第4話「不穏な贈り物」

 教室に戻って始まったのが英語の授業だったが流石に1年の内容ならまだついて行けるこれが3年だったら無理だったかも知れない。

 5限と6限の間の休み時間に後を向いてあずみに話掛ける。


「どうしたの聡志君」

「3組の幸田香代ってどんな子か知ってる?」

「聡志君同じ部活でしょ聡志君こそ知らないの?」

「テニス部って事?二学期に入ってから殆ど活動無かったから知らないと思う」


 部活が同じなら流石に顔くらいは知って居る筈だ、特徴的な胸部があるなら尚更覚えて置かないとおかしい。しかし体感的には30年も昔の事なのだ部活で数ヶ月一緒だったってくらいじゃ記憶に残って無くても不思議じゃ無い。


「私もそんなに知らないけど東西銀行の社宅に住んでるって話だからお父さんが行員じゃないのかなだとすると何年か後にまた引っ越しって事に成りそうって事くらいしか判らないかな」

「そうか東西銀行の・・・」


 嫌な話を聞いてしまった、東西銀行と言えば不正融資と債務超過で破綻処理された銀行では無いかバブル崩壊から数年経った頃だったから平成10年とか11年とかそれ位の頃だったと記憶している。

 その頃には幸田も大人な筈だから親が解雇されても生きて行けただろう。


「聡志君は東西銀行にお年玉預けてるの?」

「どこにも預けて無いけど」

「じゃあお母さんに預かって貰ってるんだ」

「自分で管理してるけどあずみさんは銀行に預けてるの?」

「私は郵便局に預けてるよ」


 お年玉か、優子や明雄に渡してやれたのは何時の頃までだったろうか、食うに困って民家に忍び込んで保存食を漁っていた私達にそんな事をしていられた時間は僅かしか無かった。


 子供の事はさて置き中1の頃どのくらい貰って居たであろうか、貰える当ては両親と母方の祖父母それに母の弟で有る叔父と父の妹である叔母夫婦くらいの物だ。その中で最も期待出来るのが叔母夫妻東京で2人共私立病院の勤務医として働いて居る。2人共襲撃の日に死んで居るとは思うが産科医の叔母が生き延びていたら救えた命が増えた事だろう。

 幸田の事を聞けたのはそのくらいの話だけだった、チャイムが鳴って教室に教員が入って来ると自然と話は打ち切られた。6限目半分くらいの生徒は船を漕いでいる、授業は古典で社会に出てから全く役に立たなかった授業の1つだ。教師もやる気が無いのか大半の生徒が寝て居る中粛々と授業が進みチャイムと供に授業が終了した。


 帰りのホームルームは特段変わった事は無く寄り道せずに帰るよう伝えられただけだった、こんな話を聞くためだけに15分間も拘束する意義が見出せない。1教師にシステムを変えるような気概は期待出来ないから、結局変わる事無く面々と続いて行くのだろう。


 放課後いつもと違って生徒会室で過去の送る会の資料を見つけなければ成らない、普段なら一緒に帰って居る涼子には先に帰るよう伝えて置いた。

 生徒会室は普段施錠されて居るので職員室に鍵を取りに行くと既に誰かが持ち出して居たようで鍵は無かった。その事を職員室に残って居た教員に尋ねると生徒会役員が連れ立ってやって来て鍵を持って行ったらしいから私と弥生の2人は一緒に3階に有る生徒会室へと移動した。


「失礼します」


 扉を開けて中に入ると生徒会役員らしい少年少女が集まって何か会合を開いている、題材は卒業式の内容についてだったから送る会とは別の話のようだ。


「あらあなた達は確か1組の緒方君に佐伯さんね、執行部のお手伝いに来てくれたのかしら」


 私と弥生に話し掛けて来たのは生徒会長で有る明星美奈子、間近で見たのは初めてでは無いと思うが率直な感想として美少女だと言える。私と弥生はお互いの顔を見合わして生徒会室に訪れたのは3年生を送る会の資料を閲覧する事だと言う旨を伝えた。


「送る会の責任者は高野君だったわね、去年の事を知らない1年生に仕事を任せるのは頂け無いわね。私の方から注意をしておくけどどうして2人で資料を調べる事になったのかしら」

