第2話「甘くて苦い」

 皿洗いが終わり自室で学習机に向かってノートを開けると、今後の展開を箇条書きにして留めて行く。

 中学卒業後高校に進学、入った高校は普通科高校で進学高では有った物の東大や京大なんかに行ける訳でも無い、成績上位者なら早慶になんとか現役でと言う所で多くは地元の大学に進学していた。

 私は高校3年間を無難に過ごして真ん中より少し上の成績を取り、大学は地元の県立大学に推薦で入学した。


 大学4年間は遊んで過ごし、その上父が乗っていた車を譲り受けると人生で1番充実した時を過ごした。

 夜な夜な大学の女の子を助手席に乗せては都心へと遊びに出て、バブルの残り香を謳歌した。


 大学に続いて就職したのは実家の有る地元東兼市役所だった、自転車で20分も移動すれば登庁出来る場所に有ったが当然マイカー通勤で通った。

 妻優美子と出会ったのも庁舎内だった、3年後輩の優美子は東京の大学を卒業後何故か縁も縁も無い東兼市役所に入庁し、同じ部署で過ごす事になる。気があったのだろう、お付き合いから結婚にまで至りその後は順調に愛を育んで2人の子供を授かる。


 2015年40歳の頃ダンジョンが崩壊して奴らが氾濫し公務員生活が終わった、その後は逃げ続ける日々でろくな思いでは無い。

 そこまでメモしてノートを閉じた、再び同じ人生を送ったとしてもあの惨劇から家族を守るプランが思いつかなかったからだ。


 私の最初の運命の分かれ道は涼子が死んだあの日だったのでは無かろうか、彼女が死んだ正確な日付けまでは覚えて居ないが2年の夏休みの7月中、そして前日に良く判らない事を聞かれるそれだけ覚えて居れば彼女の行動を変えさせる事は難しく無い。


 その次は高校の選択だろう、私の学力で選べた進学先は通って居た進学高の他に県内1の進学高にも無理すれば入れた。

 そこは徹や紀子、そして父が卒業した学校だったのだが私は端から入る気は無かった。理由は無理してまで勉強したくなかった、それ以外に理由は無い。

 徹と紀子2人を比べた時より勉強に向いて居たのは徹だった、その徹でさえ東大や京大に合格する事は出来なかった。

 徹が合格したのは国立一期校の薬学部だったが私が徹以上に勉強するだなんて、今の自分で有ろうとも無理だとしか思えない。


 あの崩壊した世界では学歴なんて全く意味は無い、それでも今から崩壊を食い止めようとするなら国家機関に所属するか社会に影響出来る立場が必要が有るだろう。

 近道なのは東大や京大に入って官僚に進む道だが私には無理そうだ。


 そうなると手に職を付けた技術職、もしくは公的に武器を扱える自衛官か警察と言う事になる。

 建築関係や土木関係者は崩壊以後しばらくは重宝された、医師や看護師も勿論そうなのだが、私にできそうな仕事は医療従事者よりは工学的な技術者だろう。

 そうなると工業高校や高専への進学も考慮に入って来る。警察や自衛官は私には無理だ、家族を二の次にして公務に専念するなんて事出来そうに無い。

 

 あれこれ考えて居たが結論が出ない、受験を考えるまでにはまだ一年以上残って居るし、そもそもこの世界が仮初めの私の妄想だって可能性も残っている。

 机に向かったまま何をするでも無くボーッとしていると、涼子が家を尋ねて来たので部屋に上げた。


「リュウ君これチョコレート、受け取ってくれるかな」

「うん有り難う有りがたく受け取らせて貰うよ」


 チョコレートを受け取りながら冷や汗が出て来た、何故かってリュウ君と呼ばれた事に驚いたからだ。私の事をリュウなんて呼ぶ奴は、中学時代でも既に涼子以外に居ないのではないだろうか。

 何故私がリュウと呼ばれて居るのかと言えば、幼い頃に私がそう呼べと涼子に言ったからだ。

 切っ掛けは当時見て居た特撮の主人公がリュウと言う名前でそのリュウにドハマリしていた私が『俺の名はリュウ』なんて真顔で叫んで居たから涼子は私の事をリュウと呼んでくれた。

