのかな。これからが楽しみだな」
カバンからセットリストが書かれた紙を取り出しながら永久が話す。次のライブがいつなのか知らないが、その時用のものだろう。セットリストにある曲は全部知っていたし、音源を聞いてコピーもしたことがある。ちょっと練習すればすぐに合わせられそうだ。
「ちょっと! 本気でコイツを入れるつもりなの? 脅迫犯かもしれないのよ!」
彩音は断固反対のようだ。
「じゃ、彩音が連れてきてくれるのか。奏吾より上手で手が綺麗でお兄ちゃんと背丈が似てる人」
彩音は言い返せないのか黙ってしまう。なんとなく僕が誘われた理由がわかってきた。そこそこ弾けて、恭平に背丈や手が似ている人を探していたのだろう。
少し間があって彩音が再び口を開いた。
「分かったわよ。でもちょっとでもミスするようだったら容赦なくぶっ叩くから! 覚悟しなさいよ!」
「彩音は素直に言えないタイプですからね。気にしないでください」
千弦がフォローしてくれる。一応、彩音以外からは歓迎してもらえているみたいだ。
こうして、僕は憧れのバンドであるCircleCに加入することになった。
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