第89話「北海道合宿3」

 鬼だ、鬼が居た、あんなのが鬼じゃ無かったからなんだって言うのだろうか、ダンジョンで見かけるゴブリンなんてあの人に比べれば、マスコットキャラだ。


 こちらは観光気分で参加していてた合宿だったのに、十和子は初っ端から裸足でランニングさせると言う暴挙に出た。

 ランニングが終わると抜身の日本刀での素振り、手を滑らせて刀が飛んでいったら何が起こるか解らない。

 当然周囲には関係者意外誰も近寄らせないのだが、訓練を行っている場所は借りている道場のすぐ横だった、美奈子にすらも覗かないよう厳命していた。


「素振りはここまでに致しましょう、これより約束稽古を行います、最初に涼子さん、次は聡志さん、最後に和美さん、私に斬りかかって下さい」


 決められた型を行い師範に打ち込んでいくのだが、手にしているのは真剣だ、私達3人なら一瞬で十和子を真っ二つにする力も、技量も有る。

 命令通り斬りかかる私達もおかしいが、受けての十和子師範はいかれているとして言えない、しかし師範は涼しい顔で技を受けて居る。


一人目の涼子が10分掛けて、約束稽古を終わらせる、あの涼子が汗びっしょりで僅かに肩で息を行っている、北海道下だりまで来て、こんな恐ろしい稽古をする事を誰が想像していただろうか。


「素晴らしいしいです涼子さん、あなたが戦国の世に生まれていればと残念で成りません。次は聡志さん打ち込んで来て下さい」


 僅かな時間休憩を取っただけで、十和子が打ち込んでこいと言う、今日が天気で良かった、雨天で同じことをやらされてたらと思うと背筋がゾッとする。


中段に剣を構えて、教わった通りに剣を振るっていく、これが竹刀だったら何の躊躇いも無いまま打ち込めるのだが、同じ動きの筈なのに真剣を持つだけで、途端に緊張して体中の筋肉が重く感じる。


わずか10分の約束稽古が終わった時、私の足は震え、立つことが難しい状態だったのだが、森下の手前跪く事なく立ち位置を森下と交代出来た。


「聡志さん、己の中の自分と向き合って下さい、あなたならもっと正確にもっと早く打ち込む事が出来るはずです」


 私に返事をする余裕は無くただ頷いていた、汗はダラダラ出ているし、肩で息をしている、ここ最近こんなに疲労したことが有っただろうか、既に道着が汗で色変していた。


「和美さんは短刀ですが大丈夫ですね」

「はい、行くっすよ」


 軽い返事を返した森下は、抜身の短刀を躊躇なく師範に対して突き出した、殺っちまったかと思った瞬間森下の短刀は僅かに師範の脇を通り抜けて居て、スッと引き戻された短刀がその後何度も、師範の身体をすり抜けて行く。


永遠のような時間だったが、森下の約束稽古も、練習と同じ10分で全ての型が終了していた。


「お見事です、練習と寸分たがわぬ動きでした、和美さんには今日から師範を名乗って下さい」

「そういうのはいいっす、人に教えたりするのは苦手なんすよ」


 森下は汗一つかかずに約束稽古を終えて居た、師範も真剣を構えて居るのに、より短い短刀で向かっていき練習通りの型を見せる、恐怖心と言う物を克服して居るのだろうか、1番最初に出会った時の印象とは全く別物の人物がそこに居た。


「では木刀に持ち替えて稽古を続けましょう、私はお三方についていける程の体力も技も有りませんので、それぞれで戦って下さい」


 最初に私と涼子が木刀を持って戦った、いくらか身体に掠らせ当ててしまったが、私が涼子から一本取る事は出来なかった。逆に涼子の方は、私から好きなタイミングで一本を決まれて居る。


次に涼子と森下が模擬戦を行う、戦況は圧倒的に涼子が優勢だったのだが、何十本に1回、森下の短木刀が涼子を捉え一本を入れている。私では一度も打ち込む事が出来なかった涼子にたいして、森下が打ち込んで居たのだ。


動揺の隠せない私と森下が模擬戦を行う番が来た、訳が解らくなった私は、兎も角スピードだと全力で移動し森下に打ち込んでいく。


森下と戦ってみて解った事は、身体の動きそのものはそんなに早くない、こちらの打ち込みは森下を捉えて行くのだが、時々不意に森下が消える事が有り、『危機察知』が働いている筈なのに、森下の一撃を食らってしまうのだ。

 10回の内1度か2度、完全に感知出来ない場所から短刀の一撃が飛んでくる。


実戦で森下と戦う事に成れば、遠距離から延々と魔法を打ち続けるので、負ける事は無いだろう。しかし限られた戦いの中に置いて、低確率では有るが私が屍を晒す事になりそうだ。


これが私と涼子だとどうか、遠距離からの魔法を避け、一瞬で近寄った涼子に首を落とされるような事もありえるので、遠距離でも負け筋が有る。近距離に至ってはまず、私の攻撃は涼子に通用しないだろう。