 辞めて欲しいのだがこんな事今話すタイミングでは無い事くらいは判る。


「リュウ君って真由美ちゃんからもチョコ貰ったって本当の話なの?」

「真由美って・・・?」


 頭の中で真由美の名前を検索するが姿形が思い浮かばない、そんな子居たかと頭を悩ませて居ると涼子が追加情報を与えてくれる。


「6年生の時3組の委員長だった小川真由美ちゃんだよ、リュウ君知ってるよね」

「ああ小川医院の」


 真由美は私と同じ医者の子息で中学の頃は真面目な娘だった、高校に進学するも直ぐに中退しドロップアウトしてしまい仲間内でも没交渉になって居る筈だ。

 今思い返すと中学3年間もまともに会話した記憶が無い、小学生の頃は親が医者だったよしみで仲良くしていた記憶はある。しかしチョコを貰った事なんてまるで記憶に残って居ない。


「どうだったかな覚えて居ないよ貰ったとしても義理だったんじゃない。おじさんやおばさんとも顔見知りだし」

「リュウ君それ絶体に他の人に言っちゃ駄目だよ、そんな話が広まったら女子から総スカンだからね」


 たわいの無い会話だったが1つ判った事が有る、涼子は私に好意を抱いて居るようだ、何故あの頃こんなに簡単な心の機微に気付かなかったのだろう。

 私は鈍感系主人公では無かった筈なのだが、中学時代の私はまだ心も体も大人に成りきって無く恋愛に興味がなかったのだろうか。


「ねえリュウ君、リュウ君って将来何になりたいかって具体的な目標ある?」

「具体的って就きたい仕事とかって話?プロ野球選手になりたいとかパイロットに成りたいとかって話じゃ無いんだよね」

「うんもっと現実的な話」


 中1女子の語る未来話ってのがそもそも現実性が無いしこんな話涼子とした記憶も無い、だとすればやはりここは私の生み出した夢の中の妄想なのかも知れないな。


「手に職を付けたいかな、大工とか電気工とかそんな事を聞くって事は涼子には具体的な夢があるんでしょ聞かせて欲しいな」


 顔を真っ赤にした涼子が顔を伏せがちにして1人語りを始めた。


「私お父さんと同じ刑事に成りたいの、お母さんや今のお義父さんは反対してるんだけど。少しだけ覚えて居る本当のお父さんの背中が格好良くて、いつか私もお父さんみたいに人の役に立てる人になりたいって思って居るの」


 涼子の母親が再婚してたなんて話初めて耳にした、自信を持って言えるが私以上に涼子と親しかった奴なんて男女含めて居ない筈だ。

 幼馴染みの異性親友だって言っても差し支え無いし、私が知らなかったのだし涼子からこの話を聞いた奴なんて他に居ないのでは無いだろうか。


「お父さん私が3つの時に死んじゃったけど優しい笑顔だけは今も覚えて居るんだ」


 そう言われて見ると涼子はどこからだか引っ越してきて、保育所で1人だった所を私が強引に仲間に引き込んだ。

 あの頃一緒に遊んで居たのは誰だったろうか涼子の他だと・・・駄目だ思い出せない保育所に預けられて居たのは近所では少数派だった、恐らく先程話題出て居た真由美なんかも居た筈だがそれすらも記憶に残っては居なかった。


「涼子の親父さん刑事だったのか初めて知ったよ」

「うんだってこんな話みんなの居る教室やおばさん達の居る部屋じゃ出来ないでしょ、リュウ君の部屋に上がらせて貰ったのって初めてだし学校の登下校も甲斐君や沙耶ちゃんが一緒だし」


 涼子を部屋に上げたのは・・・そうか過去の記憶ではそんな事一度も無かった、女友達を自室に上げるのが日常になったのって高校に入った以降だ。

 中学時代に家に来る女友達は涼子以外居なかったし、高校に入ってからは紀子の邪魔がいい加減うざったくなったから部屋に上げるようにしたんだ。

 時々紀子が茶菓子を持って邪魔に入って来たりしたが、アレは母さんの差し金だとかって後から聞いて知った。


「お兄ちゃん御菓子持って来たよ」


 ドアが開いたかと思うと盆に駄菓子を乗せて紀子がノックもせずに入って来た、お茶は無いのかよと思って居たら部屋の外に置いて有ったようで往復して部屋の中に3人分のコップとペットボトルのジュースを持って入って来た。

