カウントダウン

まわたふとん

第1章1989年

第1話「浅き夢」

「寝過ごした!!」


 ヤバイ、やばすぎるぞこれは、窓から差し込む光の加減からすると既に夜明けからは大分時間が経過している筈だ、奴らの活動時間はとうの昔に始まって居る。

 昨夜の移動で無理をしすぎたか、逃亡生活が始まって5年そこら中身体にガタが出て居る。


「優子、明雄」


 2人の子供の名を呼ぶが辺りに2人の気配が無い、強引に意識を覚醒させ飛び起きると辺りの様子を伺う。


「嘘だろ」


 飛び起きた先に目に入ってきた光景は見慣れた物だった、見慣れたとは言ったって昨今目にした訳じゃない、記憶を辿るとそんな物も有ったなと言う程度の物でしかし確実にここがどこだか言い当てる事は出来る。


「10年前に焼けた実家かよ」


 壁に貼られたポスターは昔懐かしアイドルのポスターで、中学時代に張っていた物だ。

 元々私が好きだったアイドルでは無く、当時片思いして居た女生徒が風の噂でファンだと耳にし私もそのアイドルが好きだと公言したから貼った物だ。

 ポスターは確かCDの予約特典で貰った物だと思う、片思いの彼女はバスケ部のキャプテンと付き合ったと言う話を耳にして初恋は脆くも散ってしまったのだが。


 自室の子供部屋を懐かしく見て回り扉を開けて廊下に出る、廊下から階段に移動し1階に降りてリビングに近づくと台所から包丁を使う音が聞こえて来た。

 躊躇う足取りはリビングの前で立ちすくむが思い切ってドアを開け中に入る。

 懐かしいLDKには10年前、2015年の侵攻で死んだ筈の母が、うまそうな朝食の用意をしてくれていた。


「お兄ちゃん早いのねまだ6時過ぎで朝ご飯出来て無いわよ。日曜くらいゆっくりしてたら良いのに」

「おはよう母さん」


 乾いた唇から震えるように口にだした言葉がそれだった、母はいつものように朝食を作り続けている、夢か幻か、私はあの夜眠ったまま目覚める事無く夢の中で彷徨い続けて居るのだろうか。


「手伝うよ」

「手伝いはよりも先に着替えてらっしゃいよ、パジャマのままじゃ手伝うも無いじゃない」


 母は微笑みながらそう返事を返してくる、パジャマか確かにパジャマを着ているなこの5年の逃亡生活で寝間着に着替える習慣はとっくに無くなっていた。

 1分1秒が生死を分ける、そんな生活の中では気軽に着替える事なんて出来なく成っていたから。


 部屋に戻って着替えを見繕う、余りに私服が少ない。

 部屋の中本棚に並んでる教科書から中1頃の物が並んで居るなと思った、着替えはジーンズとYシャツを手に取り肌寒さを自覚し、今がが冬だと言う事は理解出来た。

 Yシャツだけでは寒そうなので下着代わりのTシャツとパーカーを手に取ると1階に有る脱衣室へと移動する。 


 朝風呂なんて何年ぶりだろうかと思い裸になるとバスルームへと移動し蛇口を捻る。

 熱めのお湯がシャワーから降って来て身体全体で受け止める、温かいお湯が汚れを洗い流してくれた。

 しかしその汚水はいつもの煤で汚れた真っ黒い水では無く、透き通った透明のお湯のままだった。


「朝シャンなんて何処で覚えて来たのよ、お兄ちゃん朝ご飯が出来たから徹と紀子を起こして来て。紀子がぐずるようだったら布団を剥ぎ取っちゃえば良いから。お父さんはそのまま寝かせて上げて置いて、帰って来たのは0時を回って居たみたいだから」


 リビングに戻ってきたのは7時前だった、1時間近くシャワーを浴びて居た事になる。

 ゆっくりと身体を洗えたのは久し振りだったから、ついつい長湯をしてしまったらしい。

 私は母に言われた通り2人を起こしに行くべく階段を上っ2階に戻る、先ずは弟の徹からで良いだろう。

 徹と最後に会ってから10年以上の時間が経過していた、あの襲撃の有った日から便りが無いので徹の行方を知る術が無かったのだ。

 大学を卒業した後徹は関西にある製薬会社に勤務し、そこで出会った女性と結婚し一家を築いた。

 あの最初の大襲撃に巻き込まれて無ければ、関東に居た私達よりは生存確率は高かったろう。


「徹入るよ」


 外からノックしたり名前を呼んでみたのだが一向に起きて来る気配が無かったので徹の部屋の扉を開ける、ベッドで丸くなって眠って居る徹は明雄とそう年が変わらないように見える。