涼子と森下は・・・涼子が勝てるとは思う、しかい森下が勝つ可能性は0では無いだろう。私よりは断然森下の方が涼子に対して分が良い。


「それでは今日の練習はこれまでにして置きましょう。午後からは美奈子の相手をしてやって下さい」


 道場に入る前に汚れた素足を洗い、シャワーを浴びてから着替えを行う、更衣室から出ると涼子が待っていてくれたが、何処かで休まないと歩く気力が湧いて来ない。


「森下さんは」

「お昼ごはんを作りに行ったよ」


 元気過ぎるだろ、今から昼飯を作りに行くなんて、彼女には精神的疲労と言う物が無いのだろうか。


「森下さん急に強く成っててビックリしたよ」

「そう?和美さんは最初からすごかったよ」


 私と涼子では見える世界が違うらしい、色物かと思っていた森下を涼子は最初から評価していたようだ。

こんな時には甘い缶コーヒーだと『収納』していた缶コーヒーを2つ取り出し、一本を涼子に渡し、私は一気に蓋を開け飲み干した。いつもなら口にしない甘い珈琲に、癒やされた気がする。



 昼食は皆揃って素麺を食べた、紀子はプールがよほど楽しかったのか、プールの話題しか口にしてなかった。昼からもまた、ウォータースライダーを滑りに行くんだと意気込んでいたが、昼を食べてお腹が膨れると、横に成って昼寝をしてしまった。




「聡志君、全力でお願いします」


 午後から私と涼子は美奈子の面倒を見ている、初心者の頃世話に成っていたので断る事は出来ない。

 森下は剣道は解らないと、あずみ達と一緒にプールへと流れて行った。


「無理したって上達しないと思いますよ」


 美奈子は私と涼子2人を交互に相手にして、打ち込み稽古を行っていた、オーバーペースだと思うのだが止められない。


「美奈子先輩って部活じゃどんな感じなの」

「私ですか、レギュラーに選ばれる当落線上の選手だと思っています。来年涼子さんが入学してくると、その線上からも落ちてしまうと思っています」


今2年と3年の選手は、去年の練習で会っている筈だからおおよその力量は把握している、半年以上会っていないから実力を伸ばして居る部員も居るだろう、しかし美奈子が大会に出られないとは思えなかった。