 こんなのどう考えたって紀子に準備出来る訳が無い、すべてのお膳立ては母が行っているに違いない、今確信した。


「紀子ちゃん、こんにちは」


 涼子が紀子に声を掛けると、紀子は私の背中に回りこんで背中越しで涼子に挨拶していた。

 紀子が乱入した事により、会話は紀子の作るケーキの焼き加減は微妙だって話と、いつものどうでも良い学生生活の話に変わりて行き、最終的には内藤肉店の揚げたてコロッケが安くて旨いと言う話で締めくくられ、涼子は帰って行った。


「去年小川真由美さんからチョコを貰ったっけ?」


 涼子が帰ってからリビングで母に真由美の事を尋ねて見た、この頃まだお返しの用意は母に頼んでいたので私が貰った相手は覚えて居るだろう。


「去年だけじゃなくて毎年貰って居るじゃない、今年はもう真由美ちゃんも中学校に入って御年頃だからくれないかも知れないわよ」


 どうやら貰って居たらしい、母から聞いた話だと涼子と真由美の他には幼馴染の加藤沙耶とその姉由希子、それに徹の同級生である斉藤千春の合わせて5人からチョコレートを貰って居たようだ。


 沙耶は子供の頃から一緒に遊んで居た仲だったが幼馴染みと言う思いが薄い、私より友人の山下甲斐との仲が良かったからだろうか。

 沙耶は短大卒業後製菓企業の受付として働き社内恋愛の末、結婚、妊娠、そして退職し夫の元へと嫁いで行ったのでその先の事は知らない。


 沙耶よりも鮮明に記憶に残って居るのは姉由希子の方だ。由希子とは小学生時代は登下校で同じ班だったし、私が進学した高校でも世話になっている。

 彼女には返しきれない程の恩が有るのだが、今の時点では義理チョコである事は確定的だ。


 親友の甲斐は工業高校を卒業後自動車整備の専門学校に入りディーラーで働いて居た。

 私も2台甲斐から車を購入し、あの襲撃のその日まで親交があった、私達が北海道に疎開し連絡が途絶え10年の月日が流れている。


 徹の同級生斉藤千春とは言いにくい事だが大学時代に数年付き合って居る、その事は家族には秘密にしていたが徹は兎も角紀子は気付いて居たかも知れない。

 私が二十歳で千春が16、当時条例なんかは無かったし年齢による背徳感も無かった、もっとも弟の同級生と付き合って居ると言う後ろめたさだけは有った。

 付き合った経緯は千春から告白されたことが切っ掛けで、別れたのは千春が東京の大学に進学し自然消滅した形だ、私も千春も別れの言葉は告げて居ない筈だ。

 その後私の方は就職、社内恋愛、結婚、子育てと忙しい日々を送って居たので千春の消息を知ろうともして居なかった、もし東京で就職していてあの日を迎えて居たなら生き残っては居ないだろう。


「聡志は部活どうするつもりなの?」


 いきなり何を言い出すのかと小首を傾げて居たが、そう言えばこの頃に所属して居たテニス部は解散と言う話に成っていたのだ。

 別に誰かが不祥事を起こしたとか、部員の減少による物では無い、顧問を担当していた教師が身体を壊し休職してしまい次の年部活の顧問を引き受ける人員が居なくなった為、早々に廃部が決まったのだ。


「他にやりたい事も無いからこのまま帰宅部かな、3年は夏で引退したし2年の先輩はやる気がある他の部活に転部しちゃったから」


 私が入った部活はテニス部で入部した切っ掛けは3年生からの勧誘だった、私を誘ったのは近所に住んでいた谷口志郎と言うテニス部のキャプテンで谷口建設の跡取り息子だ。


 高専に進学し横浜で独り暮らしをしていたので何度か遊びに行った覚えが有る。沙耶の姉由希子に片思いをしていたのだが恋は実らなかったがそれは当然だ。

 士郎は高専卒業後大手ゼネコンで10年勤務し後も地元で谷口建設を継いだ、役所に居た私は工事の申請手続きに来る谷口と何度か役所で顔を合わせ気まずい思いをした事を覚えて居る。