 この時私が中1なら徹は小学4年生と言う事になる、明雄は13歳だったから本来なら私と同じくらいの背丈に育って居てもおかしくないのだが栄養状態が悪かったのだろう、小学4年の徹と大差の無い体格だった。


「朝ご飯が出来たよ」

「お兄ちゃん寒いよ」


 布団を剥ぎ取ると徹は毛布にくるまり愚痴をこぼしてくる、まだ眠気が残って居るならこのまま寝かせて居ても良かったのだが母が作ってくれた料理が冷めると悪いなと思い直し毛布も剥ぎ取ってしまった。


「母さんの料理が冷めると悪いだろ、紀子を起こして来るから徹は着替えて下に降りてな」

「うん判ったお兄ちゃん」


 徹がベッドから降りてくるのを確認してから紀子の部屋に向かう。

 向かうとは言っても徹と紀子の部屋は元々1つの部屋で、それを中央で分割した部屋だった。元々そのつもりだったのか出入り口が2ヵ所有る、だからグルッと回って紀子の部屋に向かわないといけない。



 紀子は父の跡を継いで医者になった、最初の襲撃が有った日は生き残り私達の家族と一緒に北海道に疎開して居る。疎開先の北海道は妻優美子の実家が有り、襲撃から5年の間は厳しいながらも由美子の家で定住出来た。

 5年前、青函トンネル砦が奴らの手に落ちた、そこから今日まで北海道内を逃げ回る日々が続いてきた。


 紀子の死は私が見取った、避難所で医師として活動していた紀子は避難所ごと焼かれてしまった。残っていたのは子供達を守るようにして焼かれて居た紀子の亡骸と子供たちの骨だけだった。

 紀子が守ろうとしていてた避難所の子供達も紀子も弔ってやることすら出来ないで私と家族は逃げる事しか出来なかった。


「紀子朝だぞ、入っても良いのか」


 やはり紀子の部屋からも返事は無い、私と徹との攻防が聞こえて居た筈だがまだ目を覚まさして居ないらしい。部屋の中に入ると枕を足蹴にして本体足が有る場所に頭が有った。

 紀子は私の6つ下なので私が中1なら小学1年生だろう、机の横に置かれた真っ赤なランドセルが時代を物語って居る。部屋の中はかなり散らかっているが小1ならこんな物だと思う、まだ両親と同じ部屋で寝起きしていてもおかしな年齢では無いのだから。


