第33話

「あ、ごめんね、気が付かなくって。」


こちらが声をかければ、彼女は天体望遠鏡から、目を離さずに、こちらに言葉だけで返事を返してくる。

覗き込みながら、手物とのハンドルを握り、僅かに、注意してみれば分かる、それくらいの動かし方を続けているけれど。恐らく、何か調整をしているのだろう、それくらいしか分からない。


「ま、気にしないで。」


僕はそうとだけ答えて、いつも通りに、食べ物の入った容器だけおいて、後は多分いつもと同じ切り株、その上に自分の荷物を置いてから、ギターを取り出す。

曲はともかく、音階を望んだように弾く、その練習くらいはしておきたいから。

予想通り、彼女の姿がそこに在ったからだろうか。僕はなんだか方から重さが消えたような、そんな感覚を覚える。ないと、そんなことは考えていたけれど、やっぱり不安に思っていたり。そんな事が有ったのだろうか。


「準備、もう少しかかるよ。ごめんね。」

「いいよ。ゆっくりで。えっと、僕は別に急いでないし。」


彼女は僕が頼んだ星、それが見えるようにと、準備をしてくれているのだろう。

それが嬉しいような、申し訳ないような。そこまで興味があるわけでもないのだけれど。彼女としては、僕が興味を見せたのが嬉しいからと、そんな理由なんだろうか。

そうして、僕のために、それとも彼女自身、何か他に目的があるのか、準備をしてくれている後姿を見ながら、いつものようにギターを鳴らす。

毎回ケースにしまう前に弦を緩めているから、調律をまず簡単にして、それからナイロンで出来たその弦を弾く。

家ではいつもエレキ、特に対策しなくても、音が小さいからそっちばかりだけど、こうして普段と違う弦をはじいてみると、なんだか気分も変わってくる。

そんなことに、この2日間、気が付かなったのかと今更ながらに驚いてしまう。

始めて夜を、祖父母の家から出て過ごして、そこで初めて会う人と、お互いにお互いの事をする、そんな不思議はあるけど、場所を共有して。そっちにばかり、意識が向いていたのだろうか。初日はともかく、昨日に関しては、まぁ頭を悩ませることが、確かに他にあったけど。


「うん、大丈夫かな。はい、見えるようになったよ。」


少しばかり、ギターの練習を続けていると、急にこちらを振り返った彼女が、そんなことを言う。

正直、後姿をぼんやりと見ながら、ギターの練習をする。ついでにあれこれと考えながら。そんな状況が心地よくて、うっかり何故彼女が作業しているのかを忘れかけていた。


「あ、そうなんだ。」


そして、指先が少し冷えだしている、それを考えれば、どうやらそれなりの時間がたっていたのだろうと、気が付く。


「ごめんね。結構大変みたいで。」

「私も、まだ慣れてないから。大きい、えっと、距離が近いとか、惑星だね、そう言ったのは割と早く準備できるけど。」

「そうなんだ。意外と、不便なんだね。」

「うん。どうしても遠くのものを拡大するから、きちんと対象を捉えるのって、大変で。」

「顕微鏡みたいな。」

「えっと、私が知ってる範囲だと、基本は同じだけど、対象が発光しているのかどうかっていう違いがあるからね。」


ぱっと思いついた、似た面倒がありそうな、これまで自分が使った装置を挙げてみると、渋い顔でそんなことを言われる。

遠くのものと、近くの物、その位の差かと思えば、意外と仕組みの違いがあるのかもしれない。


「えっと、直ぐに覗いてみるかな。」

「もう少し、練習しようかなって。」

「じゃぁ、その時にまた行ってね、調整するから。」


その言葉に、僕は思わず首を捻る。一度設定が終わったのに、なんでまたと。

そんなこちらの様子に気が付いたのか、彼女が簡単に、恐らく簡単に説明してくれる。


「自転があるから、時間がたてば星も動いてしまうの。だからここの素通しで確認して、その都度変えなきゃいけないし、対象によって倍率の調整もいるから。」

「そっか、じゃぁ、今見ようかな。」


それでも何か面倒があることくらいは分かったので、とりあえずギターを置いてから彼女の側に行く。

大きな、それこそ三脚の上に載っているけど、一抱えもあるようなそれに顔を近づけようとして、その前に聞こうと彼女に話しかける。


「えっと、春の一等星って。」

「あ、そうだね。そっちの説明が先だったね。」


そういって、彼女が僕の隣に立って、指をさす方向を見る。

そのあたりだと、星座としてはおとめ座がある位置だろうか。


「そのあたりって、おとめ座だったっけ。」

「うん、そうだよ。星座の形は覚えてる。」

「えっと、なんだかこう、イカみたいな。」

「身もふたもないけど、言いたいことは分かるかな。」


ぼんやりとした記憶をさかのぼって、そんなことを言えば、少し吹き出した彼女が、そんなことを言って来る。


「えっと、そのイカみたいなの、その一番南側にある。細かく言うと南東かな。そこに在るあの、青白い、綺麗な星。」

「ああ、そっか、明るい星ってことだもんね。」


そうして、彼女に言われてみた先には、他の星よりも、文字通り一等明るく輝く星がある。


「そう、春の一等星、スピカ。それが、あれ。真珠星、なんて呼ばれたことも有るみたい。」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る