第8話「卒業」

 水曜に登校したが級友からはもう風邪は平気なのかと尋ねられただけで済んだ、表向きの理由が信じられていたようで涼子も口裏合わせに協力してくれたようだ。昼休み前の給食を食べ終わった後情報通のあずみに島田の事を確認してみた。


「2年の島田先生ノイローゼだって聞いたけどそれ以上は知らないわよ」


 島田の話は全体に広がって居た訳では無く私の班ではあずみ以外島田の名前すら知らなかったようだ。


「それより聡志君具合が悪くて休んで居たのは聞いたんだけど歌詞カードの方は用意出来てる?月曜に佐伯さんがスコアは用意してきてくれたけど練習時間なんて余り取れないんだから今日とは言わないけど明日か明後日にはお願いね」


 歌詞カードと音源の事を全く覚えて居なかった、あの状況でそんな事まで気の回る奴なんて居るのだろうか、私は昼休みが始まると早々に職員室に向かって鈴木に合唱の話を確認する。


「CDは私の方で用意して置いたが歌詞カードは緒方に頼んでも大丈夫か、あんな事が有った直後だしなんらな私が用意しても良いぞ」


 私は鈴木から歌詞カードを受け取るとその足で生徒会室を訪ねた、生徒会室には美奈子と数人の委員が居て、私のパソコンを使わせて欲しいと言う願いはすんなり聞き入れてくれた。昼休みの間に送る会のプログラムと、A4用紙に収まる歌詞カードを完成させ、歌詞カードの方は鈴木に頼んで人数分コピーする了承を得て、印刷室で歌詞カードを刷った。

 なんとか昼休みが終わる前に準備を終わらせ歌詞カードの配布は学級委員2人に任せると、放課後前のホームルームで配ってくれる事になった。


 放課後出来上がったプログラムを手にして高野の元へと向かう、幸い部活に出る前の高野を捕まえる事に成功するとプログラムの原案を手渡した。


「上等だろ、去年のより数段良いと思うぞ、このまま複写してしまい所だけどそれは先生に確認を取ってからだな。サンキューな聡志後は俺の方で段取りを組んで見るわ、もし先生から直せって言われたらその時はまた頼みに行くかも知れないけどな」


 これにて実行委員の仕事は私の手から離れた、5組の演劇も無事行われるようだしこれ以上何事も無く平和に3年生が卒業して欲しい物だ。


 3月に入って直ぐ高校入試が始まるそうなると、3年の授業は無くなり、在校生も卒業式関連の行事一色に変わる。入試が終わった最初の金曜日に3年生を送る会が実行され、私の知る世界では出来なかった2年5組の演劇も時間を若干超過しながらも無事に演じる事が出来た。


 高校の合格発表が行われる前日に卒業式が行われた、私が親しかった3年生は加藤由希子と谷口志郎、特に志郎には私自らがコサージュを胸元に付けてやった。


「聡志俺横浜の高専に行くから夏休みにでも遊びに来いよな」

「もう合格した気分で居るの?」

「横浜高専は国立だから試験日が早いんだ、だから合格の通知も既に貰ったんだよ」


 高専は国立なのか、そんな話もかつて聞いた気がするが記憶の彼方に置いて来た、前の世界でも志郎の寮に遊びに行った記憶があるあの時は誰と行ったのだろうか、その辺りの記憶は曖昧だ。


「そうなんだおめでとう、連絡先を教えてくれないと遊びにも行けないけどね」

「ああ連絡先は・・・」


 慌ただしい卒業式の前に連絡先を教えてもらい見送る、式はつつがなく終わったが最後まで島田の話は校長の口から話される事はなかった。嘘でも病気療養中だとか言い繕う事は出来そうなのにそれすらしたくないのであろうか。

 式が終わって体育館から正門に向かう道筋に在校生が並び卒業生を見送る、感極まって泣き出す女性徒が数人目に入る、しまった志郎と由希子には花束くらい用意しとくんだったなと思ったが後の祭りだ。


 卒業生が居なく成りいよいよ美奈子の世代が中心になって生徒会を運営していく、私には然程関係無い事だが道場では顔を合わすのでそう無下にも出来ない。卒業式が終わった週の日曜日は、ホワイトデー前最後の日曜でも有ったからクッキーの詰め合わせを買いに行かないとならない。

 今は懐が温かいから多少高価な物でも大丈夫だ、ついでにあまり甘く無い菓子を私と紀子用に確保為ておくのも有りだな。

 自室には例の400万は既に無い、数回に分けて銀行口座に振り込んで置いた当然ATMから振り込んだので親にはバレて無いと思う。

 日曜の昼食は明星親子と一緒に摂る事がパターン化してしまっていたのだが、ここで涼子が余計な話を振ってきた。


「リュウ君お昼からどうするの?」

「ちょっと買い物に出るつもり」

「何処に?何で私を置いてくの?」


 俺は1人で買い物に行っては行けないのだろうか、涼子にこんな束縛壁が有るなんて初めてしった。


「14日のお返しを買いに行くの、涼子以外の分もあるんだから一緒に行くの嫌でしょ」

「ああそっか、御免御免」


 照れながら涼子がはにかんで居ると、悪い顔をした美奈子が私と涼子をからかってきた。


「そうですね、私も忘れて居ました。道場に通っている男の子皆さんにチョコレートをお配りしたのでした。聡志さんが入って来られたのはバレンタインデーを過ぎてからでしたので今からお渡ししないと駄目ですね」


 甘い物は苦手なのだと引き留めようとしたのだが間に合わなかった、そくっと立ち上がった美奈子は、数分もしない内に手に包装された箱を持って来て私に手渡しながら言った。


「涼子さんと2人で召し上がって下さい、それなら甘い物が苦手でも大丈夫ですよね。そうですねお返しには手作りのクッキーを希望しますのでデパートに買いに行かなくても平気ですよ」