「紀子そんな格好で寝てると風邪を引くよ、朝ご飯が出来たから着替えてご飯を食べに降りようか」

「お兄ちゃん抱っこ」


 紀子は私に懐いて居た、何か切っ掛けが有ったわけでは無いと思うがずっと家に居た母より私に甘えて来る事の方が多かったと記憶している。


「しょうがないな着替えてからだよ」


 避難所で気丈に振る舞って居た妹の姿と今の甘えて来る姿が重なって、結局着替えを手伝ってしまった、紀子を抱えリビングまで運ぶと母が笑っていた。


「兄ちゃんは紀子に甘すぎなんじゃない」

「あらそんな事無いわよ、紀子所か徹にも甘いってお母さんは思うけど」


 ダイニングテーブルの席に紀子を座らせて居ると、徹が拗ねたように呟いてそれを母が窘めて居た。


「お兄ちゃんは誰にでも優しいもん」


 席に座った紀子に牛乳を入れてやって居ると紀子が私褒めて来た、しかし誰にでも優しいと言う事は褒め言葉じゃ無いって言う事は後年嫌と言うほど学ばされた。

 それは私の最初の彼女が発した言葉が最初だったが、それ以後出会う女性全てから言い続けられていた事なので間違っては居ないのだろう。


「お母さんとしてはお兄ちゃんはちゃんとお手伝いもしてくれるから何も言う事は無いんだけど、紀子と徹もお兄ちゃんを見習って欲しいわね」


 私が子供の頃から家事を手伝て居たのは、悪い意味で亡くなった祖母の存在が大きい。

 紀子が生まれてしばらくしてからポックリ逝ったが、身内ながらロクでも無い老人で母をいびり倒していた。

 そんな母を見て居られなくなって家の事を手伝うようになって、それからずっと家事をする事は日課のようになってしまっただけの事だ。


「お兄ちゃん今年は誰からもチョコを貰って来ちゃ駄目よ、紀子が手作りするんだからね」



 朝食を食べながら、そんな事を言う紀子の言葉で、生焼けのチョコレートケーキを数年食べ続けた思いでを思い出す。

 紀子がチョコの事を話題に上げると言うことは、バレンタインデーが近いと言うことなのだろう。


「兄ちゃんのチョコは僕が食べるから貰って来てよ、紀子は甘い物嫌いかも知れないけど僕は大好きなんだからね」


 私も甘い物は苦手だったが紀子は輪を掛けて甘い物が嫌いだった。

 生来の酒豪と言えば良いのだろうか、父は一滴も飲めない体質だったのだが紀子だけはまるでウワバミのように酒を飲んでいて、そのくせずっと健康だったので不公正だと思った事は一度では無い。


 私もどちらかと言えば甘味よりは酒だった、下戸の徹は父の血を1番に引いて居るのかも知れない。

 成績だって3兄弟の中では徹が1番だったのだから。


 徹が医師に成らなかった理由は判る、父の背中を見て居れば誰も医者なんて志さないだろう。

 父が尊敬出来ない医師だった訳じゃなく、働きすぎて真似をしたく無く成っただけだ。

 そんな姿を見ていた筈の紀子が医師になるって宣言した時には、私と徹はひどく驚いた事を覚えて居る。


「バレンタインデーってもうすぐなんだったっけ?」

「兄ちゃんバレンタインデーは明日だよ、2月14日がバレンタインデーなんて事男なら覚えて置かないと駄目なんだってさ」


 徹が日付けを教えてくれた、となると本日は1989年の2月13日元号で言えば平成最初の年。

 最初の異変が確認された日はハッキリとはしていないのだが1990年7月頃鎌倉の山中で発見されたダンジョンが第一段階だと言われて居て、ダンジョンが日本政府から正式認定されたのが2010年。


 翌年米中が協定を結んで核攻撃を行い、それでもダンジョンは壊れる事は無かった。

 何の反応も示さなかったダンジョンが崩壊し、中から奴らが溢れたしたのは2015年7月25日でその時両親は実家と共に焼死して居る。


 2020年10月15日北海道侵攻で紀子が死に優美子と逃亡中生き別れになったのは2024年の冬。

 2025年の恐らく7月頃私が優子と明雄と一緒に寝て居て目が覚めたら1989年の自室で目が覚めたと言う事になる。


「涼姉ちゃん今日来るかな」

「紀子あの人嫌い」

「紀子、そう言う事を言っちゃいけません」


 涼姉ちゃんって誰だと一瞬思い出せないで居たが、川上涼子の事だと気が付いたのは一瞬後だった。

 涼子は近所に住んでいた同い年の幼なじみで、そう言えば毎年バレンタインにはチョコを貰って居た、お返しはクッキーを送って居たが直ぐに思い出せなかった原因は中2の夏休みの7月涼子が亡くなって居たからだ。


 私の感覚では30年以上前に亡くなった同級生だったから直ぐに思い出せなかったのだ、それで無くとも逃亡の日々で昔の事なんて記憶から抜け落ちていたから尚更だろう。


 朝食を終え私が洗い物をして居る内に母は洗濯物を干しに行った、1人台所で涼子の事を思い出して居ると彼女が夏休みに亡くなった日の前日の会話が甦って来た。


「ねえリュウ君、リュウ君ってモンスターを倒すと経験値が貰えてレベルが上がる場所が有ったら行って見たいと思う?」


 そう最後に交わした言葉はそんなどうでも良いゲームの話だった、ファミコンすら触った事の無い涼子が珍しい事を聞いてくるもんだと思った。

 その事について私はどう答えたのだろう、残念ながら今となっては問う事も出来ない。その事を話た翌日涼子は猛獣にやられたような傷を負って道路に倒れて居た所を発見される。


 野犬か熊かはたまた逃げ出したペットの大型獣に襲われたか、様々な噂が飛び交った。

 結局熊に襲われたのだろうと言う結論に達して付近の山中を大掛かりな山狩りが行われた所、体長2mを越す非常に巨大なツキノワグマが見つかり駆除された。


 だがダンジョンが発見された以後の事を考えると、涼子が倒れて居た近くにダンジョンが有ったのでは無いかと思えて来た。

 つまり涼子は奴らにやられ逃げてる最中に命尽きた、と言う方がシックリ来る。


 今日までそんな事考えもしなかったが、第一号のダンジョンは鎌倉ダンジョンでは無く涼子が死んだアノ場所だったのでは無いかと思えてきた。



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