「それは私と佐伯さん2人だけが委員で部活をやってないからです。事前準備は私達に任されて他の雑用や体育館の装飾、それに当日の司会進行なんかは全員でやることになりました」


 自分で言って置いてなんだが理不尽な話だ、責任者の高野に責任感なんて無いのだろうそうでなければ私と弥生が遅くまでかかってプログラムをプリントアウトする必要なんて無かった筈だ。


「1年生は全員部活動に参加する決まりだったと思うのだけど、どうして2人は部活に参加して居ないのかしら」

「私はテニス部で佐伯さんは茶道部だからです」

「ああそう言う事」


 テニス部が活動してない理由は前にも話したが茶道部が活動していないのは単純に部員が少ないからだ。今の3年が在席して居た頃は活動出来る最低限の人数は保てて居たが、現状2年と1年を合わせても規定の人数に達することが出来ず今年度で同じく廃部が決まっている。


「2人は納得して仕事を引き受けたんですか」


 納得なんてする訳が無い、強引に多数決を取って仕事を押しつけられただけの話だ。しかしそんな事、学生生活を送って居ればありふれた話でしか無い、適当に作業を行っていれば漫然と時間は過ぎ去って行く。


「私も佐伯さんも納得はしていませんが高野先輩もそれに他の委員も納得して委員を引き受けては無いと思うんですよ。私と佐伯さんがクラスで送る会の委員に選出されたのだって鈴木先生の指名で拒否権なんて有りませんでしたよ」

「そんなんですか・・・」


 それ以上美奈子からの発言は無かった、恐らく美奈子は正義感が強く平等同権を強く意識しているのだと思うがそもそも教員側にはそんな意識が無い。

 教員によっては話合いや選出方法を平等にと試行錯誤している人間も居るのだろ、ハッキリ言ってしまえば私と佐伯に仕事が振られてしまった大本の原因はその教員にこそ有る。

 仕事を振っても熟してくれる人間に鈴木がやったように指名してしまえば良いのだ、そうで有れば高野のような無責任な人間が責任者に選ばれる事は無かったろうに。


 佐伯と2人と去年と一昨年のプログラムを確認した、昼休みを挟んで午前に3時間午後に1時間半で行われ午前の部は在校生がクラス単位で卒業生に送る歌を歌い午後の部は有志のクラスと演劇部が演技を行い鑑賞して終了となるようだ。

 こんな物私1人でも充分準備が可能な物で態々2人で行う程の手間でも無かった、問題が有るとするならどのクラスが有志の演劇を行うかと言う事だけだが毎年2年のクラスが演劇を行って居るようなのでそう言う暗黙の了解が有るらしい事は判った。

 送る会が行われるのは高校の入学試験が終わった次の週の月曜日今年だと3月12日と言う事になり実質準備期間は一月も無い。


「明星先輩1つ質問をしても宜しいですか」

「はい構いません、判らない事はどんどん聞いて下さい」

「去年も送る会の準備は今くらいの日時から行われて居たんですか、午後に行われる有志クラスの演劇なんてとても準備が足りないと思うのですが」


 10月に行われた文化祭のクラスの演劇でさえ夏休み期間中から準備が行われて居た、文化祭で演劇を行ったクラスは全部で6クラスだけだったように思うが他のクラスとは明らかに作業時間が違って居た。


「有志クラスはもう決まって居て準備も冬休み前から行われて居ます。文化祭で演劇を希望して抽選に漏れたクラスが送る会で演劇を披露する事が決まって居るのですよ、今年は2年5組が送る会の舞台に立ちます」


 その言葉を聞いてハッキリと思い出した事が有る、今年昭和63年度の送る会で演劇が行われる事はない、プログラムに記載されて居た2年5組の演目を修正するために私と佐伯は遅くまで作業に追われていたのだ。


「2年5組ですかどなたが担任の先生でしたっけ?」

「社会科の島田先生ですよ」


 社会科の島田、そんな教員覚えが無い、かと言って授業を教わった教師全てを覚えて居る訳でも無い。

 でも困った、このままだとまた私と弥生の2人で作業のやり直しをするハメになる。手書きでさえ無ければ問題は途端に解決するのだが、まさかこの時代にパソコンなんて無いだろうかなら。