「2年と3年にそんな人居たかな」

「1年生が3人レギュラーに入っています」

「5人1組でしたっけ」

「5人と2人の補欠の5人です、個人戦は県大会のベスト16で敗退しました」


 7人の内3人が1年生か、2年3年を割って入るにはそれ相応の実力が必要なのだろう、県大会のベスト16にはいれて居るなら通常だと団体戦に出場出来る筈だ。


「千葉さんでしたっけ、あの人個人戦どうだったんですか」

「千葉県代表です」


 つまり優勝したと言う事か、ストイックな感じだったし、雰囲気も有った、彼女が県大会を制したと聞いても驚きは無い。


「残り2人の1年生は?」

「私とは違ってセレクション組です、中学時代にも成績を残されています」


 美奈子は一般入試で入ったんだったか、推薦を貰っていたような記憶が有るが、部活での推薦な訳が無いか。


「リュウ君回復魔法使って上げたら」


 涼子が小声で耳打ちしてきた、なるほど、体力を回復させれば動けるし、数を重ねたらそれなりに上達するだろう、なんせ相手をするのは常識の埒外に有る私と涼子だ。


 涼子が差し入れにドリンクを渡しているすきに、美奈子に気づかれないよう後方にまわり、呪文を唱えると回復魔法を掛けた。


「なんだか疲れが取れて身体が軽くなった気がします。まるで魔法のドリンクですね」

「その言い方危ない薬みたいですね、だたのスポーツドリンクですよ」


 その後何度と無く回復魔法を掛けて、美奈子をコテンパンにしてしまったが、アレで少しでも上達する事を祈って、美奈子の練習をお開きにした。




 2日目の練習は私や涼子に取っては楽な物だった、恐らく森下だって苦では無いだろう。


「山を越え谷で落ち♪」

「森下さん何の歌なんですか、それ」

「知らないっすか、アニメの歌っすよ」


 谷で落ちちゃ駄目なんじゃないのか、音程も外れて居る気がするし、最後まで何のアニメかは解らなかったが。


「和美さん余裕が有りますね」

「余裕なんて無いっすよ、山歩きするならもっと早く教えてほしかったっす、ザイルやハーケンを持って来たかったっす」


 私達が行っているのはトレッキングと呼ばれる山歩きで、ザイルなんかを使う予知は無かった。

トレッキングを行っているメンバーで、唯一息が上がっていたのは美奈子だった。


「十和子先生こそ余裕っすね」

「山歩きは慣れてますから、若い頃には筑波山を周った物です」


 十和子のペースでトレッキングを行っているから、常識的な速度では有る、山歩きに慣れていないとは言え、この程度の速度なら疲労感すら感じない。

 3人とも汗すら掻いて居無いのでは無いだろうか。


「山頂でラーメンを食べるのもいいっすね」

「和美さん、いくら私でもこんな軽装で山頂には挑みませんよ、歩き難い山道を周って戻ります」


 一瞬山頂でカップラーメンも良いなと思ってしまった、十和子の白い目を向けられると怖いので黙っていたが。


「リュウ君山歩きにはチョコが良いんだって、昨日お母さんが言ってた」

「甘く無い奴なら」

「甘いのが良いんだよ」


私と涼子がじゃれていたら森下が絡んで来る、いつもなら絡まれっぱなしなのだが反撃に転じてみた。


「昨日プールで素敵な出会いは無かったんですか」

「無いっすよ、全然無いです。子供連れとカップルしか居なかったっす」


 まあそれはそうか、女同士やナンパ目的の男達が来るような場所じゃない、大きな滑り台が1番の目玉らしいからな。


「それなら和美さん、明日札幌市内に向かわれたどうでしょうか。伊知子さんの札幌での用が済んだと連絡が有りましたので」

「小田切先生もう北海道に来てたんですか」

「はい、私達より一足先に到着されて居たようですよ」


 少し残念だ、小田切の冒険者仲間に会えるかと考えて居たのだが、向こうからの接触を待っていたのでは駄目だったか。


「十和子先生明日の練習はお休みなの?」

「そうですね、皆さんがこんなに元気だとは思いませんでしたので、美奈子のように息も絶え絶えに成るのが普通なのですがね。涼子さん達は山歩きに慣れて居られましたか」

「カンナ山くらいしか登って無いですよ」

「そうですか」


 レベル上げに集中していて、基礎訓練なんかは、十和子道場でしか行っていなかったが、考えて見るとダンジョン内はずっと徒歩で移動だったな。一回のアタックで2時間は移動していたから、長距離の移動も平気なのだろう。




「十和子師範、休憩を取らなくても大丈夫ですか」


 私が美奈子を気遣って休憩を提案してみた、朝出発してから2時間は有るき続けている、私も涼子も体力には余裕は有るが、森下はトイレに行きたいのかモジモジしだして居る。


「そうですね、それではもう少し先に進んだ場所で休憩しましょう」


 山道で休憩するのは避けようと、少し進んだ開けた場所で休憩を取る事になった、美奈子は体力の限界とばかりに到着次第座り込んでしまった、十和子は表情が変わらないので調子は不明。

 私は雉撃ちに行くため、その場を離れると十和子に告げに行くと、森下が私の後ろを付かず離れず着いてくる。


「なんで着いて来るんですか」

「聡志君、こちとら限界でお喋りしている余裕が無いんすよ、出すもの出して貰えますか」


マジか、出しても良いのかと下らないシモネタを考えてしまった、ようはトイレに行きたいからプレハブ小屋を出せと言いたいようだ。


「誰かに見られませんか」

「見られたく無いから出せって言ってるんすよ、もう限界っす、ここで出して聡志君にぶつけるっすよ」


 何をぶつけられるのか、聞きたくなかったのでプレハブ小屋を出してやった、山の中で安定するかと心配したのだが、転がる事なく出す事が出来た。

 ドアを開けて中に飛び込んだ森下は、トイレに入るなり唸り声を出し始めた。



「聡志君何処に行くつもりっすか」


 スッキリとした表情の森下に呼び止められた、私も外でするよりはとトイレを使おうとしたのだが。


「トイレですが」

「今入ったら、聡志君を刺して私も死ぬっす」

「トイレに入るだけなんですが」

「聡志君、死にたいようっすね」


 何でトイレに入るだけで死ぬか生きるかの話になるのだと、言い合いに成っていたら涼子が探しに来て仲裁してくれた。


「それはリュウ君が悪いよ、私が先に入るから、リュウ君はその後ね」

「涼子ちゃんにも遠慮して欲しいんすけど」

「和美さん大丈夫、私消臭剤持っているから」


 解っては居た事だが、つまり森下は大きい方をして、臭いを嗅がれるのが嫌だった、つまりそういう事だろう。

涼子が入った後も直ぐにはトイレを使わせて貰えず、暫く待ってから中に入って用を足した。



「大丈夫でしたか」

「もう平気っす、十和子先生はここで出したんすか」


 何を聞いているんだか、随分と待たせてしまったが、その間に十和子も美奈子も用を足していたようだ。


「私は羆の事を聞いてたのですが」

「クマが居るんですか、この山に」

「さあどうでしょうか」


 十和子が笑いながらそう答えて来たので、恐らく居ないのだろう、デリカシーのない森下に対する嫌味だろう。


「お昼ごはんに間に合うように帰りましょうか」

「「「はいっ」」」


 トレッキングを再開して皆が待つコテージへと帰った。

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