第32話

今日は流石に早く戻ろう、そんなことを考えながら、玄関で靴を履く。

あの後、拾ってきた石は結局いまいち気に入らないなんて、残念な結果にはなってしまったけど、そっと僕の庭の片隅に並べた。

そうしてみれば、少々荒れていた庭も、なんだかおもしろい、そう思える姿を見せてくれたから、それはそれでよしとした。そうなると今度はそっちにしても手を入れたくなってしまったけど。

夕飯まではあまり時間も無く、相変わらず縁側で湯呑を片手に、こちらに時折視線をよこすだけの祖父、思えば僕が来ない間、この小さな僕の空間も祖父が見てくれているのだろうとか、そんなことを今更ながらに気がついたりもした。

一年ぶりの、たった数日。その間に色々とあったものだと、これから出かけようかとそんなときに思い返してしまう。


「はい。これ。」

「ありがと。」


そうして靴を履いて、軽くつま先で床を蹴っていると、祖母に容器を渡される。

面倒、普段とは全く違う手間だろうに、それを感じさせることなく、当たり前のようにしてくれる祖母にも、改めて感謝の念が湧く。


「今日は、早く戻って来るつもり。」

「そう。でも、無理に早くなくてもいいから。」

「うん。」

「帰りたい、そう思ったときに帰っておいでなさい。」

「えっと、体が冷える前には、戻るね。」

「そうね。でも、心配なら懐炉、余分に持っていく。」

「今日は、良いかな。うん、明日は。」


結局、判断は彼女に任せているから、どうなるかなんてわからないけれど、それでも、明日以降は、彼女がこちらに来なくても、もしかしたら時間をもう少し、そう考えてしまうかもしれない。

だから。


「明日は、もしかしたら。」

「そう。」

「それと、手紙、今日預かって来るって、そう約束してる。」

「預かったら、帰ってきたときに貰いますね。」

「うん。」


何となく、今日も彼女はいるだろうし、手紙も書いて来ている、それを当たり前のように思っている。

何度も考えたけれど、結局この場を諦めるのが、一番面倒がないのだろうけど、彼女は違う気がする。


「荷物、多いみたいだけど。」

「えっと、勉強、教えて貰おうかなって。」

「そう、あまり暗いところで字を見ると、目に良くないから。」

「そうなんだ、ランタンじゃ、足りないかな。」

「よくは、無いでしょうね。だから、ほどほどにね。」

「分かった。」


ギターに加えて勉強道具、そんなものを持って、昨日よりも早く戻って来るなんて、我ながらよく言ったものだと、そんなことは思うのだけれど、早く戻るつもりなのも本当なのだ。

それこそ、時間が足りない、そう思ったなら、ギターの練習を少々省けばいいのだ。

そう言えば、星が見たいとか、そんなことも言った気がする。

本当に、どうやって昨日よりも早く戻るつもりなんだろうと、自分の事だというのに、おかしくなる。


「うん、一応、早く戻るつもり。」

「はい。気を付けて行ってらっしゃい。」


少し言葉を変えて祖母に話せば、いつものように微笑みながら、そう言って送り出される。

今日はなかなか荷物が多い。

彼女に比べれば、やはりひどく少ないのは間違いないけれど、ギター、勉強道具を入れた鞄、それから祖母に持たされた食事の入っているだろう容器と、それからランタン。

すっかり両手が埋まっているし、肩にもあれこれと荷物がぶら下がっている。重さよりも、その状態がやっぱり少し邪魔だと感じてしまう。

いっそのこと、ギターを置いてくれば、やる事を、僕から頼んだことでもあるのだから、そちらを優先しておいて来ればよかったかなとか、そんなことを思ってしまうが。ここまでで僕にとってあの山に登るのは、ギター弾くためとそうなってしまっているから、その決心はつかなかった。

コツコツと、どうしても歩くたびに揺れる体、それに合わせて勉強道具、筆箱がギターケースに当たり、いつもと違う音を立てる。

普段なら、こうして祖父のところに来るようになって、拘り始めたちょっとごつごつした、丈夫な靴で土を踏んだり砂利を削るような、そんな音と虫の鳴き声、風に揺れる葉や枝の音、そういった静かな音、そこに季節によって時折混ざる鳥の声、その程度なのだが。

そんないつもと違う装いで、今年から加わった繰り返し、それを行う。歩く道はいつも通りで、変わったのは僕と、時間帯。それから、その先に、いつも通りではない、そんな相手がいることくらい。

いや、事今回に関しては、いつも通り、そう言ってもいいのかもしれない。

そうしてしばらく歩けば、突然夜の影が薄くなった、丘の頂上。そこですっかり見慣れた制服姿で、天体望遠鏡を覗き込みながら、何かそれについているものを操作している彼女がいる。

月と星灯、彼女も懐中電灯を持っているのは知っているけれど、少なくとも僕は彼女がそれを使っているのを見たことはない。

そして、いつもなら気が付く、明りがやはり観測の邪魔になるからだろう、気が付くはずの彼女が、こちらに気が付かずに、天体望遠鏡を覗き込んでいる。

きっと昨日、一等星を見てみたい、そんなことを言ったから、それように準備をしてくれているのかもしれない。

その事に、何となく嬉しさを感じながら、もう少しだけ近づいて、僕は彼女に声をかける。


「こんばんは。」

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