「あの先輩アレってパソコンですよね」


 生徒会室の隅っこにパソコンが置いてある、本体の上にモニターが乗ってあるストロングスタイルだが間違い無くパソコンで古めかしいプリンターまで接続されて居た。


「そうですよ、学校の備品です生徒会の予算と会計はあのパソコンで入力してフロッピーを岡林先生に渡さなければ成りません」


 岡林の事は覚えて居る、岡林雅也国語の教員で3年の時の担任だった。熱血教師に分類される金八世代で土曜日曜の区別無く学校に出て来ていた、陸上部の顧問で大学時代には箱根駅伝に出場経験もあるらしい。些細な問題をクラス全員の大問題に化けさせ問題解決の達成感を共有させる手法でクラス運営をしていたが生徒からの評判はめっぽう悪かった。数人岡林の事を恩師だと持ち上げている奴等も居たが私とはそもそも相容れない存在で卒業してから会うことは無かった。


「送る会のプログラム製作にあのパソコンを使わせて貰う事は可能ですか」

「構いませんが私達に使い方を教える事は出来ませんよ。会計ソフトの入力しか教わって居ませんので」


 会長の許可を得たのでパソコンの前に座ってざっと確認する、機種はかつて日本全土でシェアを握って居た国民機。

 私が大学の頃にはまだ現役でやがて互換機にその座を奪われ最終的にはマイクロソフトが覇権を握ってそのまま独走した。


 電源を入れて内容を確認する、DOSのバージョン3.3が入って居たHDDの容量は30MBフローピー換算で30枚弱の容量しかない。初期状態ではDOSが立ち上がる仕様で私が最初に触ったパソコンよりは数段劣る内容だったが使えないと言う程では無い。

 ディレクトリの中身を確認するとDOSの3.3と表計算ソフト、日本語ワープロソフトが入れられて居る。メニューソフトを入れたい所だがインターネットが普及するのはこの後10年は先だし、雑誌に載っている物は自分でプログラムを入力しないとならないので諦める事にした。

 送る会の情報は得られたので生徒会役員に退出の挨拶をし私と弥生は席を外す、時刻は16時半授業が終わったのは15時15分だったから1時間以上生徒会室に居た事になるのか。


「緒方君ってパソコン使えるんですか」

「入力するくらいならね、プログラムを組んだりなんかは無理だよ。佐伯さんはパソコンに興味があるの?」

「私は興味有りませんが、父が悪戦苦闘しているのでそんなに難しい物かと疑問に思って居たので」


 難しいかと問われるなら今の時代のパソコンなら難しいだろう、これが2000年代に入ると途端に簡単になるのだがこの時期にパソコンを覚えなくちゃ成らない大人連中には運が悪かったと諦めて貰うしか無い。


「佐伯さんのお父さんって何してる人なの?」

「商社って所で働いて居るみたいですがそこで何をしているのかは知りません」

「勤め先は東京?」

「東京にも支社はある見たいですけど本社は千葉市ですよ」


 千葉は県下最大の都市で県庁所在地、母の実家も有るがあそこで商社の本社があるって事は天然資源系の商社だろうか、そうなるとかなり大手って事になる試しに知って居る商社の名前を幾つか挙げてみたらその中の1社がヒットした。


「大日本千葉瓦斯なんだ」

「緒方君が知ってるなんて意外です、今まで誰に言っても知らなかったですから」


 エネルギー大手5社くらいなら経済新聞を購読しているような人なら誰でも知ってるだろう、私も僅かな期間だったが株式投資をしていた時期が有る。

 今日本の景気は最も上昇傾向にあるがこの先数年でどん底に突き落とされた上に棒で叩かれるような憂き目に合う、もし株式投資を始めるにしたって今じゃ無い。


 教室で荷物をまとめて学校を一緒に出て途中までは一緒に帰った、1人道を歩きながら今朝の贈り物について考える、沙耶がくれたものなのだろうかそれとも別の誰かが考えても無駄だとは判って居つつも独りでに足取りが速くなる。

 過去の記憶では下駄箱にチョコレートが入っていたようなベタな展開一度も無かったからだ。

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