「それ良い、ねえリュウ君私も手作りクッキーが食べたいな。私も手伝うからね、そうしよ」


 どう言う理由か全く理解出来ないのだが手作りクッキーを作らされるハメになった、定刻通り道場で鍛錬した後、商店街に寄って涼子の言うがままに、材料と包装用の箱と包みを購入する。明日から終業式までは短縮授業の上午前中で終了する、クッキーくらい作れ無い事は無いか。


 翌日の午後昼飯を取り終わった後涼子が尋ねて来たので、クッキー作りが開始となった。涼子の他には母と紀子がキッチンで待機している、昨日の晩クッキーを作りたいと言った時から介入してくる気マンマンだ。


「なんでリュウ君クッキーの作り方知ってるの?」

「昨日調べたからだよ」


 嘘だけどな、クッキー作りと限定するより調理を覚えたのは大学時代の事だ、当時付き合って居た千春がかなりの料理上手で一緒に手伝って居るうち何となく覚えた。               それに・・・北海道で逃げ回ってる間中料理を作る役目は私が請け負って居た、つまり料理を作る事は日常でそれ以下でもそれ以上でも無かったのだ。


「それにしては手慣れて無い?」

「聡志がキッチンに入るなんて初めてよね」

「目玉焼きくらいなら作った事あったんじゃない、よく覚えて無いけど」

「そうだったかしら」


 不審がる母と涼子の目無視しながらクッキーを作る段取りに入る、道具は母の使っている物を使わせてもらおう必要な物は全て揃って居た。最初に薄力粉をふるいに掛けて振るう、余ったら道場のお茶菓子代わりに出せば良いと合計2キロを使う。


「多すぎない?」

「余ったら道場の差し入れにするよ、いつも差し入れ貰ってばかりだからさ」

「そう言う話はもっと早くして置いてよ、私が差し入れもしない駄目な母親だって思われちゃうでしょ」


 子供達の面倒を見て居るお礼だと言われて、何も考えずに煎餅やおかきを食べて居たが、母の立場ではそうも言ってられないか、目まぐるしく時が過ぎて行ったから気が回らなかった。

 冷たいバターをかき混ぜ液状にし粉砂糖を分量分入れ混ぜ合わせる、馴染んだ所で卵黄3つを入れたのだが、私が卵黄を手づかみで入れて居る姿に母も涼子も驚いて居た。


「なんで割れないの?」

「何でかな、レシピの指示通りに作って居るだけだから判らないよ」


 卵黄と卵白を分ける方法は意外と簡単で、卵黄を掌に包み込むよう乗せると卵白が落ちて流れて行く、この方法を教えて貰ったのも確か千春だったと思う。完全に混ざって馴染んだ所で、一気にふるった粉を入れ今度は切るように混ぜて行く。


「いくらレシピを読んだからってこんなに手慣れて出来る物かしら、涼子ちゃんが影で教えてる訳じゃないわよね」

「家に来てもリュウ君を台所なんかに入れないよ」


 生地が一塊になった所で、スケッパーと言う道具で切り分けてはまとめ、方向を変えてまた切り分けはまとめる、4,5回繰り返した所で生地を休ませる為ラップを巻いて冷蔵庫に入れた。


「手伝おうと思ったのに手伝う隙がない」

「型抜きとか並べる作業が有るじゃ無いか」


 後は同じ作業を繰り返して生地を作るって行く、最後の生地だけは私や紀子が食べられるように甘く無いジンジャークッキーにして置いた。


「ココアや抹茶も作りましょうよ良いわよね聡志」


 母に興が乗ったようで何種類かのクッキーが追加されて行く、私が食べる訳では無いので好きにしてくれと私は生地を作るマシーンに徹した。


 全てのクッキーが焼き上がった頃には、日がどっぷり暮れて居て、これから後片付けとラッピングが残って居るのかと思うと気が滅入った。

 母が夕食の準備をして居るなか後片付けを進めて居るのだが、涼子と紀子の2人は自分用のラッピングをああでもないこうでも無いと、リビングのテーブルで行って居る。出来上がったクッキーを幾つか徹が部屋に持って行ったようだが、見ない事にしてやった、あいつも渡す相手が居るだろうからな。


「洗い物まで出来るなんてね、本当に何処で覚えたの?」

「母さんを見て覚えたって事にしといてよ、お腹が空いて夜食なんて作って無いからね」

「ああそう言う」


 実際には即席麺くらいなら作った事が有ったろうが、自炊なんてこの頃やろうと思った事はない。後片付けが終わった後、加藤姉妹のクッキーと千春の分のクッキーをラッピングして、誰かの分を忘れて無いかと思いだし真由美の分もラッピングを施す。


「それが美奈子先輩の分?」

「ああ美奈子さんにも作らないと駄目だったね、忘れてたよ」


 道場への差し入れ分と一緒に送れば良いかと思っていたが駄目なようだ、ちなみに美奈子から貰ったチョコは母が回収して行った、包装紙は私でも知ってる高級チョコレート工房で作られた物で、一粒で千円近くするんじゃ無かったろうか、流石に徹が口にするには早すぎる。


「じゃあそれは誰の分なの?」

「小川医院の真由美だよ今年もくれたんだ」

「もういつの間に貰ったのよ、私に言わないと駄目じゃない。私真由美ちゃんにお礼言ってないよ」


 何で涼子がお礼を言うんだか、ドンドン外堀を埋められて居る気がするがそれはそれで良いかも知れない、初めて付き合う相手が幼馴染みだと言うのも男の夢の1つだ。


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