「あのね。お母さんの大学時代の先輩が東兼で剣道を教えて居るの、もし聡志にやる気があるんだったら道場に通って見る気は無いかな。昔聡志剣道やって見たいって言ってたでしょ」


 剣道をやりたいなんて言っていたのは、幼い時にアニメで剣道を題材にした物が有った為だ。

 アニメが終わると同時に剣道への興味も失った、そんな事は母も先刻承知だろうにどうして今更そんな事を言い出したのだろうか。


「母さんの大学って看護学校だよね、その先輩ってどう言う人なの」


 母の地元は東兼では無い、同じ千葉県内ではあるが県庁所在地の千葉市であり、東兼は海沿いの街で県中心部に有る千葉市からは若干距離が有る。

 母の出た大学は都心部にある看護系の大学で公立の学校だった。

 この時点からもう少し先の未来で公立大学が統廃合され、私の母校でも有る県立大学と統合されたので共学になったが、母の通っていた時代は女子大だったので先輩も女性以外には考えられない。


「聡志も知ってるんじゃないかな、美奈子さんのお母様」

「生徒会長?」


 明星美奈子、1年先輩の御嬢様で東兼で1番の土地持ちの家系だ。

 駅前の一等地はほぼ明星家で独占され周辺自治体との合併後に新築された新庁舎の土地半分は明星家から賃借していた。


「そうその生徒会長さんのお母さんでPTA会長の明星十和子さんが剣道教室を始めたのよ、まさか東兼で会うなんて思わないじゃない。だって十和子さんって此花神社の御嬢様だから婿を取って神社を継ぐものだとばかり思って居たのよ。PTA総会で十和子さんから声を掛けられた時には心臓が飛び出るかってばかりに驚いちゃった」


 此花神社は母の地元秋葉台じゃ1番大きな神社で、母の実家も此花神社の氏子を務めて居る、千葉県下では上から数えた方が早い参拝客を誇って居た。


「大学の先輩ってよく顔を覚えて居たもんだね」

「大学だけじゃ無くて小中高と幼稚園でも一緒だったからね、聡志で言うと由希子ちゃんみたいなもんかな。聡志も由希子ちゃんには随分とお世話になったでしょ、沙耶ちゃんと2人迷子になった時探してくれたのも由希子ちゃんだったし」


 私と沙耶が迷子?どこで迷子になったんだかそんな記憶さっぱり無くなって居るが世話になったと言う話には間違いが無い。


「総会って年度初めに行われるもんじゃないの」


 明雄は学校なんて通う暇は無かったが優子はギリギリ小学校を半年では有ったが通っていた、その年度初めの総会で私は公務員だった事もあり役員に選出されてしまっていた。

 あれこれする間も無く学校は閉鎖されたので活動らしい活動なんて一切果たして居ないが。


「年初に選挙が有るのよ、役員を選出するだけなんで委任状だけでも良かったみたいなんだけど、そんな事1年目だから要領が分かんなくてね。当日開票が有って選出されたのが十和子さんだったの。うちも聡さんが市民病院に勤めて居るでしょ、来年は役員やらされそうだし十和子さんには見つかっちゃうしで大変なのよね」


 今はまだ部長職には就いて居ない時期だろうか、父は外科医で市立の病院で勤務している。

 PTA会長なんて公務員、医師、教員、自営業の社長、断りに難い所で話が持って行かれる。もし娘が中学高校まで通い私が公務員で有り続けていたなら会長の役目も回って来ていた可能性が強い。


「それでどうかな、道場を開いたばかりで生徒が居ないって言う話だったから今なら先輩面出来るわよ」


 過去の私なら反射的に断って居ただろう、しかし今は生き残る手段はなるべく多く持って置きたい、刑事に成りたいと言う告白をした涼子も巻き込んで剣道を習う事を了承した。







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