第7話 ガチムチ弁当屋×ガチムチリーマン 【お仕事お疲れ様】


 煤けた黄色い看板を見上げてから、滑りの悪いガラス戸を押し開ける。中からは油と肉や野菜が入り混じった匂いが漂ってきていた。あちらこちらが油でべたついているように見える。ピンクの公衆電話も、緑色の数字を表示している古びたレジスターも、水着姿のアイドルが笑顔を振りまいている週刊誌もそうだ。


『すまいる☺弁当』と印字されているメニュー表も油で褐色に変わっていた。


「いらっしゃい」


 ぶっきらぼうな野太い声に、視線を向けると、黒いTシャツ姿の男の背中が見えた。筋肉質で、首周囲から背中にかけて隆起しているシルエットがよくわかる。服がはち切れそうだ。短く刈り上げた頭部の上には、ちょことんと小さい帽子がのっけられている。よく中華料理屋の料理人がかぶっているようなものだ。だがしかし、それも小さい。男のサイズが大きい証拠だ。


 ——こういうタイプはどこもかしこも大きいに決まっている。


 ジュウジュウと中華鍋を振るう腕のたくましさに視線を遣っていると、男が顔を上げた。


「お客さん。注文決まった?」


「あ、ああ。えっと……」


 壁にへたくそな字で書かれているメニューを眺めてから、「今日のおすすめ」と答える。


「んなもん、ないよ」


「あるだろう、日替わりとかさ」


「日替わりは昼でなくなる。他のにしてくれ」


 じろりと一瞥をくれてから、料理に向かうその横顔が堪らなかった。


「じゃあ、スタミナ弁当」


「スタミナ一丁!」


 いつもは混んでいる店内。待っているスペースが狭いのだ。男が二人も入ったらいっぱいになってしまうことだろう。ところが、今晩に限って、客はおれ一人。椅子に座って週刊誌でも読めばいいものを。今日はなんだか、その男の調理姿を眺めていたくて、カウンター越しに立ち尽くしていた。

 おれの視線を感じているくせに。男はただもくもくと手を動かす。手際がいい。中華鍋で肉を炒め、それから野菜を投入する。その間にも、隣のコンロで揚げ物が順次、銀色のトレーに並べられていく。


「随分、手際がいいものだな」


「仕事だからな。——そういうあんたも、よくよく飽きずにうちの弁当食うもんだな」


「ここの味が好きでね」


「今時はコンビニだってどこだって買えるだろう?」


「おれは手作り主義でね。どうだろうか。うちのお抱え調理師にならないか」


 おれの提案に、男は一瞬、目を見張ってから口元を緩めた。


「どこかの社長さんですかい? 悪いね。あいにく、おれはこの弁当屋が好きなもんで。おれの味が好みなら、毎日通ってくれ」


「だからそうしている」


 発泡スチロール製の弁当トレーにどっさりと盛り付けられる白米。ゴマが振られて、中心には小さい真っ赤な梅干し。野菜炒め、クリームコロッケ、白身魚のフライ、ちくわの天ぷら、唐揚げ……。それからちょっとしたスペースには緑色のキュウリの漬物と、つま楊枝が刺さっている小さく切ったパイナップルが添えられた。

 蓋をしようとしても、収まり切らないボリュームだが、男は乱暴に押しやると、ピンク色の「すまいる☺弁当」と書かれた帯をつけ、輪ゴムでそれを止めた。

 それから、白いビニール袋に入れると、ふと、そばにあった小さいおかずを入れた。


「頼んでいない」


「おまけだ。いつも買いにきてくれる礼ってとこだな」


「そうか。感謝の気持ちがあるということなら、そんなものではなく、違ったものでいただきたい」


 真っ黒に日焼けをした顔から覗くその目は、大型動物の優しい目だ。そうだ。この男は熊に似ている。


「お客さん。今度は脅すんですかい?」


「違う。おれはこの弁当屋が気に入っている。こうして連日のように買いにきていた。そして、これからもずっとそうすると思うんだ。だから——」


「だから?」


「感謝の気持ちがあるなら。体で返してくれ」


 カウンター越しに向かい合ったおれたちは、しばらくの間、そのまま対峙していた。


「あんた。男、好きだろう?」


「なぜわかる」


「体つきを見ていればわかる。おれはお前の相手としては相応だと思うが」


 男はおれの体を嘗め回すように見ていたが、ふと帽子を取ると、カウンタ横の扉を押して店内に出てきた。なにをするのかと様子を伺っていると、彼は入り口にぶら下がっていた「営業中」の札をひっくり返して「休業中」に替えた。それからガラス戸のブラインドを下ろした。


「いいぜ。相手してやる。だがおれは入れられるのは好きじゃねぇ」


「おれもだ」


「じゃあ、どうする」


「勝負と行こうじゃないか。堪え性のない方が相手を受け入れる」


 おれの提案に、男は笑った。


「おもしれぇ。いいぜ。その提案。後で泣き言を言うなよ」


 前掛けタイプのエプロンを外すしぐさと共に、漂てくる油の香りに、おれは心がざわつくのがよくわかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る